沈思黙考

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4月30日(日)

川俣からの帰り道。ひなた荘に似た建物発見。桜といい、階段といい、なんか似てる(バカなことを考えてしまった・・)。それにしても東京暮らしに慣れると、テレビやラジオの選局に違和感がある。え、NHKは1と3じゃないの?福島中央テレビが日テレに該当するのかな?などなど、新聞を見ながら大苦戦してしまった。テレビ東京系列はさすがに無かった


4月29日(土)

自分にとっての第二の故郷、福島県川俣町を訪れた。国体開催のための建設とやらで山が削られて道ができ、残る山々もハゲ山同然の無残な姿だったが、町並みは15年の前と変わらない。あのときの道があり、川があり、店があり、学校がある。昔1時間かけて歩いた通学路も今なら20分で歩けてしまうが、空気は変わらない。ちょうど桜が満開で(東北は関東より桜が遅い)、桜色が僕を迎えてくれた。高校の教科書で読んだ梶井基次郎に「桜の木の下には死体が埋まっている」というものがあったが、遠い日の僕が死体として山に眠っていた。ノスタルジー。今度来たときは、川俣幼稚園にいたときからの夢をかなえよう。国鉄川俣線の遺跡を巡る旅をしたいものだ。(5歳のときから鉄っちゃんだったのね)


4月28日(金)

ある人との会話。彼「へえ、伊比君は野球好きなんだ」 僕「はい」 彼「俺も野球は好きだよ。たまに見るくらいだけどね」 僕「好きなチームはあるんですか」 彼「うーん、俺はアンチ巨人だからね。巨人が負ければそれでいいんだけど」 僕「はあ・・」
僕は巨人ファンだが、別に他のチームを好きな人にあれこれ何とも思わない。が、アンチ巨人って何だろう。本当に野球ファンなのだろうか。アンチ巨人思想から他チームのファンになった友人もいるが、もし巨人に勝つだけを目標としているなら巨人以外の5チームのアイデンティティはどうなってしまうのだろう。自分の贔屓のチームがあり、そのチームの動向に一喜一憂する。それが真のファンだと思うのだが。


4月27日(木)

人生は矢印の上を行くごとく・・か。矢印に従って生きていく人生と矢印に逆らって生きていく人生。どちらが良いとも悪いともいえない。が、「自分は社会に縛られたくない」として我を通すことは「自分のポリシーには従順である」と、結局何かに縛られていることには違いない。人生はやはり何らかの矢印の上を行くごとくなのかもしれない。


4月26日(水)

プリペイドカードを使った犯罪が増えているようだ。まあ、歴史的にも技術の進歩と犯罪の巧妙化は確かに比例関係にあると言えるが、逆にその分犯行動機がおそまつだったり、毒電波系なものも増えている気がする。技術が進歩してバレにくくなった(実際はそんなことは無いと思うが、犯罪者はそう思ってるんだろうな)分、犯罪への自制心が弱くなっているのだろうか。


4月25日(火)

「ホームページを作る」・・頭の中ではできていても、実際にやってみるとコンピューター関連の用語や作業になれていない為、こんなにわからないことだらけなのかと絶望する。パソコンを購入して以来、ゲーム以外でマスターしたアプリケーションといえば、Word、Excel、Chemical Drowingの3つだけである。理学じゃなくて工学の方が生きてく上で便利だなぁ。とは言っても手を動かさなければ何も始まらない。千里の道も一歩からである。ここはひとつ、「行動力」で頑張っていこー!

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