私評 関索 カンサク

関索は関平・関興と違い、完全にオリジナルのキャラである。民間伝承の中で生まれてきた武将が演義に組み込まれたものだと考えられる。ただし、活躍しているのが完全に南蛮征伐に限られる上、その後一切登場せず、死去の報すら紹介されないのは関羽の息子にしては破格の待遇の悪さであるといえる。

演義の作者羅貫中は三国志演義をまとめるにあたり、膨大な量の資料をまとめたはずである。とにかく三国志に関するエピソードは下世話なものから嘘臭いものまで混合している。『正史』は当然として、信憑性の低いといわれる『魏略』『英雄記』まで含まれているのである。趙雲のエピソードはほとんどが『趙雲別伝』だったりする。
 これらをまとめて全体的に調和の取れる作品に仕上げたのである。なので、地理的な要因での矛盾は多く(例えば、劉備の南荊州攻略の進軍方向はデタラメである。おそらく羅貫中は北の人間なので、南の地理は不得手だったのだろう)ても、人物表記での矛盾は少ないはずなのだが、関索の扱いはひどすぎる。
 しかし、関索を主人公にした『花関索伝』が刊行されたのは15世紀後半であることから、羅貫中が関索の存在に気づくことは不可能だったのである(羅貫中は14世紀中頃の人)。関索の名が広まったため、後世の人があわててエピソードを追加したものと推測される。

なお、三国志9の関索は、どことなくミステリアスな怪しい雰囲気をかもし出す若武者のイラストが描かれている。民間伝承から生まれたという彼の出自の怪しさや胡散臭さが良く表現できているといえよう(笑)。

 演義 戻る