秘蜀分析 最終回

周(允南) …夢見るだけが人生じゃない!…

[分析目的]

 諸葛亮死後の三国志は語られる機会はほとんどありません。横山○輝氏もコミックを60巻にした理由を「諸葛亮死後は魅力が落ちる」と言っています。ですが、そのようなことはありません。この秘蜀分析は諸葛亮死後の蜀について、キーマンを再評価するということを目的としています。

 秘蜀分析のもとネタである比色分析はいくつものサンプルをとって、対象のサンプルの状況と比較する実験です。本秘蜀分析が主に演義と正史の比較になったのも奇妙な一致と言えるでしょうか。

[緒言]

 周は字を允南といい、蜀の光禄大夫である。さて、今の事実を知っている人はどのくらいいるのでしょうか。と言うか、周の名前を初めて聞く人も多いはずです。ここで周を簡単に説明しますと、「劉禅に降伏を勧めた人」ということになります。

 この事実の影響で、蜀漢大帝国の滅亡の遠因として孫盛をはじめとする後世の歴史家達に不忠の臣だとか、君主が社稷のために死ぬのなら臣下も一緒に死ねと言われてしまっています。しかし、周は別に身の安全のために降伏を促したわけではありません。その辺りについて調べていきたいと思います。

[現実の定義について]

 まず、皆さんは「マジカルなこと」に関してどのように思われるでしょうか。現代においてはこのような非科学的なことは考察の余地すらないとされています。しかし、このように科学とマジカルなことが分離するのは中世ヨーロッパにおいてが起源であり、もともと科学自体が、錬金術から派生しているものなのです(その証拠に、化学はchemistry、錬金術はalchemistryとなっている)。 すなわち、三国時代においては呪術的、神がかり的なことも現実的なこととして認知されており、予言(図讖・図緯と呼ばれた)や瑞祥(龍が出現したとか、甘露が降ったとか)も学問として成立し、体系をなしていたのです。

 よって、このレジュメで「現実的」と言う言葉が出てきたとき、その「現実」は当時の認識での現実であり、今で言うところの現実とは意味が異なっているということを予めことわっておきます。

[予言学者周!]

 周は蜀の文官の大半がそうであったように、学者の部類であると言えます。彼は若い頃、秦を訪問してよく質問し、学問的には杜瓊の跡を継いだようです。ちなみに杜瓊は秦の弟子の任安の弟子なので、周はこの秦グループと交わりを持ったと言うことです。つまり周は学問は学問でも、図讖関係の学問を学んでいたということになります。

[当塗高の意味]

 これは言うまでもなく袁術陛下のこと・・ではありません。周は「当塗高が魏」という、任安に並ぶ能力を持つ周舒の説を杜瓊経由で学んでいます。このことより、周には漢にとってかわるものは魏であると言う認識があったものと思われます。

[劉備を帝位につけた理由]

 では、周に「漢に代わるものは魏である」と言う認識があったのなら、どうして周は劉備を帝位につける上奏文を奉ったのでしょうか。そうしないと諸○亮に粛正されたからという理由はさておき、周にとって漢はあくまでも献帝までであり、蜀はあくまで漢とは別の国であると言う認識だったのでしょう。その辺では、夢を見続けていた劉備とは異なり、非常に現実的な観点で蜀を眺めていたことになります。漢は滅んだものの、魏が天下を統一しているわけではない。偽皇帝(?)曹丕がいるのだから蜀に皇帝がいても問題はないといった感じでしょうか。ともかく、ここから華々しい蜀漢大帝国は開演することとなります。

[夢だけじゃ、生きていけない]

 しかし状況は一変します。三国が鼎立してこその蜀だったのに、関羽が荊州を失い、劉備も多くの軍勢を無駄死にさせた挙げ句に白帝城で死んで劉禅が即位し、頼みの綱の諸葛亮も志半ばで死去しました。残ったのは漢中以西のわずかな(面積・文化的には問題ないが、戦略的な問題で)領土と劉禅です。周の中には、運命論的な現実として、「魏が漢に代わる」ように「蜀滅亡」が見えてきたのです。

 もっとも、これはあくまでも「人はいつか死ぬ」のような絶対論的なマクロなスケールでの「蜀滅亡」です。人間は必ず死ぬんだから、人生なんてどうでもいいやと考える人はまずいないように、周も「蜀滅亡」は最終的な問題として今現在における蜀の維持には努めたはずです。

[姜維は国を滅ぼす!?]

 周は国を安定させ、劉禅を輔導するために遊び好きの劉禅にたびたび故事を用いて諫言をしたり、太子の教育に励みました。しかし、そんな中で姜維はたびたび無謀な北伐を続けたため、周は北伐の無意味を訴えました。名高い「仇国論」です。

 一般に益州派と荊州派の派閥と言う話がよく聞かれます。諸葛亮の人事は高いポストに荊州の人材を多く登用しており、益州派からしてみれば蜀は他国の人間が操る国なので北伐にも批判的であり、国内の安定を優先していたと言うものです。

 確かに益州の人間からしてみれば、突然他国の劉備達がやってきて支配者になり、諸葛亮は益州の民衆を意味もない北伐(中原の制覇の概念はあくまで荊州派によるもの)に駆り出すわけですから、不満は多かったはずです。

 しかし蜀書を見る限り、別に周は諸葛亮に対して敵対心は持っていなかったと判断できるのではないでしょうか。仇国論は政治的思惑とは別に、現実問題を一般論的に述べた文章なのです(ひょっとすると、あまりに一般化した抽象的な話だったので姜維には理解できなかったのかも)。

[前段落の補足]

 なお、仇国論はあまりにも長くて資料として抜き取りが不可能だったので簡単にまとめさせてもらいます。仇国論の概論は「殷・周の交替期には世の中は安定しており、根を深く下ろした木は抜きにくいもので、漢の高祖でも天下は取れなかったはずである。現在の状況は秦末の混乱の時代ではないので周の文王にはなれても漢の高祖にはなれない。そもそも民衆が疲弊すれば混乱・瓦解のもとである。何度も遠征した結果、崩壊の危機になったとしたら例え智者でも手段を講じるのは不可能である」というものです。

[允南、木を見て運命を悟る]

 黄皓が権力を握り始めたある日、蜀の宮中の木が勝手に折れるという事件が起こりました。周の解釈では、「蜀滅亡」の現実が「魏による蜀滅亡」と具体化した瞬間です。おそらく周の中には蜀滅亡のシナリオが目の前の現実として手に取るように認識できたのではないでしょうか。が、彼には話し掛ける相手がいなかったので、そのことを壁に書いてそのまま立ち去ってしまいました(暗い)。

[成都の一番長い日?]

 ついに運命の日はやってきました。緜竹を抜いた艾が成都に迫ってきたのです。まさに、朝起きたら戦争が始まっていた状態です。仮に成都を脱出しても、確かな反撃材料がなければ再び返り討ちにあうだけです。こうなることがわかっていた周にとって、主戦派を納得させるだけの説得力は十分にありました。説得の内容は今回の分析には直接関係がないので省略します。ついでに劉禅の禅(授けるの意味)の字に合わせるために劉禅自らが艾の前に出て降伏を申し出たと勘繰るのは出来過ぎた話でしょうか。

[允南、魏の命運をも悟る]

 完全に余談なので資料はひきませんが、鐘会らによる謀反騒動のゴタゴタの後に成都にやってきた鎮西将軍の衛カンが璧と玉を見つけて司馬炎の蔵に納めたという事実から、「いま中撫軍の名は司馬炎であり、蜀の年号は炎興でおしまいになる。瑞祥(璧と玉)が成都に出現し、それが相国(司馬炎)の蔵に納められたのは、天の意志である」としています。翌年(炎興元年)12月、司馬炎は帝位につき、炎興(司馬炎が勃興する)は実現されたわけです。

[まとめ]

 周は自分のまもなく死に行く運命をも悟っていたことになります。ここまで僕は予言を現実的なものとして肯定的に論じてきましたが、ここで言う予言とは、「現在の情勢や行く末を読み取る」ことと言うこともできるのではないでしょうか。

 現代社会において世界情勢を見極めて成功した人間や組織はたくさんありますが、彼らは予言者とは言いません。運命の転換期において、長期的な視野で的確な判断ができただけのことなのです。

 三国時代、姜維は長期的な戦略眼を持たなかったために極地戦を繰り返して国を疲弊させ、結局最後は自暴自棄的な策略を試みるものの失敗、斬殺されます。これについて後世の人は「死ぬのが難しいのではなく、死に方が難しいのだ」と評しましたが、姜維が長期的な考えの持ち主だったら、このようなことになっていたでしょうか。

 運命を知ることでネガティブになる必要はありません。例え、結果的にそうなったとしても、それはあくまで結果です。諸 亮は北伐が蜀の国力を弱めると知っていても、蜀のアイデンティティーのために北伐を続行しました。現代において末期ガンの患者への鎮痛剤には主に麻薬が使われています。麻薬や強力な治療薬は体を蝕みますが、長く生きるためにはそれらは不可欠です。極論を言えば、最近の説で、人間は酸素を吸うことで老化すると言うのがありますが、だからといって酸素を吸わなければ数分で昇天です。

 いまのはマイナスの結果を生じる運命の話でしたが、情報の氾濫するこの時代においては、周とまではいかなくとも、長期的な視野で未来を展望することが必要なのではないでしょうか(別に、今晩の夕食なんだろな、でも可)。少なくとも、同時期を生きた対極的な周と姜維の生き方を比較してみるとそう思わないではいられません。

[追記]

 これからもキーボードはPC98タイプだと信じていたのに、最近では絶滅しかかっており、自分の長期的視野の無さを痛感しました・・

 今の時代は「日本語入力」といったら「Alt+全角」なのか!?

 Ctrl+Shiftの時代は終わったのね・・ついでに、9821の時代も・・サヨウナラ(涙)

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