天明らかにして星来たり!

[序論:それは星座か星宿か]

まずは中学校の地学レベルの北の空をイメージして下さい。それを頭の中に浮かべながら、以下の質問に答えてください。

問1. 北の空の中心にあり、一晩中その位置を変えることのない星の名称を答えよ。

問2. ひしゃくの形をした星座の名称を答えよ。

問3. Wの形をした星座の名称を答えよ。

では解答です。

問1は大半の人が北極星と答えるはずです。小熊座α星と答える天文マニアの方も少しはおられるでしょうか。

問2は解答が分かれる筈です。北斗七星であるとか、おおぐま座であるかのどちらかでしょう。前者後者の割合は半々でしょうか。

問3は言うまでもなくカシオペア座ですね。中国天文学に泥酔し、これを天駟・王良(ともに中国の星座名)と答えた方がもしいたら、僕はもう帰ります。あ、一部早稲田の星と主張されている方もいますが、素晴らしいワセダニアンですね。でも今日はお帰りください(笑)。

ここで僕が言いたかったのは、日本で星の話をするときに、西洋の天文学と中国の天文学が完全にまぜこぜになっているということなのです。上の場合、北斗七星=中国天文学、おおぐま座・カシオペア座=西洋天文学となります。その結果、七夕伝説を記した子供向けの本に「わし座の彦星とこと座の織姫が・・」などという、「魚偏にブルーと書いて鯖と読む」で有名なミスタージャイアンツ状態になっているのです。ちなみに、正式名称はそれぞれ牽牛星と織女星といいます。

そこで今回のレジュメではギリシャ神話などでおなじみの西洋天文学に対して、中国天文学について簡単に紹介し、それらが三国志の中でどのように活かされているかをサラリと見るという形式で行きたいと思います。なお、星座という言葉は一般に西洋のものを示すので、以降、中国の星座は星宿(中国では星座をこう呼んでいる)と表記します。

[星を見るひと]

星を見るひと、それは昔のファミコンソフトで、「燃えろプ○野球」「た○しの挑戦状」に匹敵するといわれたヘッポコゲームのこと・・ですが、そんなことはどうでもいいですね。本題に入りましょう。

洋の東西を問わず、古代から人々は星を観察し、それを生活に組み込んでいました。西洋天文学の有名な古典的伝説として、エジプトでは太陽とシリウス(おおいぬ座)が同時に出没することがナイル川の氾濫の警告となっていたというものがあります。星は地球の公転により、明け方の東の空に現れる星座は見かけ上1日1°ずつ西に移動します。このとき、シリウスが太陽と同時に現れる時期がたまたま春の洪水の時期と重なっていたためにシリウスが洪水の前兆を示す指標となったのです。

その結果、彼らの重点は地平線と黄道(太陽の通り道)となり、そこから星占いに欠かせない黄道十二宮が誕生するわけです。ちなみに僕はおとめ座ですので、処女宮でヴァルゴのシャカです(なんのこっちゃ)。

一方、古代中国で発達したのは対置観測法でした。よく小・中学校の理科の教科書に出てくるような、ドーム型の天球を思い浮かべてください。簡単に説明しますと、球の中心Oが観測者の位置を示し、横の面NESWが地面です。中心Oから真上に伸ばした線と天球との交点Zは天頂を示します。Zの右には天の北極Pがあり、直線POに対して点Oを含んで直交する円は天の赤道です。また、観測者の南北と天頂を通る円NZSZ’(Z’はOの真下の点)は子午線です。また、任意の周極星をxとしてこの星が日周運動するときに子午線と交わる点をA、Bとします。ここで彼らは周極星がA、Bを通過する時刻を測定し、そこからそれぞれの星を区別していったのです。

そこでPxを延長し、赤道との交点をMとします。いくつかの星で同様の作業を行って赤道をほぼ28等分し、赤道近辺の28の星と関連付けたものがいわゆる星宿というものです。これをさらに東西南北で分け、各方向7宿ずつとなっています。

これについては昔、ふしぎ遊戯という少女漫画で扱ってたような気がします(なんか違う気も・・)。下に28宿の表を載せました。

北方玄武
西方白虎
南方朱鳥
東方蒼龍 テイ

ただ、実際に天文図とかで星宿の位置を確認すると、赤道近辺とか言いながら結構宿の位置は赤道からずれています。これは長いときが経つうちに赤道がずれたからです(地球の歳差運動によるもの)。定められた当時は赤道上にあったのでしょう。

 このような宿による天体の体系化は数学的に言えばまさに極座標(y=rsinθ)そのものといえます。中心からの距離rを一定に保った任意の点xにおいて、角度θを28通り代入したものがそのまま28宿の位置座標を示すというわけです。実際、10世紀には星宿をθの角度の数値で表現しているのに近い天文図も出てきています。

[星神はいつ頃あらわれたのか]

中国では常に動かない北極星を天の皇帝とし、周りを巡る星々を家来としました。そこで北極星の近くの星は三公(大臣)とし、後宮の星を定めたり、車騎・虎賁・羽林軍といった将軍の星を配置したわけです。離珠は将軍名では無かったような・・?(爆)

これらの話をすると、「そんな昔に正確な測定ができたのか?」という疑問がつきまといます。が、前漢の時代には天文の測定は制度化されており、さらにここには載せられませんでしたが、この測定に使われる器具(西洋ではノーモンと呼ばれている)が帝堯の時代に開発されたことが書經に書かれています。堯の時代というのはさすがに嘘だと考えても、おそらく春秋戦国の諸子百家の時代あたりには始まっていたのではないでしょうか。

 また、本題とずれるので細かい説明はしませんが、中国の宇宙論は漢から晋の段階ですでにケプラーやガリレオのレベルに達していました。漢代の張衡が渾天派の宇宙論として過去の見解をまとめ、後漢の蔡ヨウがこれを正当であると上奏し(相手はおそらく霊帝)、呉の陸積・姚信(共に陸遜の一族)・王蕃(末期の呉を支えた能臣だったが、酒宴の席で威風堂々としたところ、しらふと勘違いされて激怒した孫晧に斬られた。部下を酔わせて醜態をさらけださせ、それを嘲笑って楽しむのが孫権以来呉の君主の伝統である)が発展させ、5、6世紀にほぼ体系化されたのです。蔡ヨウ・陸積は三国志ゲームにも登場する人物なので、ご存知の方も多いのではないでしょうか?

 西洋で宇宙論が進歩しなかったのは、無限宇宙論がキリスト教と相反するものだったからでしょう。

[五行と惑星]

皆さんは五行説をご存知でしょうか。いわゆる、木火土金水というものです。日本にも一部の概念は入ってきていますが、中国では先ほど述べた東西南北に、星宿以外にも方角・色・地域など何でも組み合わせてしまったのです。北原白秋の「白秋」や「青春」はこれが由来であると言うのは有名な話です。

五行
季節 土用
方位 中央 西
塩辛い

天体に関しても、北極星の周囲を回転する星以外に不規則な動きをする惑星に注目し、5つの惑星に木火土金水を当てはめ、それぞれ歳星(木星)、ケイ惑星(火星)、填星(土星)、太白星(金星)、辰星(水星)としました。ここで特に注目したのが逆行と留です。高校の地学で習う範囲ですが、要するに、地球と惑星は角速度が異なるため、たまに見かけ上惑星がその場にとどまったり(留)、反対方向に動いたり(逆行)するように見えるのです。

天文官はこれらの惑星の特殊な動きを観測し、28宿と関連付けていったのです。

[貴方も天を読める?]

とりあえず、魏書文帝(曹丕)紀を見てみましょう。

昔、光和七(184)年、歳星が大梁に位置したときが、武王(曹操)の天命を受けられた最初ですが、そのときに将軍として黄巾を討伐され、この年改元されて中平元年となりました。建安元(196)年、歳星はまた大梁に位置し、はじめて大将軍を拝命され、十三(208)年、またも大梁に位置し、はじめて丞相を拝命されました。今二十五(220)年、歳星はまたも大梁に位置し、陛下(曹丕)には天命を受けられたのです。

これを読んで内容が100%理解できた人はさすがにいないのではないでしょうか。ここで簡単に注釈をいれますと、歳星(木星)は義の象徴であり、逆行は凶事を、留は徳の高さを示します。また、大梁は28宿の畢(ひつ)にあたり、地域では魏を示しています。

つまり、魏にとっていい象徴があらわれたときに、実際いいことが起こっているから、魏は天命を受けていると解釈しているのです。とても御都合主義ですが、これらはおそらく長年の経験にアレンジを加えて完成されていったものなので、仕方ないことといえます。

[最後に]

中国の天文学は占星術とともに発展したものであり、とてもわずかな文章でまとめられるものではないため、それぞれの説明が薄っぺらいレジュメになってしまったことをおわびします。もし、このレジュメを読んで星に興味がわき、勉強してみようかなと思った方が一人でもいてくれれば僕としては幸いです。下の参考文献は、中国の天文学をかじりたい人にはお勧めの本です。ぜひ手にとって眺めて見てください。


[主な参考文献]

「史記(上)」司馬遷 著 野口定男ら 訳 平凡社刊

「中国の科学と文明」ジョセフ・ニーダム 著 東畑精一ら 訳 思索社刊

・・・あと最低限の知識として、中学・高校レベルの地学のテキスト(笑)。

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