私評 阿会喃 アカイナン

阿会喃は三国志演義に出てくるキャラの中でも、董荼那と並んで悲劇の武将の筆頭候補である。むしろ、董荼那より扱いがひどくなっている(当社比135%ほど?)。

横山三国志では董荼那と阿会喃が並んでいるシーンも多いうえ、諸葛亮に降伏をすると偽って孟獲に呼び出されたとき、2人して「やっと降伏されるか。やれやれ」みたいなことを言っているので、阿会喃が殺される原因もまだわかる。しかし、演義では阿会喃は何もしていない。強いて言えば、最初に張翼に捕まったときに放免されただけであり、その後蜀軍と戦ったことも、戦わずして逃げ帰ったことも、孟獲を捕まえる共謀をしたことも書いていない。

考えるに、阿会喃が殺された理由は単に董荼那のペアだったからだけの気がする(横山三国志では、「董荼奴(那)が裏切ったならば、阿会喃も油断はできん」とハッキリ言っている)。もし金環三結が生きていても、一緒に殺されていただろう。これを不幸と言わずに何と言おう。

その観点から横山三国志を読むと、ある重大な事実に気づいた。阿会喃はまるで触角のような羽飾りを兜につけている。あれを見たときに何かを感じ取った方もいるのではないか。そう、いわゆる「不幸アンテナ1」の三国時代版であろう。少し形が違うが、あの形状は間違いない。あれが進化して今のゴキブリ型アンテナになったのである。
そこで、もう一度横光を読んでみよう。扱いの悪い南蛮の武将の多くが、この不幸アンテナをつけているではないか。そういえば、三国無双では
呂布も巨大なアンテナをつけている。さすが呂布だ!

:不幸アンテナ→2000年前後に流行し、赤松健や月天などにその特徴が見られる。ネタがわからない人は「google検索」を使ってお勉強しましょう(ヲイ)。

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