私評 兀突骨 ゴツトツコツ

五穀を食べずに生きた蛇や獣を食べたり、体には鱗が生えて刀も矢も突き通すことができなかったり、左右のあばらの下に鱗を剥き出しにしていたり、極めつけは眼から怪しげな光を放つなど、兀突骨の描写は明らかに人間離れしている。

そこで僕が出した結論は、兀突骨は人間ではないということである。

・・石を投げないで下さい。パイ投げも禁止。

別に冗談で言っているわけではない。兀突骨のモチーフは明らかに人外の生物なのである。三国志演義が生まれた過程を考えてもらいたい。大衆小説として広まっていく過程は、水滸伝・封神演義・西遊記と同一である。三国志は一応史書がベースなので、荒唐無稽な話はできるだけ削除されているが、南蛮編はどうだろう。法術が出てきたり、兵器が出てきたり、まるでファンタジーである。つまり、南蛮編は三国志の中でもとりわけ脚色がなされているわけである。封神演義では動物が人間化した道士などが出てくるが、兀突骨もその一人ではないかと僕は考えた。では、兀突骨は何の化身なのか?・・答えはである。最初はムカデの類を疑ったのだが、考察の過程で蛇に落ち着いた。

考察@ 烏戈国という名前について

長江上流に位置する今の四川省・雲南省のあたりには古代から太陽信仰・蛇信仰がある。長江文明の一つ、三星堆遺跡で発見されたものの中に、太陽を生み出す世界樹の銅像がある。ここで世界樹にとまっている鳥は烏である。烏が太陽を運ぶと考えられていたのである。そういえば、長江下流のほうでも呉の甘寧と烏の関わりを示す伝承がある。日月の別名を「烏兎」というし、「烏」の部首は火を表す「れんが」である。「烏」は太陽信仰と深いかかわりがあったと考えてよい。また、広西省のあたりに住んでいたと言われる未開人を「烏滸」と呼んでいた事からも、「烏戈国」は南方を意識した命名だと考えられる。

考察A 兀突骨と蛇の接点

@より南方は太陽(火)・蛇がシンボライズされているということが推察できる。孟獲のいる南蛮が「太陽」で兀突骨のいる烏戈が「蛇」と分けられる。実際、木鹿大王までの諸将は全員南蛮人であり、兀突骨だけが別の国とはっきり書いてある。そこで兀突骨の体型を考えよう。
A.五穀を食べずに生きた蛇や獣を食べる
B.体には鱗が生えている
C.左右のあばらの下に鱗が剥き出し
D.眼から怪しげな光を放つ
どれも蛇の特徴である。Cに関しては、蛇のあばら付近には手足の名残の鱗が突起状に生えていることからの類推。Dに関しては爬虫類はてかりがあることからの類推であろう。

考察B 名前と蛇の接点

兀突骨の「兀」に「虫」をつけると「(まむし)」になる。また、藤甲軍の「藤」は形声文字であり「滕」にしたがったものだが、これを「虫」をからめると「(竜に似た神秘的な蛇)」になる。兀突骨が死亡したのも盤蛇谷であるし、蛇との関連性は非常に高いと思われる(もっとも、「虫」という字自体がヘビなので、強引なこじつけなのだが)。

というわけで、兀突骨は蛇の化身だったと考えられるのである。もともと中国は黄河文化VS長江文化の構図があったので、太陽信仰・蛇信仰を貶める意図もあって書かれたのかもしれない。ちなみに太陽信仰を持った南方系民族が海をわたって日本に太陽信仰をもたらしたとする説もあるが、ここで紹介すると長くなるので、省略する。

参考文献
「西遊記〜トリックワールド探訪〜」 中野美代子著 岩波新書  2000
「龍の文明・太陽の文明」        安田喜憲著   PHP新書 2001

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