演義編 祝融夫人 シュクユウフジン

南蛮王孟獲の妻。演義ではおそらく唯一の、闘う女性。

代々南蛮に住む祝融氏(伝説上の火の神)の末裔で、飛刀を投げれば百発百中の名手。背中に5振りの飛刀をさしはさみ、1丈8尺の長柄の槍を持ち、巻き毛の赤兎馬に乗っている。

三江城を奪われた孟獲が困り果てているのを笑い飛ばし、出陣を希望する。孟獲が許可すると、一族の勇将数百人(某無双では何故かアマゾネス部隊になっている)と5万の洞兵を連れて銀坑洞を出陣した。

出会い頭に張嶷にであい、一騎打ちをする。偽の退却につられた張嶷を飛刀で落馬させ、救援に来た馬忠の馬をからめとり、生け捕りにした。

あくる日、趙雲と魏延と立て続けに一騎打ちを申し込み、偽の退却をするが伏兵を畏れて追撃しない。

しかし数日後、兵士の罵声に怒った祝融はついに魏延を追ってしまい、馬岱の伏兵に生け捕りにされた。
「闘う女性」→「男勝り」→「結構短気で挑発されやすい」という構図は水滸伝にも見られる。当時の女性観を示したものであろう(・・まあ、現在でも女傑という言葉を使うが)。その後、人質交換で張嶷・馬忠と入れ替わりで帰陣した。個人的には、
どう考えても釣り合わないレート交換であると思う。

帯来洞主が偽の降伏をする際に、縄に縛られて蜀の陣地に赴くが、それを見抜いていた諸葛亮に本当に捕まってしまう。結局夫婦揃って釈放された。

盤蛇谷で誘引された孟獲が捕らわれたと同時に、陣に攻めてきた王平・張翼によって一族もろとも生け捕られた。

一族郎党で最後の晩餐をしているときに放免の使者が来たが、孟獲とともに観念して諸葛亮に降伏した。結局、人質交換で帰ってきたあとは何の活躍もしていない。蜀軍が怖くなってしまったのか、それとも孟獲が妻を危険にさらしたくないので奥に引っ込めたのだろうか?

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