演義編 朶思大王 ダシダイオウ

西河の西南にある禿竜洞の洞主。孟獲と親しいらしい。

諸葛亮に負けた孟獲が救援を求めると、「西川の奴らが来ても生きて帰さない。諸葛亮らを骨にしてやる」と自信満々。

その計略の要点をまとめると、

・禿竜洞に至る道のうち、安全なほうの道(北東ルート)をふさぐ。残りの道(西北ルート)は険しい山道で道は狭く、間道があるが毒蛇やサソリの巣。

・日暮れには瘴気がおこって巳〜午の刻(10時〜14時)にならなければ収まらず、通行できるのは未〜酉の刻(14時〜20時)だけ。

・飲み水は無く、その代わり4つの毒泉がある。「唖泉=甘味があるが、飲むと物が言えなくなり、10日で死ぬ」「滅泉=普通の湯と変わりないが、つかると皮膚がただれ、骨が出て死ぬ」「黒泉=澄んでいるが、触れると手足が真っ黒になって死ぬ」「柔泉=飲むとのどが冷たくなり、身体が綿のように弱くなって死ぬ」

・漢の伏波将軍(馬援)だけは来たことがあるそうだ。漢中心、御都合主義の典型と言えよう。

確かに道をふさぐのは計略だが、胸をはって言うセリフでも無いような気がするのは僕だけだろうか。

しかし諸葛亮が馬援の廟に参拝すると山の神が現れて毒泉の対処法を教えてしまう。神の導きで孟節のもとに導かれた蜀兵は元気になり、禿竜洞に押し寄せた。

元気な蜀兵を見た朶思大王は「これこそまさに神兵です」と仰天する。やはり道をふさぐ程度を計略といってはばからない彼の能力を示した発言といえる。

おびえる朶思大王をたきつける孟獲であるが、そこに偽の援軍に来た楊鋒に生け捕りにされてしまう。それでも降伏を認めない孟獲とともに、諸葛亮に解放された。

銀坑洞に戻った孟獲の指示により、朶思大王は三江城の守りにつく。この城は三方が川に接しており、陸地は一方しかない。諸葛亮は魏延・趙雲に城を攻めさせるが、毒矢攻撃により撃退する。何と南蛮兵は一度に10本の矢を射られるのだ。彼らを捕虜にすれば連弩を開発する手間が省けるはずである。

諸葛亮は兵士達の着物の襟に土を入れ、これを土嚢にして城壁を越える階段を作る強攻策に出た。蜀兵が攻めてこないため油断していた城兵はこの夜襲に気づかず、土の階段を上って城内に攻めてくる蜀兵に気づいたときには遅かった。弓を撃つ間もなく捕虜になるか殺され、朶思大王は乱戦の中で死んだ。

だから、ここで蛮兵を殺さずに生かしておけば、連弩を作る手間が省けたと言うに・・

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