私評 張皇后 チョウコウゴウ

正史では劉禅は張飛の長女を皇后とし、敬哀皇后が死去したため、次女を皇后として迎えているが、演義ではこれら2人をまとめて張皇后としている。たしかにどちらも張飛の娘には違いないので区別する必要もないと考えたのかもしれないが、脇役の悲しい宿命である。演義では主役以外は結構いいかげんな描き方をされている場合が多いし・・

また敬哀皇后が死んだ後、妹である張貴人が皇后になったが、張飛の娘にこだわる必要があったのだろうか?そこで考えられる点を挙げてみた。

@連れが死んだ場合、連れの姉妹(夫が死んだ場合、その兄弟)と再婚する習慣があった。
A張一族は魏の夏侯家の血も引いており、パイプとしての機能を重んじた。
B張姉妹が美人だった。
C先帝の義弟として張一族は権力的に強い立場におり、それを磐石のものにするため娘を皇后にさせた。

 可能性としては@かCが高いのではないだろうか。Bも面白いのだが。

 正史 演義 戻る