私評 甘皇后 カンコウゴウ

劉備の夫人の中では、もっと影の薄いうちの1人であろう。正史にも演義にも出ているにもかかわらず、横山光輝の漫画には出てこないのである。横山光輝は子供も見るから、さすがに正義の清純派主人公の劉備が妾を2人も連れるのはマズかろうと判断したに違いない。漫画に出てくる夫人は、劉禅を産んで長阪で死ぬので、2夫人を足し合わせたようなものである。これのせいで、僕の頭の中で演義や正史を読んだときに2夫人の区別がしにくくなってしまった。

劉備の死のあたりに荊州から移葬しようとしているが、このときにはすでに荊州は呉のものだった筈である。おそらく、対蜀戦の直後に魏からも圧迫を受けた呉が蜀との友好関係を修繕するために打った手の1つであろう。事実、白帝にいる劉備に孫権が和睦の使者を送っているので、この時に条件として出されたのかもしれない。そう考えると、演義でも正史でも、政治戦略のカードとして翻弄された人生であったといえよう。

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