正史編 甘皇后 カンコウゴウ

沛出身。劉備が豫州刺史として小沛に住んでいるときに妾となった。劉備はたびたび正室を亡くしたため、甘夫人が奥向きのことを取り仕切った。荊州で劉禅を生んだが、曹操が攻めて来て当陽の長阪で追いつかれ、追いつめられた劉備は甘夫人と劉禅を置き去りにして逃げたが、趙雲に護衛を頼んだため、母子は難を免れることができた。

後に死去し、南郡に埋葬された。

章武2(222)年、皇思夫人と諡され、蜀に移葬しようとしたが、その最中に劉備が死去したため、諸葛亮は頼恭と検討し、劉備と甘夫人を合葬するよう上言し、許可された。諡号は昭烈皇后という。

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