演義編 甘皇后 カンコウゴウ

小沛出身。苦難の時代の劉備に嫁いだためか、呂布が攻めれば呂布の捕虜となり、曹操が攻めれば曹操の捕虜となる。曹操のもとでは関羽の保護下に在り、関羽は甘夫人・麋夫人を守りながら劉備のところへと千里を突破した。荊州に落ち延び、駐屯先の新野で北斗を飲んだ夢を見た夜に身篭ったため、生まれた息子は阿斗と名づけられた。曹操が再び来襲し、幸い趙雲に発見されたため麋竺と共に長阪坡まで送ってもらえた。が、おそらくこのために麋夫人の発見が遅れて麋夫人は死ぬことになったと思われる。ついでに阿斗も死んでいれば蜀の運命も変わっていただろう。天とは人智を超えたものである。後に荊州城内で死亡し、劉備の死後に昭烈皇后と諡された。

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