沈思黙考

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10月31日(火)

川俣は寒くなっており、起きてすぐにストーブをつけた。昔は水道管破裂防止のため、一日中水道の蛇口を開けていた(使わないときも、ポタポタ垂らした)のだが、今は水道管用のヒーターがあるらしく、蛇口を閉めても朝に水が出る。昔住んでいた時に、うっかり蛇口を閉めて寝たため、朝水道の蛇口からツララが出ていたこともあったと言うのに。時代は変わったなぁ。でも、公立小学校から学ラン制服があるのは以前と変わってないなぁ。


10月30日(月)

川俣に行きたい・・と書いた所、本当に行くことになってしまいました。役所の手続き関係のハンコを単身赴任中の父が持っているため、僕が川俣までハンコを取りに往復することになっただけのこととはいえ、実現するとは驚き。「ひょうたんからこま」違う。「嘘からでたまこと」何か違う。日本語の微妙な表現が難しい。知っていても、即座に的確に使えなければ意味が無い。自分の言いたいことすらいえないのか、僕は。


10月29日(日)

昨日の巨人の優勝の余韻に浸りながら、朝は日本テレビのジャイアンツ特集を見つつ、父と茶で乾杯。優勝シーンを見ながら珍しく父が目を赤くしている。僕は例によって泣かないんだけど。
さて、本日はサークルのイベントにくっついて(しつこいOBだ)、中国文明展&中華街ツアーにおもむく。お目当ては点心料理。なかなかおいしかった。が、頼んだ人は、自己責任で最後まで食べてほしかった(残飯処理係として)・・で、中華街は相変わらず妙なもののオンパレード。特に印象に残ったのが、「新世紀 福音戦士」さあ、何でしょう?正解はエ○ンゲリオンの中国語版でした。福音戦士ねぇ・・意味的にあっているのかいないのか。


10月28日(土)

 以上、プレイした率直な感想を書いてみました(10月19日から続いていた)。いやあ、まさに「沈思黙考」にふさわしいですね。ゲームの内容についての感想が無いのは妙な気もしますが、これが正直な所です。「遊ぶゲーム」じゃないですね。というか、僕がプレイしたのは全年齢対象版ですが、これの18禁バージョンというのがむしろ想像つかない・・このストーリーのどこにそんな要素があるの?

再び思い出の地、川俣に行きたくなりました。国鉄川俣線に乗り、裏山を探検する。叶わぬ夢ですが・・


10月27日(金)

 何故僕が理論を好むのか、感情を殺すのか、よく思い出してみると理由は山のように出た。逆に、それに疑問を感じていた自分がいたことも思い出した。が、それらを全て忘れて僕は理論を好み、自己制御してきた。昔からそうであったかのように。いちいち考え直すことなどもなかったからである。ただ、これからも僕はこのままでいると、今は思う。それを一瞬にして思い起こさせたカノンって凄いゲームだなぁと思った。


10月26日(木)

 先輩がバイクの自損事故で他界した。先輩の机やパソコンはそのままにされた。僕は無意味だからその実験机を他人が利用したほうが有効だと思ったが、今年度はこのままと決まった。以後、その机を見るたびに嫌な気分になった。机を見ていると、先輩のことを思い出してしまう。机が無ければ思い出して悲しくなることも無い。僕は気付いた。感情を殺して制御するのは、そうすることで悲しまなくてすむからだと。


10月25日(水)

 大学のときに自○会がうるさかった。彼らは感情的過ぎた。学校側もムキになりすぎていた。打倒当局を宣言する彼らの一人がビラを配りながら、椅子に座っていた僕に同意を求めたことがある。暇だったので応対した。僕は彼のセリフに自己矛盾を発見して突いた。彼はしどろもどろになった。彼は「あなたの考えが聞きたいんです」と反論したが、「僕の意見の前に、矛盾した理論で他人に説教するのはナンセンス」と切り替えして追い返した。
 が、その後「僕の意見って何だろう」と思った。僕は客観的に判断し、的確な理論でこれまで応対してきた。それは確かに自分の理論ではあるが、果たして本心なのかと。僕は巨人については説明できない。昔からジャイアンツファンだが、それを客観的に、理論的に説明できない。そうか、僕は自分の考えを出すのが怖いから、「理論」というオブラートに包んで誤魔化していたんだ。自分の意見がさも理論に従うかのように見せて・・


10月24日(火)

 高校のときにサリン事件が起こった。うちは某幹部の出身校ということでも注目された。横○弁護士が「サリンの死亡者は戦争と比べたら」と言って非難されていたが、僕は少なくともその意見に同意した。一応化学をかじっているのでサリンの怖さは知っている。撒かれたサリンは手作りの粗悪品だったから死者が1ケタですんだのだ。
 が、世間はそうは見ない。現在、信者の子供の修学問題を見ればわかる。僕はつくづく世間がアホに見えた。時に17歳。今の17歳もそんな感じなのだろうか。「1人殺せば殺人で、1000殺せば英雄だ」とかいう言葉を知った。その通りと感じた。カッターナイフ所持で信者が逮捕されるなど、過敏になりすぎている社会に不安を感じ、周囲に漏らしたが、賛同者は半分に満たなかった。やはり世間はアホである。一時的な感情に走らず、客観的に判断しなければ。ますますそう思った。


10月23日(月)

 高校に入った。そこは自由な学校だった。某教員の「タバコ、窃盗、殺しだけはやるな」という名言もある。そこは本当に自由だった。が、中学時代に校則の名のもとに信念を貫いた僕には不満だった。少なくとも、非常識な人間が多かった。教室の後ろには破れたハズレ馬券が舞う。生徒総会ではトイレットペーパーや罵声や紙飛行機が飛ぶ。偏差値70のバカ収容所という通称が良く似合う気がした。練馬監獄とも呼ばれているらしい。
 僕は歯がゆかった。校則がないから大義名分のもとに取り締まれない。だが、僕は気付いた。そうか、校則ってのはあると楽なんだ。それに従っていればいいから・・。何故20世紀初頭に社会主義が広まったかを自分なりに理解できる気がした。決まりがあれば、それに従っているだけでとりあえず生活ができるんだ。彼らはそれが無くなった今、自己で統制が取れないんだ・・
 幸い、僕は中学の時に「校則」から「自己信念」に乗り換えていたため、統制を保つことが出来た。それが出来ないものは堕ちていった(当然、学力的にも)。毎年学力不振による留年・退学者が40人前後出る高校である。「何が甘い学校か?こんな怖い所は初めてだ」そう思った。僕は自分の存在を主張するかのように自己統制・理論武装をさらに固めた。ただ、さらに悪に寛容になった。世間的に悪でも、それが自分の信念に従っていれば僕は評価するようになった。自分を見失って生きるよりはずっと建設的である(もちろん、ただの悪党は嫌い)。


10月22日(日)

 福島から東京に帰るときに大泣きした。「この涙は伊比君の思い出です。誰も触らないように」と先生は語って、床にこぼれた涙をそのままにしたが、5分後に気付かぬうちに靴で踏んでいた。言動不一致だった。その瞬間、悲しさは消えた。
 東京に来て「田舎者」と言われた。最初は反発したが、そのうちにアホらしくなった。すると、自分が反応しなければ相手も反応しないことに気付いた。やっぱり理不尽だった。小学生の男子はとかく感情的で、すぐに実力行使に出た。僕はそれが嫌いだった。自動的に、それは感情が制御できない人間への嫌悪につながった。
 5年か6年のときに級友が死んだ。少し悲しかった。が、感情より先に、動かぬ友を見て「生命活動の停止って何だろう」と頭に浮かんだ。悲しくなくなった。客観的に物事を考えれば悲しくなくなることに気付いた。
 中学のとき、僕は理論武装を身に付けた。全てのものを客観的に受け取って、客観的に判断する。喜怒哀楽すらも理論という最高の制御装置で制御する。笑う僕も怒る僕も全ては制御された、いわば演技である。僕は優秀な機能をもつ機械で構わないと本気で思った。ある日、家に帰ったら2階で祖父が昼寝しながら死んでいた。家人が買い物に行く前は生きていた。僕は冷静に「生と死ってどこが境界なのか」と思った。そこに悲しさはなかった。葬儀のときも冷静に判断した。「立派」と評されたが、僕にはむしろ、悲しみのせいで判断力が鈍っている周囲の大人のほうが変だった。僕は立派なのではなく、普通に判断しているだけだ。


10月21日(土)

 幼稚園まで東京にいた。入園して1月もしないうちに親の転勤で福島県の山中に引っ越した。東京の幼稚園の思い出はあまりない。福島では「東京者」と馬鹿にされた(東京出身者は、地方ではそのことを滅多に口外しないほうが身のためだと思います・・)。ただ、次第にうちとけて僕は福島人になった。
 小学2年のときにもとの東京の家に戻った。「福島の田舎者」と馬鹿にされた。理不尽だった。
中学校に入って運動部に入った。先輩は後輩を酷使した。「先輩だから」「年上だから」セリフは決まっていた。あるとき「先生も年上なのに、どうして先輩は先生には従わないのですか?」と言ってみた。殴られた(当然?)。理不尽だった。でも、この言葉に一部の先輩が共感してくれて部活の上下関係は変化した。僕は決意した。そうか、これはやはり理不尽だったんだ。僕が道理を通せば、変われることもあるんだ。三国志演義で得た諸葛亮の戦略(笑)と、サラリーマン向けの権謀策略の本が僕の武器だった。
 「理論で戦う」僕の信念と「学校の秩序」を願う先生の思惑は一致し、僕は先生と同盟を組んで校則違反者を刈り取っていった。いじめの被害者に頼まれていじめグループの人間関係を崩壊させたこともある。理不尽なものは許さない。学校には校則というシステムがあり、その中では校則が理論だ。不良グループ(今思えば、大して悪いことはしてなかったなぁ)とは徹底的に敵対した。たまに囲まれて脅されたり、殴られたりもしたが、「言葉に力で返すのは理不尽」であり、僕は屈服しなかった。
 そのうちに互いの間に妙な友情が生まれた。僕も彼らも、決して共有することはないけれども、自分の信念に従って生きているということを理解したのである。彼らのグループにも決まりがあり、それを破ることはしなかった。「彼らの理論」の中では正常に動いている以上、彼らは理不尽ではなかった。僕はそれを感じ取り、彼らに干渉しなくなった。ただ、僕の武器は理論のままだった。


10月20日(金)

気付くと僕は学校にいる。教室に入ると友人達がいる。今の友達もいれば、何故か小学校のときの友人もいる。それらが同じ教室で授業を受けている。あまりにも日常すぎる光景。授業が終わると僕は友と学食に出かけ、ランチを食べる。高校は男子校なのに何故か女子もいる。午後の授業が始まる。僕は過去の友人と現在の友人に競演に何の違和感も感じない。僕にとっては「友人」というひとくくりだから。そんな日常はなんとも言えず楽しく、懐かしい。瞬間、ふと目が覚める。それらは夢だった。
目覚めた僕はふと、周囲の確認をする。・・僕は今大学院生だ。高校ではない。そうか、あれは夢だったのか。「楽しくて何気ない日常という幻」の夢。あまりにも感傷的で都合の良い夢。ただ、そんな日は何だか懐かしい、ふんわりした気分で一日を過ごせる。久しぶりにこの夢を見たのはあのゲームのせいなのだろうか。昔は頻繁に見ていた夢であったが・・


10月19日(木)

で、ゲームクリア。それ以外のことを考えるゆとりはなかった。感想は長くなるので分けて書こう。


10月18日(水)

友人や先輩と九段下(神保町?)にある寿司を食べにいく。何と全品100円の廻り寿司。特にサバが絶品で、普通サバは酢で強くしめてあるため固いのだが、ここのサバはシメサバなのにトロリと脂がのっているうえに、3カンで100円なのである。満足。そしてそのあと某ゲームを借りて明日1日でクリアすることを約束させられる。よって今から気合。


10月17日(火)

ゴージャスでリッチな気分になったことはありますか?池袋の東武メトロポリタン口から出てすぐのメトロポリタンプラザに入り、すぐ右に曲がった所にトイレがあります。ただし、そこは普通のデパートのトイレではないのです。広さは洗面所・トイレ全体で約4畳半、それが全部個室として1人で占有できるのです。普通のトイレは便器が個室で洗面所は共有なのですが。あの広さを1人で満喫できるなんてゴージャス!気分もリラックス。そのせいかついゆっくりしてしまい、ただでさえ行列が出来るそのトイレはますます回転が悪くなるのだった・・


10月16日(月)

家にイモ虫が発生。どうやらカボスや野菜が入ったダンボールが発生源のようだ。虫がつくのは美味しい野菜である。・・が、イモ虫が家中にいるというのは困る。早速駆除を決行した。家中といっても結局見つかったのは5匹。これで全部であろう。ムシがわくのは構わないが、それで蜘蛛が増えるのが嫌なのである。


10月15日(日)

カボスが大量に届いたのでつぶしてジュースにしてみる。酸っぱいけどまあ栄養ドリンクだと思えば我慢できる。これからは鍋の時期だからカボス酢にするのもいいし、お風呂に入れてもいい。なかなか万能選手だ。


10月14日(土)

本日は部屋の整理作戦第2段として、趣味のものの整理を始めた。第1段で部屋の模様替えや棚の位置変えをおこなったので、その中身についての整理である。不要なものは処分してスッキリするのである。すでに使わなくなったセガサターンソフトは売却、本体もさるお方に引き取ってもらうことになっている。次は漫画の類である。幼稚園の頃より集めた漫画を捨てずに保存してあるのですでに500冊は下らない(父が本コレクターだった影響か?)。ウチが私設図書館と呼ばれた原因である。書籍は貴重なので田舎に移動したが、漫画は処分しても構うまい。が、古過ぎたためか汚れており、1冊10円とのこと。シクシク・・こうなったら妹の新しい漫画も売却対象にしちゃる!


10月13日(金)

イチローが大リーグ入りを希望して、球団も了承したらしい。が、昨年はオリックス星野・ロッテ小宮山・ダイエー工藤。今期はオリックスイチロー。知名度は高いロッテウォーレンも巨人入りを熱望とか。で、ダイエーは内部でのゴタゴタ。これはかなり本気で対策を練らないと、ただでさえ経営状態の悪いパリーグが本当に火の車になってしまう。イチローのいないオリックスの観客減は何パーセントか。可能性は低いが、これで松坂がイチローを追っかけて渡米したときが本当に最期になってしまうかもしれない・・


10月12日(木)

今オフもドラフトに向けて各チームリストラに励んでいる。が、問題は巨人である。巨人にはFAでベテランが移籍してくることが多いため、リストラ組の大部分は数年前にドラフトで取ったばかりの選手になる。大して他球団は年齢的に高めの選手をリストラしている。後者が普通だと思う。確かに今年の巨人の優勝の一因として、2軍上がりの選手の活躍が挙げられるが、岡島にしても、河原にしてももともとは知名度があり期待された即戦力ルーキーである。無名のドラフト下位から数年の2軍生活を経て芽が出た選手ではない。今の2軍は壊れた1軍の保養所である。それは「本来の2軍」の姿ではない。無名な若手を育てるより、他球団からベテランを獲得したほうが即戦力になるが、それでは正規部隊が存在しない傭兵集団になってしまう恐れもある。巨人には「ルーキーから即戦力」「他球団からの即戦力」しか必要ないということか?スタメンだと、「仁志」「高橋」「松井」「ニ岡」が前者。「江藤」「清原」「マルティネス」が後者。雑草生活をしていそうなのは「清水」「村田善」くらいでは?巨人の2軍選手は5年経って無理なら他球団に移籍したほうが身のためである。


10月11日(水)

体調不良のため、自宅静養となる。が、午後には回復したので買い物に出かけることにした。木材の店に行って本棚の中板用にラワン材を切ってもらったり、調子の悪い蛍光灯を修理したりといつもはできないことができた。たまには一日こうやって過ごすのも悪くないと思った。


10月10日(火)

今日は良い天気。やはり体育の日は10月10日でないと気分が出ない。10月10日は確率論でもっとも晴れる日ということで体育の日になったわけなので、別に由来が全くないわけではない。決まってしまった法案にはケチをつけられないが、つくづく残念である。


10月9日(月)

せっかくの体育の日だと言うのに、東京は雨が降っている。しかも雷まで鳴り響いている。ハッピーマンデー法案もいいのだが、やはり学生としては様々な曜日に祝日があるから嬉しさが増すというもの。もし全ての祝日が月曜にスライドしてしまっては、火曜〜金曜に授業が無くなって羽を伸ばせるあの感動がなくなってしまう。ついでに月曜日の授業が減って、科目間で回数に格差が出来てしまう。できれば体育の日は10月10日のままのほうが良かったと思う今日この頃。


10月8日(日)

本日はかねてからの念願であるMPM(Meguro Parasitological Museum)作戦決行の日である。目黒にある寄生虫館を見学に行き、帰りにざるきしめん(ざるうどん)を食べてくると言う遠大(?)な計画である。周囲も誘っては見たものの、日程の都合もあってか単騎行となった。財団法人目黒寄生虫館は大鳥神社の近くにあり、今日も見物客でにぎわっていた。入館は無料である。目玉は8.8mのサナダムシであろうか。1986年に鮒寿司を食べた人が感染したものの自覚症状が無く、こんなに大きく育ってから気がついたのである。とはいえ、自覚症状が無いことからわかるように、もともと人間に寄生している寄生虫は人間に悪さをしないのである。人間に害となるのは、もともと別の生物に寄生していた寄生虫が人間に寄生したときのみなのだ。古の住血吸虫やら最近流行りのエキノコックスやら、充実した一日であった。とはいえ、ざるうどんはあまり寄生虫には見えなかった。きしめんを喜多方ラーメンみたいにちぢれ麺にすればサナダムシに見えるのだが。


10月7日(土)

久々の日本晴れの日である。見るぶんには素晴らしいのだが、運動会を行うには辛いであろう。マラソン大会や運動会には晴天より曇天のほうが向いていると思う。こんな日に運動会をやらねばならぬ妹は大変だなぁ。


10月6日(金)

本日はサークルの例会でレジュメ発表。というか、OBがこんなことやってていいんだろうか?まあ、現会員の中にレジュメの用意が出来る人がいなかったようなので仕方の無いことなのだが。老兵はさっさと消えるべきとは思っていても、ついつい顔を出してしまう。いけないことだなぁ。とはいえ、久々の発表で緊張した・・


10月5日(木)

古本まつりで講談社現代新書を8冊も衝動買いしてしまった。内訳は「文科の発想・理科の発想」「タテ社会の人間関係」「異常の構造」「日本人の行動様式」「理科系の作文技術」「恥の構造」「性格分析」「時刻表ひとり旅」で合計1050円。さすがに1日で読み終わる量ではない。教員を目指す身であるから、人間関係とか、性格分析とか、日本人の民族性とかに関わる内容の本を見るとついつい研究したくなってしまう。生徒も教員も人間であるゆえ、組織を正常に機能させるにはこれらの知識は必要ではないかと考える。とりあえず、人を上手く動かす(あやつる?)基本的なノウハウを覚えたから、さっそくバイト先の塾生で試しに練習してみよう(実験台?ひどい・・)。日常生活は常に実験と実践の場である


10月4日(水)

今日は朝から図書館にこもって勉強タイム。それにしても、図書館は涼しいし、あまりまぶしくないし、静かだし、ほんのり湿ったようなかび臭さや古本独特のにおいが入り混じっており、僕としてはこれ以上環境がいい空間は無いのではないかと思う(まぶしいもの、うるさいもの、きれいすぎるものは苦手なのです)。たまたま昼の時間に手が空いたのでサークル活動を覗いてみると、キチンと進んでいるようで一安心。一緒に食堂で昼を食べたけど、本音としてはメーヤウがよかったなぁ(未練)。


10月3日(火)

巨人弁護論に約一週間費やしてしまった。まあ、ただの日記よりは沈思黙考の名にふさわしいかも。これからもたまにはこういう企画物良いかも知れないと思った。ただ、今の心境としては眠いの一言に尽きる。一日平均睡眠3時間でレジュメを仕上げたせいである。ここまで集中力が続いたのは久しぶりだ。頭も錆びついていたかと思ったが、まだまだいけそうな気分がする。12月に向けての良い練習となった。


10月2日(月)

巨人弁護論その5首脳編にいう。巨人の監督は現在長嶋で、オーナーは渡辺。これは野球好きなら誰でも知っていることである。が、阪神はどうだろう?監督は野村である。ではオーナーは?ヤクルト・中日・広島・横浜のオーナーは誰だろう?ここまで全て言える人は少ないのではないか。オーナーはもともと経営者であるが、野球に関する指揮権に関しては無いはずである。株主総会で、株主は会社の状態に言及することはあっても、いちいち現場に出向くことは無いのと同じである。が、渡辺オーナーは違う。自社の新聞・テレビを通して次々と注文をしてくる。「来期の監督」の話をするのは構わない。が、まだペナントの行方すらわからない5月にする話ではない。「4番を誰にするか」は監督が決めることである。「勝った負けた」については、ただのファンとしてのコメントに近く、”オーナー発言”の場でするコメントではない。ここまでオーナーが現場に近い状態にある球団は他にあるだろうか。全盛期時代の西武の堤オーナーも、もう少しマスコミには慎重だった気がする。いわば、巨人には指揮系統が2つあると考えられるのだ。「八甲田山死の彷徨」で、5聯隊が遭難したのは、本来は中隊長が指揮するはずの中隊に大隊本部が随行し、干渉したのが原因である。今の巨人はそれに等しいと考えられるのではないか。


10月1日(日)

巨人弁護論その4観衆編にいう。巨人が強くなくてはならないというのは誰が言い出したことなのだろう?おそらくはV9時代の世代であると思われる。日本人は特に、一度覚えこんだ印象はなかなかぬぐえない民族とみえ、たかがシンボルに過ぎない国旗国家論であそこまで過去を引きずれることからもわかる。三国人や差別問題もその一例であろう。逆に、戦後世代は体験していないから引きずれないのである。巨人も同様であり、V9達成により、巨人は強くなくてはいけないチームになってしまった。選手がいてチームの型ができるのではなく、最初からチームの型があるのである。人々は王や長嶋の豪快な、人を魅了するプレーに酔い、彼らの後輩にもそれを押し付けたのである。曰く、「巨人はかくあるべきだ」と。4番サードも、ホームラン重視も、先発完投も全てがV9時代の陰である。子供の頃巨人戦を見ていて、誰だか忘れたが解説者が「巨人の4番が2割8分で20本じゃあ駄目ですねぇ」と言っていた。何が駄目なのか?現在巷で話題になっているON対決も、その言葉自体が巨人が逃れられない呪縛の象徴であるといえるのではないか。オリンピックでも「○年続いたメダル獲得が途切れた」という言い方をし、多くの日本人はそれに歯ぎしりしているようだが、「前回は前回。今回は今回」という発想が出来るようになったとき、巨人も変わるのではないだろうか。

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