沈思黙考

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3月31日(土)

東京では珍しく、この時期に雪が降る。桜はすでに半分以上咲いているので、花見をしながら雪見酒としゃれ込むことも出来る。・・が、この寒いのにそんな酔狂なことをする人間は居るまいと思っていたが、上野公園ではテントを張って、そこで宴会をしている集団もいたそうである。確かに曜日的に今日やらねば次回は無いから引っ込みがつかないのだろうが、この寒いのにわざわざ頑張らなくても良さそうなものである。宴会後に横になったら、今日は本当に死ぬ気がするし。とりあえず彼らの根性に乾杯。


3月30日(金)

いよいよセリーグも始まった。巨人ファンの僕としては是非ともジャイアンツには頑張ってもらいたいものである。目指せ2年連続のリーグ優勝&日本一!!


3月29日(木)

塾の同僚と飲みにいく。色々話し合ってみると、僕と教育哲学がそっくりであることが判明し、意気投合。これまではそんなに意識していなかったのだが、何となく親近感が湧いた。考え方が似ているので、ちょっとした事を相談する相手として最適なのである。その講師と授業前の打ち合わせをわずか5分でもして、互いに今からの授業のシミュレーションをするだけで構成がかなりまとまってくる。


3月28日(水)

部屋を蚊が飛んでいた。とりあえず叩いて落としたが、もうそんな季節なのかと感慨深くなる。冬は虫が少ないからいいなぁ。春とか夏は虫が大量発生するから苦手である。虫が嫌いなのではなく、虫が発生することによって必然的に増える蜘蛛が嫌いなのである。蜘蛛一匹に背筋が寒くなる日々が始まるのかと思うと憂鬱。


3月27日(火)

どうやら僕は太りやすい体質であり、同時にやせやすい体質でもある。毎日きちんとベルト付のズボンをはいているのでわかるのだが、昨日と今日でベルトの位置が違ったのである(というか、ズボンをはく時にすぐに気付く)。変化が激しすぎるのは良くないことだと本に書いてあったが、こればかりは仕方が無い。最大1日で3kgやせたことも・・


3月26日(月)

塾の講習が始まる。1日6時間。予習時間がほぼ同じ時間かかる。忙しい。初日から体力をかなり消耗し、トイレに入ったら尿が怪しい色だった。シャレにならない。


3月25日(日)

明日から学校の事務手続きや、塾の春期講習のバイトが始まるため忙しくなる。そのため今日は一日寝て曜日。ずっとゴロゴロしていたのは久しぶりである(でも気が緩みそうで怖い)。せっかく1日空いていたのだからメインコンテンツの充実でも図ればよかったのだが、なかなかできないものである。趙雲伝の完成がもうすぐだから頑張りたいところではある。


3月24日(土)

小林よしのりさんが台湾に入国禁止になっていたが、先日解禁されたそうである。なんでも、「もう影響がなくなったから」だそうだ。確か入国禁止になってから1ヶ月経ったか経っていないかだと思うのだが、こんなに早く影響が無くなるとは(笑)。熱しやすく冷めやすい民族なのかしらん。まあ、日本人もそういう傾向はあるから人のことは言えないが。


3月23日(金)

ミールが予定通り、太平洋に落下したようである。「ロシア」「古い衛星」のセットから、あらぬ事態を心待ち危惧していた人は多いのではないだろうか。しかし、ニュースで「念のため屋内に避難を」と言っていたが、そこそこのサイズの破片だったら家ごと木っ端微塵になってしまうのではないかと思ったのは僕だけだろうか?


3月22日(木)

時事通信社から発行している「死体は語る」(上野正彦 著)は名著である。上野氏は前東京都監察医務院長であり、死体所見のプロフェッショナルといえる。以前「きらきらひかる」というドラマが好きで、再放送を毎回見ていた(僕が連続ドラマを毎回見るのは稀有)が、まさにこの世界である。最近医師のモラルなどが叫ばれているが、これを読むと自分が死んだときはこのような名医にかかりたいものだと思ってしまう。「生きている人の言葉には嘘がある。しかし、もの言わぬ死体は決して嘘を言わない」名言である。


3月21日(水)

ブックオフで欲しい本をチェックし、2冊の候補が挙がった。が、ふとトイレに行きたくなったのでいったん店を出てトイレに行った後、5分ほどして店に戻った。すると、さっき僕が目をつけていた本を他人が手にしているではないか。しかも2冊とも!買おうとしている本が100%重なるなんて何という奇遇であろう。その本はどちらも1冊しか置いていなかったので、結局どちらも買えなかった。トイレを我慢すればよかったと後悔しつつも、この偶然に少々感動(?)してしまった。


3月20日(火)

で、話を英語に戻して(先日より)、英語の発音で「CD」はなんと読むか。「シーディー」である。「シーデー」ではない。よく年寄りが「デズニーランド」と発音して笑われる。どちらも発音が「di」なので「ディ」と読むのが正しいのである。が、もう1つの例を見たい。「デジタルカメラ」はどうだろう。スペルを考えれば「ディジタルカメラ」と発音するのが当然であるが、どんな店でも「デジカメ」と書いてある。「ディジカメ」と書いてある店は見たことが無い。「デジカメ」を口にする人間が「デズニーランド」を笑うとは、これ自体が笑える話である。ちなみに発音を重視すれば、星矢の必殺技は「ペガス流星拳」となる。やっぱり違和感が・・


3月19日(月)

日本人の精神とは2000年前から普遍のものなのか。以前、何かの本で読んだのだが、日本語にはいくつかの読み方がある。例えば「雲」は「くも」とも「ウン」とも読む。「くも」はやまと言葉であり、「ウン」は中国の読み方。ここで多くの日本人は「ウン」と表記したことに違和感を感じない。外来語に使用されるカタカナを「ウン」に使用するのに違和感を感じないということは、「ウン」は日本古来の発音ではないと遺伝的に感じているからではないか。例えば、「1〜10」をカウントしてほしい。「いち・に・さん・よん(し)・ご・ろく・なな(しち)・はち・きゅう(く)・じゅう」となり、4・7・9に漢音を交えても違和感は無いが。が、「10〜1」と逆カウントして欲しい。4・7・9を「し・しち・く」と発音すると違和感が無いだろうか?これこそ、日本人が「漢音」を遺伝的にまだ受け入れてない証拠である。
現代、日本では英語に憧れを感じ、何でもかんでも英語にしている。日本は舶来品に弱いのだ。が、同時に漢字にも憧れを感じていないだろうか。暴走族の落書き、神戸の事件に限らず、文学の世界もそうである。漢字を多用する文章に対する畏敬。やはり漢字は異文化なのである。


3月18日(日)

回路に電流を流したとき、発生する熱量はジュールの法則より、
 熱量=電流^2×抵抗×時間
が成立する。超伝導体とは液体窒素などで冷やすことにより抵抗を限りなくゼロに近い状態にする物質のこと。つまり、どんなに電流を流してもほとんど発熱しないのである。パソコンやテレビームをした人ならわかるように、コンピューターにとって熱は大敵。ICチップの細い回路など、万が一、過電流を流したら上の式に基づいて熱が発生し、焼き切れてしまう。これが抵抗ゼロなら熱が発生しないのである。熱くならないパソコン!素晴らしい。!!が、これまで超伝導体を作るには、常に液体窒素で冷やしていなければ駄目だった。さすがにこれではパソコンには使えない。が、「常温超伝導」はいわゆる室温でも抵抗ゼロが作れるのである。これが実現すれば熱を考えなくてもいいので、冷却ファンが不要になり、CPUやメモリも「1GHz、128M」などと言わず、余裕で「100T(テラ)Hz」とかも理論的に可能になる。まさに、夢がいっぱい21世紀といったところか。


3月17日(土)

今日の夕刊にすごいニュースが載っていた。「常温での超伝導体の開発に成功?」という記事である。クロアチアの研究者が報告したらしいが、これが本当なら、21世紀初頭にして、いきなり今世紀最大の発見になるかもしれない。もともとクロアチアの技術力は高く、レーザー装置なら世界一の品質を誇る国である。友達のいる研究室の分析装置もクロアチア製である。だから信憑性も高く、期待が高まる。確かに、超伝導自体が新しい発見であり、5年もしないうちに高校の実験室でも作れるようなモノに発展していた(僕も高校時代に高温超伝導体を作ったことがある)が、まさかこんなに早く常温超伝導体が発見されるとは!ガセでないことを祈りたい。


3月16日(金)

最近コーエーの歴史シミュレーションや、友人から借りたアドベンチャーゲームのような、反射神経を使わないゲームばかりしていたせいか、アクションゲームの腕が著しく落ちてしまった。コナミのパワフルプロ野球も、以前は「パワフル」に余裕勝ちできたのが勝てなくなり、今では「つよい」にすら勝てなくなってしまった(以前、同様の愚痴をこぼしたときは、まだ「つよい」と互角だったのに・・)。さすがに「ふつう」にはボロ勝ちできるが、それも時間の問題かと思うと悲しくなってくる。上達するのは難しく、衰えるのは早いものである。


3月15日(木)

とりあえず改装工事が終了した。以前の「背景=緑、文字=白」と比べたらだいぶ見やすくなったのではないだろうか。我ながら自画自賛といったところである。ここに至るにあたり、以前のページの彩色に苦言を呈してくださった藤谷様と、見やすいページの参考としてわざわざ試案を作ってくださったぎわ様には感謝の念でいっぱいである。もっとも、まだまだ改良の余地はあると思われるので、これからも皆様には忌憚の無い意見をどんどん述べていただきたいものである。


3月14日(水)

どんな物語でも、少なくとも性描写が第一目的ではないだろう(AVは別であろうが)。すると、物語の中で性描写が占める重さというのがポイントになっている。「愛」がテーマの作品だと難しい問題になってくるが、それ以外の作品においては、究極のプライベートでもある性描写は取り扱うべきでは無いと思われる。「個人のエピソードの一環」を主張する場合でも、どんな密着ドキュメンタリーでも個人の入浴・トイレまで逐一を映す作品は見たことが無いのと同様、「日常」を目的とする性描写は映す必要性が無い。視聴率稼ぎといわれても仕方ないことである。エヴァの性描写に批判が多かったのも、大方必要性が無かったからなのだろう。僕自身は見たことが無いので、具体的な評論は出来ないが。少なくとも、「表現の自由」というアホな名分によって守られること自体がナンセンスな問題であると僕は思う。


3月13日(火)

土曜ワイドに見られる性描写が最近見られないのは、視聴者からの抗議があったからに違いないのだが、もともと番組中に見られた性描写は単なる読者サービスであり、性描写を放映する必要性が無かったから削られたのである。では、はたして放映する必要のある性描写は存在するか。非常に難しい質問である。以前見た推理ドラマで、性交中に相手の”下腹部の傷”を発見し、それが相手の過去と結びつくというものがあったが、確かにこれはそのシーンを映さなければ視聴者はわからない。一時期流行した失楽園でも激しい愛を表現するのに激しい性描写が使われたらしい。そういえばエヴァンゲリオンでもそういうシーンがあったような。これらの番組での性描写に必要性・妥当性はあったのだろうか。


3月12日(月)

私はふと、考えた。性描写についてである。民法の人気番組の一つに、土曜ワイド劇場とか、火曜サスペンスといった推理小説・社会派小説を原作にした2時間ドラマがある。我が家では母が大好きな番組で(ちなみに母は一週間のうち、この2つ以外は全く見ない。)、僕も幼稚園に入る前からよく見ていた。ちなみに土曜日は必ず「僕のアニメ」「祖父の時代劇」「母のサスペンス」「父のスポーツニュース」の順番だった。こんな生活が10年以上続いていた。で、本題。昔の土曜ワイドと、今の土曜ワイドの違いは何か。それは性描写である。「水戸黄門のお銀の入浴」ではないが、土曜ワイドにベットシーンはつきものだった。小学校当時、サスペンスの影響で推理小説家を目指していた僕は、「推理小説にはベットシーンがあるから、僕には書きづらいなぁ。ベットシーンの無い推理小説を作りたいなぁ」なんて考えていた。10歳になる前である(だから金田一少年やコナンには好感がある)。社会派の森村誠一も、ライト文章の赤川次郎でも、たいていベットシーンの1つや2つは織り込まれていたのだ。今回はその性描写について考えてみたい。


3月11日(日)

本日はサークルの追い出しコンパ。去年卒業したのでOBとして顔を出したわけだが・・僕の同期の仲間は全員出席していた。社会人もいるのに・・である。いやあ、我々の代は横の結束が固いというのか、暇人が多いというのか?現況を話し合って一喜一憂したり、有意義な懐かしい時間を送れたので良しとするべきではある。だんだん忙しくなって1人、また1人と出席者が減っていくのだろうけど、集まっていられる間は昔の時間がよみがえっているような、そんな気がするのでこの時を失いたくはないものだ。


3月10日(土)

岡島とチョンソンミンが西武打線につかまり大炎上。あれでは長島監督がリリーフに不安を持っても仕方が無いかもしれない。が、問題は岡島の起用法である。実際のカードならともかく、今回はオープン戦である。オープン戦であれば練習の意味合いが強いので、岡島をもう少し引っ張っても良かったのではないか。確かに3連打されて監督の気分は悪くなっただろうが、3連打というのは本番でもたまにあるシチュエーションである。ここで岡島を変えたことにより、岡島の中に連打恐怖症が生まれることの方が怖い。「連打→すぐ降板」となると連打を恐れて投球が不安定になり、結果的に傷を広げる恐れがある。せめて岡島に一人でも討ち取らせてから交替させた方が彼にはプラスだったと思うのだが。


3月9日(金)

妹がドリームキャストのNever7というゲームを当てた。何でも、以前ゲームショップに買い物に行った時にアンケートはがきがあって、それに書いたときの景品だという。生まれてこのかた懸賞というものに当たったことの無い僕としては非常にうらやましい。アイスクリームですら当てたことが無いのに。いや、カップアイスばかり食べていたというわけではなく。やはり「天運」を身にまとった人間とそうでない人間というのは違うものなのだなぁ。


3月8日(木)

新しい炊飯ジャーがやっと家にきた。昨日は一日米を食べられなかったので、何も食べた気がしなかった。やはり食事の中に米が無いと満足できないようだ。やはり日本人はお米族。


3月7日(水)

先日のこと(昨日の沈思黙考を書いた直後くらい)、夕飯を心待ちにしていた僕は炊飯ジャーをじっと見ていた。それは20年以上も我が家で活躍してきた電気釜。が、金属疲労でバネが壊れたのか、突然「シュポーン」という音とともにフタが吹っ飛び(ギャグ?)、白米が宙を舞った。決定的瞬間に目を丸くする。音を聞いてキッチンから顔を出した母親に「電気釜が爆発(?)した」と一言。我ながら間抜けなセリフである。


3月6日(火)

結局体調を崩してしまった。天気のことと言い、これは旅行に行くなという啓示に違いない。考えてみれば、僕がこの時期に旅行にいくときは、たいてい雪が降るのである。3回中2回は雪が降っている。しかも雪国ではなく、一回は佐賀、一回は鳥羽に行ったときである。年に2,3回雪が降るだけでも珍しい地方である。現地の店のおばさんとかにも、「この時期にこの地方で雪が見られるなんて、お客さんはツイてるねぇ」と言われたが、果たしてツイているのかいないのか・・?


3月5日(月)

昨日一日ずっと時刻表を読んでいたせいか、身体の調子が悪い。起きたパジャマ姿のままで一日いたような気もするし・・それがマズかったのだろう。しかし、かえすがえすも残念。山寺の立石寺、出羽三山の1つ羽黒山、数々の温泉・・あ、でも雪を見ながらの温泉というのも悪くないかもしれないなぁ。雪見酒。


3月4日(日)

3月7日から3月10日まで山形に旅行に行こうと思い立った。で、一日時刻表とにらめっこ。安い宿も見つけ、最後の確認として週間天気予報をチェックした。・・が、7日から低気圧が通過するため、山形県内は庄内・最上・村山・置賜の各エリアともに大荒れ模様。特に今日は吹雪だったらしい。車に乗れないのでレンタサイクルが中心となる僕の場合、雪はアウトである。やむなく今回の旅行は断念。夏休みに塾の合間を縫って再び山形を目指すとしよう。


3月3日(土)

不思議な夢を見た。ロッテオリオンズの牛島の弟子(ピッチャー)になり、中日の落合から三振を奪うべく猛特訓するというストーリーである。一応説明しておくと、最近野球の話は一切していない。せいぜい関心はイチローと、巨人のキャンプ&オープン戦くらいである。そもそも何故、牛島と落合なのか。確かにトレードされた因縁(?)の2人ではある。が、僕は牛島を「元祖ファミスタ」でしか知らない。実際の投球をする彼を見たことが無いのだ。というか、「牛島」という名前自体、ここ数年頭に浮かんだことすらなかった。なのにどうして・・夢とは不思議なものである。我が趙直(蜀の夢占い師)が欲しい。


3月2日(金)

前日の話題の切り口を変え、「死者」について考えてみると、欧米はキリストの下に召されるのに対し、日本はやはり輪廻の思考が強い。しかも他生物への輪廻というより、子孫への輪廻である。多分、隔世遺伝の影響で祖父母と孫の形質に相似点が見られることと、祖父母の死去と孫の誕生がほぼ同時期(これは疑問)だったことから生まれた思想であろう。欧米の墓は個人が多く、日本の墓は一族が多いものこのせいであると思われる。日本の場合、死んだ者は子孫を見守る性質があるため、遺体は五体満足で、遺族の側にある方が好ましいと考えられるようになったのだろうか。祖先が子孫を見守るなんてのは、サザエさんにも出てくるくらいなので、日本人にはあたりまえの感覚なのだろう。


3月1日(木)

日本では死体を五体満足な状態で遺族の側に置くことが美とされるような気がする。「死者に鞭打つ」のは良くないとか、神戸の事件のときも首を斬った残虐性が注目されている。まあ僕から見れば、死体は所詮モノなので、死んだ後は切ろうが焼こうが同じ気がするのだが、どうも国民の判断は違うようだ。特に死体損壊に対する反発は強いようで、事件の被害者が死体解剖されるとき、嫌がる遺族は多いという。このあたり欧米はどうなのだろう。日本の怪談では手・足を切られた亡霊が、足を求めてさまよう系列の話は多い。欧米の怪談には詳しくないが、欧米にもこういう思想はあるのだろうか。もし欧米にこの思想が薄い場合、日本よりも死体損壊の罪は軽いはずである。

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