沈思黙考

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1月31日(木)

いよいよ明日から中学受験が始まる。受験を控えて緊張した面持ちの小学生を塾の講師室から眺めていた(僕は中学生担当なので小学生を教えることはない)わけだが、懐かしい気分でいっぱいになった。
思えば僕もこの部屋で塾長の励ましの言葉を聞き(バイト先の塾は小学校当時僕が通っていたところなのです)、合格することを胸に誓って塾の玄関を後にしたのだった。玄関を出て、友達と3人で右手を重ねて「頑張ろう」と誓ったこともあったなぁ。結局、その3人の中で僕だけ不合格だったんですが、僕が通った公立中学に素晴らしい恩師と呼べる先生が複数いたので、早稲田中学に不合格だったことは後悔していません。・・さすがに「不合格でも僕は幸せだ」と生徒の前では言えませんが。


1月30日(水)

あちゃあ・・雪印はもうかばいきれないなぁ。味が良いから応援していても、本社が倒れてしまったら製造どころの騒ぎではあるまい。もしもの時には、あの味はなくなってしまうのだろうか。僕はあっさりした乳製品が好きなので、結構雪印の味は好きだったんだけどなぁ。
でも、僕が思っていたよりも店側はヒステリックになっていないようで、スーパーでもまだ雪印製品は置いてあった。良かった良かった。今のうちに買いだめでもしておこうかしら(乳製品だから買い置きは厳しいか・・)。


1月29日(火)

補講なので薬を飲んで学校に強行したが、案の定帰宅して熱が急上昇。4日連続で38℃をオーバーしている。このままでは39℃のK点越えも近いだろう。・・シャレにならないけど。
ちなみに大人の男性は40℃を越えると精巣にダメージがあるそうである。42℃を越えると脳までやられてしまって生命の危険でもあるそうな。だから40℃近くまで上がりやすいおたふく風邪に成人男性がかかると危険といわれるわけなんですね。ただ、夜中になって熱が下がってきたので一安心。こんな風に日記の更新もできたりするわけです。


1月28日(月)

相変わらず熱が下がらず。幸いテスト週間で授業は終了しているため、家で寝ていても大丈夫なのだが、テスト勉強ができない(というより、何もする気が起きない)のがとても辛い。


1月27日(日)

雪印事件の顛末を見ていたら、非常に腹が立ってきた。雪印のふがいなさにではない。一般消費者のくだらない対応にである。今回事件を起こしたのは食肉センターだったが、全国の自治体は学校給食から雪印牛乳を撤退させ、スーパーでも雪印関連食品の自粛をはじめていると言う。僕はこういう対応が大嫌いなのである。一人の責任は皆の責任なのだろうか?よく事件に関連して社長等の引責辞任が見られるが、これについても僕は批判的である。社長自身にも責任があるならともかく、引責はすべきではない。社長はあくまで舵取り役であり、監査機関ではない。事件が起こると加害者の家族等も迫害されるパターンに似ているかもしれない。
民衆が雪印排斥などという愚行をするから、僕は逆に雪印を応援したくなるのである。牛肉に関しては仕方ない。が、皆よ。大いに雪印の牛乳を飲み、チーズを食べよう(個人的にはマスカルポーネが好き)。


1月26日(土)

風邪でつらいので、1日寝ていた。がバイトを休むことはできないので、薬を飲んで出撃・・したら、休んでよいと言われた。確かに、受験生に風邪を移したら大迷惑である。帰宅してから現実逃避第2弾として、レポートを後回しにして兀突骨をアップする。将来書くかもしれない南蛮レジュメの中核ともなるであろう、自分の中では力をこめた列伝である。
ご意見・ご感想をいただけたら幸いです。


1月25日(金)

学校でテストをしている最中に具合が悪くなる。風邪のようである。昼過ぎまでは何とか我慢をしていたが、最後の授業中にはもう限界だった。頭がふらふらして、気づいたらテストが半分強しか書けていない(1番、2番は書けたが、3番が2行程度でタイムオーバー)。あとで自主的に追加レポートを出すことにしよう。それで単位がもらえれば助かるのだが。


1月24日(木)

兀突骨のネタを思いついた。文章を書き始めることにしよう。今回のテーマは、南蛮編全体を通して流れている根本的な思想に関してである。かなり強引な展開だが、結構真面目な内容になっているつもりである。これをまとめて新作レジュメでも作ろうかなぁ・・


1月23日(水)

試験中なのでインナー生活を送っていたら、僕の持っているズボンで一番大きいズボンがきつくなりだした。まずい。このズボンがはけないと、もう履くズボンが無くなってしまう。これまでの僕の経験上、春夏秋冬を通じて、この時期が一番太るのである(一番やせているのは7月前後で、平均体重が5キログラムほど違う)。とはいえ、これから太る時期なのに、もうズボンが黄色信号なのはまずい。学校にはちゃんと歩きや自転車で行くことにしよう。


1月22日(火)

うちの妹あてに色ペンのセットが送られてきた。何でも、某アニメショップの抽選に当選したとのこと。が、そこで気になる話を聞いた。妹は、同時に特等(だったかな?)のポスターも当てていたらしいのだ。が、送られてきたのは色ペンのみ。いわく、「ほら、抽選は決まりで、一つしか当たらないでしょ」とのこと。確かにそうである。よく雑誌の抽選にも「これに当選すると、他のは当選できない」旨が書いてある。
なので店員のミスだと思って、別に主張しなかったとのこと。甘い。規則が優先だから、別にポスターがもらいたいわけではない。しかし店側の不注意で客にぬか喜びをさせ、一言もなく「当たっていなかったこと」にされるのがシャクなのである。せめて家に電話の一つでもよこして報告してくれれば良いのに。この客が妹じゃなくて僕だったら、絶対噛み付くぞ。ぶつぶつ。


1月21日(月)

とりあえず先発を撃破。思っていたよりも簡単な問題だったので、テストを受け終わったときにはホッとした。この単位が取れれば、今年の3月から中学・高校の理科の免許を取得することができる。運転免許をまだ取っていないので、初めてもまともな資格となる。運転免許も早いうちに取りたいが、教員免許があるから別にいいかなぁ・・(全く良くない)


1月20日(日)

昨日も書いたが、数字のマジックとは難しいものである。データ化された数字を見ると、つい全面的に信用したくなってしまう。しかし、その数字は本当に正しいものなのだろうか。データを取る時の項目は適切なものなのだろうか。これを誤ると大変である。
戦後間もなく、各大学の教育学部系学生を対象に、高校時代の評定を調査したことがあった。結果、東京大学の学生の全科目平均は4.5。対して学芸大は2.8だったという。しかし、学校の成績が教師の質と関連しているわけでも無いということは周知の事実である。この数値表をもとに教師の能力を測定し、採用を決めたら大変なことになっていただろう。
また、関連性がなくても傾向が似るという事もある。とある学会で発表者が「Aの変遷を見るとBのパターンと似ているので、この2つには相関関係があると推察できる」と言ったときに、反対者が「その折れ線グラフはテレビの普及率の変遷とも似てますね」と皮肉った話を聞いたことがある。この場合、どちらの意見が正しかったかはさておき、傾向が一致したから、即現象が類似しているとも限らないのである。
視聴率やらノルマやらで一喜一憂している現代社会は、少し冷静に数字を見直す必要があるだろう。


1月19日(土)

今日はテストがなかったため、図書館で調べ物をしていたが、つい違う本を手にとってしまった。中野美代子氏の「西遊記」(岩波書店.2000)である。文学を解釈するのに、こういう手法があると知ったのははじめてである(まあ、文学部の人なら常識なんだろうが・・)。テキストに隠された意味を探ると言うことに興味を覚えた。若干、「これは考えすぎでは」と思ってしまうところもあるが、一応理屈は通っている。数字のマジックと言うこともあるので、この辺の考察は難しいが、これを三国志演義にも取り入れられないだろうか。演義の主流は歴史小説なので、オリジナル要素は低いが、南蛮編は完全な脚色である。ちょうど列伝で南蛮をやっているので、南蛮編に隠された意味でも調べることにしよう。


1月18日(金)

レポートが終わり、うとうとしていたら遅刻しかけた。慌ててバックをつかんで飛び出したが、学校に着いたときに重要なことに気づく。シャーペンを机の上に置きっぱなしにしてしまった。教室にはいるや否や、教場試験が始まる。ある事柄について自分の考えを述べる論述形式。僕は覚悟を決めて、サインペンで教場レポートに取り組んだ。一語一句たりともミスは許されない。文脈に変なところはないだろうか?
レポート一つ書くのにこんなに精神集中したのは初めてであった。テスト終了時には、何だか悟った気分になってしまった(何を?)。


1月17日(木)

ゼミの先生の最終講義があり、そのまま2次会についていって帰宅が深夜3時をまわる。明日はレポートがあるので、これから徹夜でやらなければならない。
が、問題はこのレポート。このレポートが大変なのはわかるが、僕の同級生で先生の最終講義に出席したのは僕だけだった。レポートと先生とどっちが大事なんだ!今の若者は恩義とか義理とかに冷たい。


1月16日(水)

用事があって、東京学芸大学に出かける。それにしてもここのカリキュラムは凄い。理科教育は理科教育でも、きちんと小学生用と中学生用に分かれている。教授法の研究やらメディア利用の授業研究など、耳から手が出るほど(?)聴きたい講義ばかりである。国分寺じゃなければ、毎日でももぐりに行きたいものだ。場合によっては、外部聴講生としていってみるのも良いかもしれない。東京理科大の教養関連の授業も聞いてみたいなぁ。まあ、となりの薔薇は赤く見えているだけかもしれませんが。


1月15日(火)

バイト先の生徒から進路相談をされる。自分の進路も決まっていないのに、高校生の進路の相談を受けることにばかばかしさも感じてしまいますが、自分の知識が役に立つのなら、喜んで協力しよう。
それにしても、理系と文系に分けると言うシステムはどうにかならないだろうか。この世の中のタイプは理系と文系だけではない。なのに、高校生の段階で理系クラスと文系クラスに分かれてしまう。理系クラスは理系クラスで、文系は文型で指定された授業しか取れず、「理系だけど文系科目も好き」や「文系だけど理系科目も好き」という人には大変気の毒なカリキュラムである。
その意味では、戦前の教育はエリート選別と言う目的ではあっが、幅広い知識が得られるカリキュラムであり、昔の人が頭が良かったと言われる原因の一つもそこにある気がする。やはり、理系も文系も幅広くできる人の方が良いのではないだろうか。
理系の人よ、社会を学ぼう。文系の人よ、数学を学ぼう。


1月14日(月)

従妹にパソコンの調子が悪いから見て欲しいと頼まれる。その人はWindows95使用(おさがりものらしい)。ブラウザはIE5.5のようである。が、問題はその後。接続設定は上手くいくのだが、どうしても画面が表示されない。PCにインストールされているBI○LOBEのサインアップマネージャを使って登録し、葉書も来たので送信フォームはうまくいくらしい。が、送られてきたIDを入れてもページが表示されないのである。モデムを見ると、接続した瞬間だけは光るので、全くつなげないわけではないようだ。が、一瞬光った後は「536バイト受信」のままで2,3分待っても動かない。結局「このページは表示できません」が出ておしまいである。
接続はできるのに、ページが表示できないとはこれいかに。始めてみる例だったので、結局解決できずに帰宅。解決できなかったことによる精神的ダメージはかなりのもので、今日は悔しくて眠れないかも(レポートもあるし・・)。


1月13日(日)

秦水徳説批判の本を読み、五行説に関する知識がますます深まる・・はずが、大混乱を起こした。もともと五行説は諸説あって、結構いいかげんとは知っていたが、ここまで混乱していると、頭の中で整理がつかなくなってくる。司馬遷の秦水徳説はサクラ大戦2でもおなじみの五行相克説が由来であるが、三国志の時代には「漢は火徳の王朝だから魏は土徳」と五徳終始説をとっている。前漢は土で、後漢は火ということだ。ということは前漢と後漢は別王朝と見なされていた?それとも方針転換?王莽の時代のときかなぁ・・
史学系の人なら詳しいのだろうけど、教育学部の図書館だとなかなかデータが揃わないので断念。テスト明けになったら行きたいなあ。


1月12日(土)

世の中の知識体系は大体連続している。それだけ独立した知識というのはあまり無いはずである。連想ゲームみたいに、一つの事実は複数の事実と結びつきあって存在し、人もまた知識を絡み合った複合体として捉えることで、知識の幅が広がっていく。が、それを学校で教えるのは難しい。教科書は普通内容ごとに分けられているので、連続した知識への派生の仕方が難しい。
理科で言えば、星の運行はひとつの現象なのに、それをタイムスケールで区切って日周運動・年周運動としている。だから生徒は日周運動と年周運動を別のものと捉え(頭良い子は別だが)、2つを混同した問題が理解不能になるのである。大学生でも哲学者のゲーテと植物学者のゲーテが別人だと思っていた人がいるくらいである(分野が違うから同一人物と思わなかったらしい)。時代は専門化の流れをたどっているが、幅広い総合的な知識を重視しないと、いつか大変なことになるのではないだろうか。


1月11日(金)

今日はバイトが休み。1月3日から毎日、昨日まで連続8日間バイトをしていたことになる。僕の中では新記録。きっと来月の給与明細はホクホクだろうが、その頃の僕は試験漬けで精神的余裕が無いに違いない。
金あれど暇無し、暇あれど金無しとはまさに至言である。


1月10日(木)

精神的に余裕のあった先日とは打って変わって、目の前のレポートに全力投球するべく励んでいる。提出期限はあとわずか。どうやら昨日のは逃避行動だったようだ(おい)。阿会喃があとコメントをつけるだけなのだが、いいコメントが思いつかないので保留。先に兀突骨でも書こうかなぁ。リク品だし(謎)ネタは多いキャラなので、そちらのほうが書きやすいかもしれない。劉備や諸葛亮の演義編も書き直したいと思っているし、この冬は相変わらず忙しそうだ。とは言え、蓋を開ければ実現できるのは半分くらいな気もする。


1月9日(水)

今日から大学の授業が始まったため、久しぶりに学校に行くが、冬休みの方が平日の倍以上は忙しかったため、学校にいるほうがはるかにヒマに感じる。昔は学校が大変に感じ、休みになるとほっとしたものだが、今はその逆なのでなんだかおかしい気分である。少し精神的にゆとりができたので、サイトのトップページを少し改装してみた。
以前より試してみたかった、列車の発車案内形式の表。「普通」は通常の更新、「急行」はリクエスト、「鈍行」は過去の列伝の改良を意味している。僕が急に思いついて書いた列伝は「臨時」かも(笑)。時刻表とかを見て楽しめる人には心憎い演出(?)かと。


1月8日(火)

・・やはり最近ボケているのだろうか。サイトを更新したつもりでいたのに、FTPでアップロードするのを忘れていたのである。反省すると同時に、サイトの一部を少し改良。董荼那のコメントを追加して、自己紹介も少し変更した(好きなもの・嫌いなものが少し変わったため)。また、一部の人から指摘を受けていたので、魏延クイズの「韓玄」を少しだけ弱くした。HPを80から70にしたので、少しは長沙の戦いに勝利しやすくなるはず。問題の難易度は変えていないが。


1月7日(月)

掲示板には書いたが、全国統一学力テストが検討されている。これが全国の公立学校の序列化につながり、一部で教員の給与に影響が出た側面があったため、学力テストは休止に追い込まれた。が、統一テストはデータ収集のためには必要不可欠なものである。学力の地域間格差は家庭の経済力に比例していることや、言われている学力低下がどの程度のものなのか、そして公立と私立の実力の違いの現実などが一斉テストによって暴かれるだろう。それは理想からは離れた厳しい現実であるが、それを確認しないことには正しい教育政策など不可能であろう。厳しく、汚い現実を公開することこそ重要だと考える。

ちなみに昔の学力テストの場合、学校の成績をあげるためにわざと問題のヒントを出したり、成績不良の生徒をわざと欠席させたりする例があったらしい。こういうバカ教師への何か良い対処法は無いものだろうか・・(多分、今でもいそうな気がする)


1月6日(日)

久しぶりの更新です。1月1日の夜に更新する予定が、田舎行きやらウイルス疑惑やらで繰り越されてしまい、董荼那の紹介を心待ちにしていた方(もしいれば)の期待を裏切ることになってしまった件につきましては大変申し訳ありませんでした。


1月5日(土)

10時からのコマが空き(生徒の欠席連絡があった)、授業が12時からだったので池袋に行ってノートン先生を買ってきた。深夜に帰宅して早速インストール。が、ウイルス検査をしても何も発見されなかった。では、Reメールが来たときに突然展開したメディアプレーヤーは一体?
ウイルスチェックソフトが起動できなくなった原因は一体?

結局原因不明。特に悪意の無い一発屋のウイルスだったのだろうか・・・?
ともかく、ノートン先生を信頼すればウイルスに感染していないようなので、サイトの更新を再開することにしよう。


1月4日(金)

ウイルスに感染したかもしれないのに、ウイルスソフトが起動できないエラーは本日も続く。そこで、これを機にメールも受信時にウイルスチェックできる別のウイルス対策ソフトに乗り換えることにした。研究室にいたときに使用しており、六畳院大兄もオススメのノートン先生に頼ることにしたのである。が、バイトが朝10〜夜10なので買い物に行けない。母親も妹もPCに関しては当てにならないということで、この日は買いに行けなかった。PCに触れずに過ごしたのは久しぶりである。


1月3日(木)

今日から塾の講習が始まるため、朝から上京して塾に向かう。この冬休みは朝10時過ぎに家を出て、夜10時に帰宅する生活。・・が、状況が一変した。塾についたら様子がおかしい。僕がバイトしているのは本校なのだが、支校の講師が急遽辞めることになったようで、僕が本校から派遣されることになったのである。ということは帰宅時間がさらに遅くなり、帰宅23時。やってられません。平日より忙しいです。

などと文句を言いつつ帰宅。メールをチェックしていたら、差出人「Who?」のタイトル「Re:」のメールが来た。明らかにウイルスである。見ずに消そうと思っていたら、何と触ってもいないのに、突然メディアプレーヤーが起動したのである。「まさか受信と同時に自動で起動するのか?」と思い、ただちに電話回線を遮断し、ウイルスソフトを起動。が、「起動できません」のエラー。こ・・これは一体!?


1月2日(水)

外に出ずに、1日家にこもっていたのは久しぶりである。最近毎日勤務が続いていたから、たまにはこういうのもいいと思う。それにしても、ヒマなときには動きたいと欲し、忙しいときにはヒマを欲するとは、実に人間は自分勝手な生き物だと苦笑い。適度にヒマで、適度に忙しい人生が理想。・・そんな都合のいいことはまずないだろうが。


1月1日(火)

1日家にいるはずが、急遽田舎に行くことになったため、夕方に出発する。栃木で見る星空はとてもきれいで、先日に見た満月を髣髴とさせるものだった。一日(ついたち)なのに満月に近いというのも妙な話だが、太陽暦を採用しているので仕方あるまい。カレンダーは太陽暦なのに月の呼び方は太陰暦由来だからこのようなズレが生じるのである。おおつごもりをおおみそかと呼ぶようになったのはいつからなのだろう・・

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