沈思黙考

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7月31日(水)

巨人強いなぁ。清原がいなくても巨人は強いんです。ついでに江藤と工藤がいなくても構わないのです。

マイベストメンバー
1.清水(左) 2.仁志(二) 3.高橋(右) 4.松井(中) 5.斎藤(一) 6.福井(三) 7.二岡(遊) 8.阿部(捕) 代打.元木

たまに実現しているスタメンなので嬉しい。


7月30日(火)

学校の帰りにラーメン屋に寄ったら、そこでドキュメンタリーをやっていた。よくある、業者と住民の小競り合いである。通常は悪質業者の場合が多いのだが、今回見ている限りでは、僕には住民が極悪に見えた。A県T市の話である。
確かに、住民に説明をせずに葬儀場を建てようとしたのは業者の過失だと思う。が、建設反対の理由として、
「葬儀場はいるけど、ここには建てないで欲しい」
「子ども達は毎日霊柩車を見て登校することになるのですよ」

は住民のエゴである。特に後者のセリフ。霊柩車を見ながら登校しちゃ悪いか。こういう馬鹿住民に子どもがいる場合、今度は保護者として学校に馬鹿なクレームをつけてくることが容易に想像できるので、教員の胃が痛くなるのも理解できる。教師になる前に対処法をねらればなるまいな。


7月29日(月)

いよいよ地獄の夏期講習がスタートする。時間割的にはそんなに地獄でもないのだが、僕は先週まで学校の試験とレポートを抱えていた(まだいくつか残っているが)。そう。つまり、まだ講習でつかうオリジナルテキストが全部完成していないのである。
授業は夕方からなのに、朝から出向いて切り貼り、印刷、製本作業をこなさなければならない。締め切りはその日の夕方。地獄だ。


7月28日(日)

2日続けて実験をしたら体調を崩してしまった。ずいぶん僕の体も脆くなったものである。少し運動しなきゃダメかなぁ・・


7月27日(土)

再び人体実験。今回は、前回の逆として、耳栓をする代わりに部屋を明るくして、しかも枕もとに蛍光灯を2台設置することにした。当然点灯したまま。まぶたを閉じても、目の前で光源が光っているのがわかる(明るい場合、目を閉じても視界が黒ではなく、赤みがかりますね)。
ところが、今回はすぐに眠れてしまった。やはり、僕は「まぶしさ」と「うるささ」のうち、「うるささ」に敏感なようである。ということは、「まぶしくても静かなところ」ならば快適な睡眠が得られることになろう。自宅は大通りに面しているので、常に車の音や振動が聞こえる(深夜はトラックが多い)。いつも寝た気にならないのは、この微弱な感覚を受け取っているからなのだろう。

・・ところで、蛍光灯を目の前に置くって、昔の西洋の拷問でありましたね(拷問の場合、まぶたは開きっぱなしだが)。


7月26日(金)

人は眠い時に寝る。が、眠りの条件というものはあるのだろうか。
視覚は重要に違いない。そもそも眠くなるとまぶたが閉じてくるし、明るいと寝られないという人も多いくらいだからだ。同様に、聴覚も関わっていそうである。うるさくて寝られないという人もいるからである。そこで、連夜の実験として、今日は聴覚の重要性のテスト。
眠くなったので実験スタート。部屋を真っ暗にして、耳にはヘッドホンをつける。流す音楽は僕の好きなFFやロマサガのボス戦闘音楽(ロックアレンジバージョン)。耳には悪いと知っているのだが、実験のためあえて実行。せめて鼓膜に張りを感じない程度まで音量を下げて寝る。

・・結果。寝られませんでした。3時間たっても全然。目のほうは眠くて眠くて、腫れぼったくなって痛いのに、耳から入る音楽という刺激が脳を活性化させるのか、全く眠りに落ちることが出来ない。僕は明るくても眠れる人なので、僕の場合は眠りの要因として、視覚よりも聴覚の刺激の方が影響が大きい(?)という仮説がたてられた。


7月25日(木)

給料日。通帳を見たら結構な額がたまっている。しかし、払うのを滞納していた国年年金を払ったら、貯蓄の半額以上が一気に吹き飛んでしまった。一時だけでも裕福な気持ちになれたので、少しは幸せだった・・わけなかろう。空しい気持ちでいっぱいである。
9月には京都に行こうと思っているし、PCだって新調しなければならない(僕のではないのだが、僕が一時立替をせねばならない)。夏休みもバイトにいそしまなくてはならないなぁ。まあ塾講師も気に入っているからいいのだけれど。


7月24日(水)

ジャイアンツが早ければ今月中にマジック点灯らしい。それにしても、ジャイアンツとは不思議なチームである。他チームのファンからして、ジャイアンツが弱ければ弱いで笑いのタネにし、強ければ強いで文句を言う。じゃあ、強いのと弱いのとどっちがいいのだろうか。
FAに頼りすぎるのは良くないという点では、僕と彼らの意見は一致するのだが。


7月23日(火)

住基ネットの仮運用が始まるようで。
実は、僕は中学生のころ、社会かなにかの授業で書いた作文で、「学校の出席番号みたいに国民に番号をつければ情報管理が楽になる」と書いたことがありました。だから住基ネットの話を聞くと、中学生時代の僕の願いが届いたようで、何だか複雑な気持ちなのです。とはいえ、現実的にはクラッカーなどによる情報漏洩が大問題。もう少し守秘の部分をしっかりしないと、住基ネットは破綻間違い無しですね。他人の情報を盗み見ようとする人さえいなければ理想のシステムなのに。どんなシステムを作ろうとしても、必ずそれを悪用しようとする人がいる。悲しい現実なり。
カメラ付き携帯電話が販売されたら、予想通り盗撮が増えたなんて話も聞きますしね・・


7月22日(月)

僕は理系・文系と峻別するのはあまり好きではないのだが、あえて思考パターンから考えてみようと思う。一般に言われているのは、理系タイプの人間は結果主義、文系タイプの人間は過程主義ということである。
掲示板に書いた例でいうと、どんなに頑張ったとしても結果が出せなければダメというのが結果主義。途中の努力といったところを重視するのが過程主義である。スポ根ものは過程主義の典型例であろう。僕は秘蜀分析の劉備評のところで、「劉備が偽善で何が悪い。偽善といえども、善行が行われていることに価値がある」みたいなことを述べている。これは完全な結果主義である。偽善といえども、結果的に行動が行われているわけなので、その点を評価するわけである。悪徳政治家が票集めで福祉施設に募金したとする。例え政治工作だったとしても、その福祉施設に援助が為されたことには違いは無い。そこは評価しなくてはならないと思う。
「悪銭身につかず」などという言葉もあり、日本人は出自や過程にこだわりすぎる。悪銭だろうが金は金。鈴木宗男が逮捕されたとき、彼が出資していた博物館か何かが、彼のパネルをはずしたという。例え悪人でも、彼が出資した事実は事実なのに。僕にはこの辺が理解できない。


7月21日(日)

昔書いたかもしれないけれど(若年性痴呆症?)、思い出すたびに悔しくて心が痛むので、書きます。

今から数年前、地方の中学校に女の子がいました。彼女は暗くおとなしい子で、声優とかアニメに興味がありました(ちょうどブームでしたね)。しかし、クラスで彼女に賛同する生徒はおらず、同級生に「暗い・オタク」といじめられていました。で、彼女は先生に相談しました。すると彼女の担任の馬鹿教師は「お前の趣味は暗いんだよ。もっと明るく云々」みたいなことをぬかしました。で、彼女は自殺しました。
ひるがえって同時期。僕の妹も中学生でした。そのクラスでは妹が中心となってアニメ好きが集い、カラオケボックスに男女10名がそろって収録スタジオ代わりに使い、同人CDドラマをつくるくらいの勢いでした。うーん、まさにオタクラス。ついでに担任もオタクでした(笑)。

さておき、自殺したその子が、もし、妹と同じクラスになっていれば自殺なんか決してしなかったでしょう。むしろ仲間を得て、別の人生が待っていたはずです。まあ、友達になれるかどうかは性格もあるので不明ですが、少なくともいじめられて死を選ぶことは無かったはず。
要するに、人間の一生に周辺環境はものすごく重要な意味を持つわけです。親、友達、教師・・etc。
自殺した彼女のクラスに1人でもアニメ仲間がいれば。担任がもし「趣味を悪く言われても、自分は自分なんだから」と励ましていれば。

思い出すたびに、思わずこぶしに力が入り、空を見上げて慟哭したくなるような事件でした。やるせないなぁ。


7月20日(土)

人に聞いた話。世界の中には「青」という色の概念が無い国があるそうだ。だいたい青が緑に統合されている。まあ日本でも信号の色などを見れば、青と緑の境界線が曖昧なことに気づくであろう。
さて、これらの「青が無い」国は比較的熱い国に多い。これらの国では他の国々より直射日光の威力が強い。あまりに陽射しが強いため、サウジアラビアに行っていたその人(僕に話をしてくれた人)はサングラスを常に着用していたそうだ。が、その強い日光は人体に影響を及ぼす。どんな影響かというと「眼の水晶体が黄色くなってしまう」のである。
そこで先ほどの話と結びつけよう。青に黄色を混ぜると何色になるか。緑である。すなわち、直射日光の強い地域の人々は水晶体の色が黄変するため、空の色が薄い緑に見えてしまうのであろう。そのため、彼らにとって空の色は緑なのである。で、葉っぱは濃い緑。どちらも同系等の色になるのだろう。
僕にこの話をしてくれた人も水晶体が黄色くなってしまったが、白内障を患って、片目だけ水晶体を交換した(片目だけ透明な水晶体に戻った)。その結果、右目だけで見た世界と左目だけで見た世界の色が違うそうだ。興味深い話である。


7月19日(金)

今日はテストが4つもあった。しかも全て論述である。90分×4コマのなかで、推定12000字近くは書いた計算になるだろうか。最後のテストのときなんか、手がガクガクになって真っ赤になっていた。6つしかないテストのうち、何故4つも同じ日に重なるんだ!?


7月18日(木)

平均という言葉を聞いて、何を感じるだろうか。中学生や高校生時代、テストの時に平均点が気になっていた人も多かろう。確かに平均点はある種の目安になるし、集団のバロメータとして有効なこともあろう。しかし、盲目的な信用は出来ないのである。

数学の選択クラスで同じテストを実施したときの結果。

選択数学A組 5人 平均点39点 26+22+24+23+100
選択数学B組 6人 平均点38点 38+39+37+40+36+38

これだけ見ると、A組の方が若干良いような気がする。しかし、実際の得点分布を見ると、

選択数学A組 26点 22点 24点 23点 100点
選択数学B組 38点 39点 37点 40点 36点 38点

だったとする。どうやらA組には出来杉君がいたようである(爆)。彼が平均を上げていた特例なだけで、A組の方が学習的な問題を抱えていることになる。平均点だけ信じ、B組に力を入れようとすると、A組はますます悲惨なことになる。
塾などならA組の出来杉君は隔離して、習熟度別に対応することができる。しかし、一般の学校の場合はどうであろう。最近になってやっと公立でも習熟度別クラスの導入が始まったが、偏向した「平等」を強調するあまり、各自の能力の違いを無視した授業を長く続けてきたツケが、学校問題に現れている気がする。奇麗事だけの、夢想と理想を勘違いしている日○組などさっさと・・!!あ、いや、やめときましょう。まあ、現実の醜い部分も直視しなければならないということです。


7月17(水)

パブロフとは違った気がするけど、イメージの刷り込みというものがある。例えば、僕の通っていた小学校では下校の時間に「白鳥の湖」が流れていた。その結果、いまになっても、街で白鳥の湖を聞くと小学校時代のときの感覚、一瞬、下校時間の時に感じていた感覚と同じ感覚に陥るのである。感傷・感触というべきか。


7月16日(火)

僕は生徒から、「頼りになり気楽に話が出来て良いと評価されている」と塾長からお褒めの言葉をいただいた。困ったときに頼りにされるのは信頼されているということだし、まあ良いとしよう。お世辞でも、言われると嬉しい言葉である。しかーし・・

「伊比先生といるとおじいちゃんと一緒にいるような安心感がある」

とコメントしてくれた子よ。何故・・(涙)。僕はまだ24なのに。


7月15日(月)

土〜月の間の睡眠時間が合計5時間。なのに、不思議と目がさえている。限界を超えたとき、神の領域に足を踏み入れようとしているのだろうか。でも、今晩も徹夜したら死ぬかもしれません。でも、勉強しないとやばそうです。
もっと早く勉強しておけばよかった。・・過去の反省を活かせていないなぁ。


7月14日(日)

授業のテープをおこしてワープロ打ちをする。90分授業の内容をワープロにおこすと、だいたい5時間くらいかかる。しかも先生の発音がよろしくないため、日本語の聞き取りが難しい(地方訛りが入っているせいもある)。
仲間内で分担を決めてやっている作業なので逃げが効かない。こんな大変な作業からは逃げ出したいところだが、終わったときに意外と内容が身についているものなので、勉強になっていることは間違いない。こうでもしないとなかなか自主的に勉強する気にならないのは問題かもしれないが。


7月13日(土)

いつもは楽しみにしていたオールスターゲームであるが、今回は全く気がつかなかった。つまり、オールスターゲームがいつ行われているかを気にする暇がなかったということである。
人間は暇が無いと季節感その他が完全に消え去って、日常が単なるルーチン化してしまうわけだが、近頃の僕はそうなりつつあるようだ。気がついたら7月で、もうその7月も半分になろうとしている。1日1日が長く感じた頃が懐かしい。光陰矢のごとし(何か用法が違うような・・)。


7月12日(金)

化学の先生方と飲みにいく。やはり飲み会で化学の話をしたり、教育論について話すのは楽しい。飲んで歌って騒いで、一気飲みして、アホ話をする宴会というのもありなのだろうが、僕としてはこう、静かに杯を傾けてとうとうと語り合う飲み会のほうが好きなのである。

飲み会で語った内容の例。
「中央線の車輌が新しくならないのは、古い総武緩行線を赤く塗って使っているからですか?」→多分そうらしい。
「シアン酸カリウム(青酸カリ)って、なめるだけなら死にませんよね」→飲み込まなければ大丈夫。先生は舐めたことがあるらしい。
・・内容が偏っているうえに、マニアックだなぁ。


7月11日(木)

いよいよ試験期間に突入である。・・というか、こんな直前まで蒼天録にハマッていて良かったのだろうか(良くないって)。
考えてみれば、試験前にゲームをやって、成績に影響したことはこれまでも多くあった。高2の時のサガ2、大2の時の信長将星録、そして今年の蒼天禄。まあ、テストがあるにもかかわらずはまるというのは、それだけそのゲームが面白いからということなのだが、人生を削って楽しみを得るというのもどうかと思ってしまう今日この頃。あとは人生における価値観の問題であろう。


7月10日(水)

信長蒼天録を語る3。

今回の作品はゲームの難易度が簡単なだけに、自分の思い入れプレイがやりやすいゲームでもある。例えば僕は、
「内応・従属は使わない」「寺社や国人には出陣を依頼しない」「大砲を使わない」「忍者は派遣するが、破壊等は使わない」
と、制約をかけまくることにより、難易度を上げて楽しんでいる。
あとパワーアップキットに望むことは、大名や軍団長でプレイする場合、その軍団内の全ての戦争を操作できるようにして欲しい。自分の所属する城の部隊以外はオート戦争なのは少々つまらない(せめて選択制にして欲しいなぁ)。


7月9日(火)

信長蒼天録を語る2。

今回の作品はしかし、もっとも難易度が簡単なゲームである。とりわけ中盤以降の躍進が顕著で、威信がある程度高くなると内応+従属・家臣化脅迫で領土を雪だるま式にふやすことができる。関白、征夷大将軍になってしまうと、10カ国を支配している大名でも普通に従属要求に従ってくれるので、かなり楽になる。
シナリオ1の毛利でスタートして、本拠地狙集中攻撃により、2年で大内・尼子を始末。一気に威信が高まったので内応の成功率が高まり、2年で四国と九州を制圧。翌年に近畿を抑えて征夷大将軍に。朝廷に献金して関白になりつつ、内応で東を侵蝕。東海を制圧したあたりで、武田・上杉・北条を従属させ、家臣化にも成功。この勢いで一気に全国制覇。クリアするのに10年かからなかった(初級のせいもあるだろう)。


7月8日(月)

信長蒼天録を語る。

今回の作品は僕の中では将星録・烈風伝に並ぶ傑作である。今回の蒼天録で一番面白いのは野戦だと思う。
歩兵・騎兵・槍兵のジャンケン方式の採用はなかなか面白く、これのおかげで、寡兵で大軍を打ち破ることが可能になっている。ただし文句が無いわけではない。
混乱が長い→混乱すると回復しにくいが、一喝が1度しか使えないので困る。
特殊能力が使いづらい→作戦を使うと戦意が一気にゼロになるのはつらい。消費MPみたいに、内容に応じて減る量を変えて欲しかった。

鉄砲隊が強いのは相変わらずだが、島津義弘率いる40+20+20の鉄砲隊を河川敷に追い込んで鉄砲を封じ、15+10+10の騎馬隊で撃破したときには感動した。これは他の作品では出来ないことである。逆に、兵科の選択を誤るとCOMに大敗する可能性もあるわけだが。


7月7日(日)

七夕である。買い物の帰りに川を越える橋を通ったのだが、河川敷に沿って七夕の短冊が100m近く飾られていた。
「うわぁ、きれいだな・・」
と、横を向いた瞬間、よそ見運転で別の自転車と正面衝突をしそうになった。相手もどうやら七夕飾りに目を奪われていたらしい。
相手「ごめんなさい。それにしてもキレイな飾りね」 僕「そうですね・・」
と会話を交わして終了。どっちもどっちのようで。


7月6日(土)

ソクラテスは 「年端もいかぬ者たちがはじめて議論の仕方の味を覚えると、面白半分にそれを濫用して、いつももっぱら反論のための反論に用い、彼らを論駁する人々のまねをして自分も他の人たちをやっつけ、そのときそのときにそばにいる人々を議論によって引っ張ったり引き裂いたりしては、子犬のように歓ぶもの」 だと批判している。
何だか某ちゃんねるのネット厨を揶揄しているようで面白い。ギリシャの時代から人の本質は不変なのだろうか。


7月5日(金)

どうやら先週の金曜日も体調を崩していたようだ(先週の日記で思い出した)。金曜日は僕にとって魔の曜日なのだろうか・・という言い訳は置いとくとして、アメリカには月曜日を魔の(?)曜日としているらしい。
週末の休みが明けた月曜日はいまいち士気も上がらず、仕事の能率も低い。なので「月曜日に作った製品は買うな(笑)」という標語もあるようだ。あと月曜日には限らないが、そういうひどい車に対しては「lemon car」と呼ぶらしい。日本ではレモンにマイナスのイメージは無いと思うのだが、文化の違いが感じられて面白い。


7月4日(木)

わたしたち、ふつうのおとこのこにもどります

・・誰?(笑)

さておき、今日はレジュメの発表日。もはや僕のやりたいことは全て終わった。何というか、満足というか爽快感というか、不思議な気持ち。1年生があれだけいれば若い力が守り立ててくれるだろう。良かった良かった。三国志活動に関してはサイトの運営や投稿にのみ力を入れることにしよう。


7月3日(水)

飲み会があるのでメンバーに日時の確認を取っている最中、教室でメンバーの女子を発見。「飲み会を予定している」「○日は空いているか」ということを聞きたかったのだが、順番を間違えて先に「○曜日の夜は空いていますか?」と聞いてしまったため、個人的にナンパしているものと勘違いされた。すぐに気づいて説明しなおしたが恥ずかしかった。日本語は難しいものだ・・


7月2日(火)

あずまんがを見ていて思うこと。別に僕が担当したら改善されるというわけではないので偉そうなことは言えないのだが、間の取り方が下手だなぁと。あの作品は1回の放送でショートストーリーを前半に2つ、後半に3つ入れているが、その時間はほぼ固定されているように思う。つまり、全てのショートストーリーを同じ時間で制作するのである。
すると、中途半端に時間があまることがあるのだが、その調整と思われるシーンが露骨なのである。見ればすぐに「あ、時間稼ぎだな」とわかってしまうのが哀しい。もうちょっとうまく誤魔化せないものだろうか。


7月1日(月)

サッカーも終わり、ようやく野球のシーズンに戻ろうとしている。サッカーも嫌いじゃないんだけど、あの熱狂振りには逆に醒めてしまったのです。どんなに嬉しく、楽しくても最低限の節制はしないといけませんね。清く正しく美しい応援を(・・どんな応援だ??)。

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