沈思黙考

過去の目録 2002年 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
過去の目録 2001年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
過去の目録 2000年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月  目次に戻る

8月31日(土)

三国志サイトを開設している中学1年生の子がいたりする。中1ということは、12,3歳。・・・・平成生まれか!?
確か、僕が小5くらいのときに昭和天皇が崩御して、親に連れられて新宿まで葬儀の列(?)に参加したことがあったから、それ以降に生まれたということなのですね。
サークルの新入生名簿の生年月日に1980年代が書いてあるのを見て世代ギャップを感じていた(僕は77年生まれ)のに、昭和と平成といったらギャップがありすぎです。でも、そんな老若男女が垣根を意識せずに活躍できるのがインターネットの魅力なんですよね。ふぅ。


8月30日(金)

ハッピーバースデー トゥー ミー(哀しすぎる)

とうとう25歳を迎えてしまいました。25と言えば、四捨五入すれば30歳。周囲では結婚したりしている人も出てきている状況で、自分だけ学生をしているという事実に少なからず焦りを感じたりもしているのです。まあ、勉強しなおすことを決意したのは自分の判断なので、後悔はしていないのですが、心のどこかで焦りを感じている自分がいるというわけで。


8月29日(木)

飲み会とか合宿は非常に面白い。どちらも学校生活とは違う、ある意味でその人の素の面が覗けるからである。学校で見ている姿とは別に、さりげない行動から「あ、この人は普段はこうなんだなぁ」と思ったり、逆に素を出すまいと警戒(?)して緊張している姿を見るのはなかなか勉強になる。人間観察の実践の場としてこれほど相応しい場所もあるまい。


8月28日(水)

徹夜明けでテニスをするというのがどれだけ無謀なことかというのが身にしみた。7ゲームマッチなのに、最初の3ゲーム目くらいで体力が尽きてしまうのである(体力無さ過ぎなだけという話も)。途中から心臓の動機がひどくなり、一挙一動するのに数度の深呼吸が必要になったり(野球ゲームでスタミナが切れたピッチャーみたいな感じ)、左に動きたいのに、上半身は反応しても足がついていかなかったりで散々な目にあった。
やっぱり僕はインナー派だなぁ。研究者向きで良しということにしよう。


8月27日(火)

いやぁ、香港とかの映画は単純明快で面白いなぁ。一騎打ちのジャンルに空中戦や頭上戦があるとは思わなかった・・


8月26日(月)

地獄の夏期講習が終了。帰宅後はAZD計画実行のために、徹夜で編集作業。AZD計画は果たして評価を得ることができるのであろうか(まあ、せいぜい評価してくれそうな人は片手ほどもいないだろうが)。


8月25日(日)

人の評価は十人十色。たとえどんなに素晴らしい教師がいたとしても、全ての生徒が良い先生として認めてくれることはありえない。
それは頭ではわかっているのだが、実際はなかなかそう割り切れるものではない。わかっていても、相性の悪い生徒とどう向き合うかで心底悩んでしまう(相性の場合、どんなに努力しても無駄なことが多いのだが・・)。
熱血・根性路線が嫌いな、冷めた生徒(経験的に女子が多い)にはどんなに気合でぶつかっても無駄だし・・
学校の先生になれたとしても、やはり女子高にだけは行きたくないな。熱血路線は受けなさそうだし。


8月24日(土)

人は正義を愛すのだろうか。そして正義は力なのだろうか。

口では理想をいえても、その理想を破ろうとする勢力は力に頼る。その力を倒すためにはやはり力ということになってしまう。犯罪の無いのが理想の社会とは言え、必ず罪を犯すものがおり、彼らは凶悪な力を所有する。それに対抗する力が警察。
学校でも学級崩壊だとか、荒れが指摘されている。最近は少しはおとなしくなったが、単に見えにくくなっただけ(もしくは「キレる」という言葉が示すように突発的になった)とも考えられる。実際に暴力行為に及んでいる生徒を前にして、教師は口でしか静止することは出来ないのだろうか。仮に体を張って止めたとして、このとき万が一でも生徒が傷ついた場合、教師の首が飛ぶからなぁ・・
一部の警察・教師の不祥事が積み重なって今の教師不信になったからという理由を差し引いても、少し評価が厳しすぎる気がする。


8月23日(金)

昔の教育現場は理想的だったのだろうか?

よく、「昔はみんな先生の言う事を聞き、先生も尊敬される立派な人だった。」という言葉を耳にするが、こんなことはありえるのだろうか。昔の先生が立派だったかを考えるに、夏目漱石の「坊ちゃん」を見ればすぐに反例が見つかる。すると、「立派な先生」は何を示していたのだろう。
一つは威厳であろう。戦前のことだから身分上下の礼儀については厳しく仕込まれていただろうし、明治・大正時代の子供達を教える初老の教師は江戸生まれである。自然と威厳が身についていたのではないか。
もう一つは社会のバックアップである。僕の考えでは、こちらのほうが影響が大きいと思う。当時は教師になる人は学のある人だった。いや、別の言い方をすると、一般市民は高校だの大学には行かなかったから、相対的に教師の知識量が上だったのである。そして「権威がある=偉い=従わなければならない」という庶民発想の連鎖で教師が必要以上に持ち上げられていたのではないか。教師=聖職という発想もここから来たものだと思われる。
そして戦後に権威構造が崩れる。明治になって仏像が壊されたように、「戦前のもの」という理由だけであらゆる過去のものが否定された。教師の権威もここで失墜する。同時に庶民が大学に通い始めるようになり、知識さも狭まっていく。労働組合が活発になり、教師も労働者という概念が生まれる。ついでに、偏った「過去の反省」から、権力に楯突くのを良しとする風潮も出てくる。しかし、一度しみついたイメージはそう簡単には覆らない。
その結果、教師は「権力者=下々からの攻撃対象」&「教師=理想的な聖職者」が混在したまま現代にいたってしまったのではないか。ちなみに「教師=普通の労働者にすぎない」はあまり世間では認知されていない気がする。教師を免許制にしている時点で契約社会の産物になっているから労働者と扱われてしかるべきなのに、何故民衆は理解しないのだろう。やはり過去のイメージを引きずっているからなのだろう。

で、「昔の教育現場は理想的だった」という発言がなされるということは、日本人は昔のように、権力者が威厳を持って万事を扱い、生徒はそれに黙って従うほうがよいと考えていると思わざるを得ない。その割に保護者会とかでエゴ丸出しの主張をしてくるのは矛盾以外の何者でもないのだが。


8月22日(木)

ジャイアンツのマジックが消えてしまった。まあ、活躍しているから嬉しいけれど、去年までなら消化試合の守備固めでも見られなかったような斎藤・福井・宮崎・堀田がスタメンなのだから仕方ないのかな。それに負けているのは中継ぎが崩れているだけで、打撃陣は頑張っているし。
もうちょっと福井にも頑張ってもらいたいところ。彼は他球団なら、絶対中軸を任せられるような能力を秘めていると思うし。


8月21日(水)

これまで僕は魚系のダシのラーメンは好きではなかった(というより、これまで自分好みの味に出会ったことが無かった)ので敬遠していたのだが、赤羽のラーメン屋は美味しかった。魚系のダシでこんなに美味しいスープは始めてである。
やはり、過去に数度経験したからとは言え、食わず嫌いになるのは良くないのかなぁ。しかし、「当たり」に出会う確率も低そうなので難しいところ。経験には学ぶべきか、それとも過去は過去、未来の出会いに全ての期待をたくすべきか?


8月20日(火)

反三国志を読む。この前読んだときは斜め読みをしたのでストーリー的なことしか追っていなかったが、今回は少しゆったりと読んでいる。それを読んでいて思うのは、この作品の作者が反欧米思想だということである。作品の中で適当な具体例をあげながら手を変え品を変え、資本主義的な金優先の行動を厳しく批判している。
この人の理想は、「昨日と変わらない今日。今日と変わらない明日」なんだろうなぁ。そういう晴耕雨読の農夫的な生き方には僕も憧れるが。


8月19日(月)

結局、台風の影響で交通機関が乱れていたことを理由に合宿はパス。去年の合宿のときも、台風一過で空は晴れていたのにJR伊東線がストップして帰宅が遅れたことがあったので仕方あるまい(そのときはバイトはなかった)。
それにしても、何故東京の大学生の合宿先は伊豆が多いのだろう。しかも東伊豆。西の土肥とか松崎は行かないのかなぁ。


8月18日(日)

明日からゼミ合宿があるため報告するレポート準備にいそしむ。が、今日の夜から明日にかけては台風が伊豆に来るそうではないか。JR伊東線が止まってしまったら、僕は伊豆半島に缶詰になってしまい、塾講のバイトのために夕方に東京に帰還することが出来なくなってしまう(そもそも、昼に伊豆を出て、夕方に東京でバイトというスケジュール自体にも無理があるのは言うまでも無いが、この場合仕方ない)。
・・そういえば去年のゼミ合宿も台風の直撃をくらい、最終日にはツインタワーが自爆テロで崩壊した。4年前のサークル合宿も台風が直撃して合宿そのものが中止になった。僕は雨男ならぬ台風男なのだろうか。


8月17日(土)

まおネタをアップする暇があったら、蜀人列伝を更新しなさい!

・・ごもっともです。すみません。


8月16日(金)

歴史教科書でまたごたごたが起きているようだ。ところで、外国の歴史教科書(主に西洋)で第2次世界大戦の終結は何月何日になっているのであろうか。実は8月15日ではない。
8月15日はあくまで日本が「降伏します」と宣言した日であり、戦争が終結したのはポツダム宣言を受理した日という扱いになっているのである。つまり、8月16日からの2週間は、日本人が勝手に戦争が終わったと勘違いしていただけで、世界の常識では戦争はまだ終わっていなかった。ということはロシアの樺太侵攻も、降伏宣言している相手を攻めたわけなので不道徳ではあるが、戦争が終わっていない段階なので違法ではないということになる。
このことをきちんと説明しているメディアは少ない。領土返還という国益には不都合な情報だから宣伝していない可能性が高いが、このあたりをきちんと考察したら議論もまた変わるのだろうに。


8月15日(木)

今日は敗戦記念日か。田舎でノンビリしているうちに時間が過ぎてしまった。


8月12(月)〜14日(水)

田舎に行って休養してました。というか、祖父はまさに帝国軍人だ。


8月11日(日)

海軍出身の祖父が熱く語る。

・・そうか。三つ子の魂百までと云うが、憎しみの連鎖は語り部によって伝播されるのだなぁと再認識した。パレスチナ問題。韓国・中国VS日本の問題。彼らの憎しみが消えないのは語り部によってなのだ。
小さい頃から何度も繰り返し聞かされていた話だが、この歳になってよーく聞きなおしてみると、「天皇陛下バンザイ」「打倒アメリカ」「K州人は信用ならん」「O阪のやつらはクズだ」という主張に満ち溢れていた。これらの中には僕が影響を受けたものもあり、改めて思想教育の凄さ、もとい恐ろしさを感じた。
国家的に反日キャンペーンを行っている国の教育を受けた人間が考えを改めるのは相当難しいだろうな・・


8月10日(土)

そうめんとスパゲティはどちらも麺である。我が家に大量にそうめんが余っているのだが、めんつゆにつけて食べるのにはさすがに飽きてしまった。そこで思いついたのがスパゲティ。どちらも麺なのだから、相性が悪いはずがない。
そこでスーパーでバジルソース、ペペロンチーノソース、カルボナーラソース等を購入し(ナポリタンは嫌い)、そうめんに混ぜて食べてみた。すると思いのほか美味しい。独特のそうめん臭さも消えて、新しい食感でそうめんを楽しむことができる。新しい料理が開発できて幸せだ。


8月9日(金)

ジャンプの漫画家が逮捕されたそうで。で、25巻の発売は中止。1〜24巻までも出荷停止か。

実に日本人はくだらない民族だなぁ。・・と思わざるを得ないことが多い。雪印とか日本ハムとか。

もちろん漫画家も悪いし、雪印も日本ハムも悪い。それは弁明の仕様のない事実であり、罰が適応されるべきである。が、それと作品とは関係ない。作者が逮捕されたからといって作品を停止する理由がどこにあろう。作者の逮捕と、本の面白さには関係がない(僕はあの作品に関しては面白いと思わないのだが)。同様に、雪印や日本ハムの製品が撤去されている。「何故問題を起こした企業の商品を販売するのか」という抗議が殺到して店舗から商品が消えていることも理不尽である。そういう苦情をつける人間の頭の方が問題だとも思うのだが、本当に不思議だ。悪であれ、善であれ、商品の評価は別問題だと思うのだがなぁ。


8月8日(木)

うちの先生のプレゼンテーションが一番・・と思っていたら、二階堂先生のプレゼンテーションもそれに匹敵するほど面白い。
何というか、こう、教師として必要な資質のうち、「芸者」と「役者」の高いポテンシャルをもっている(当然「学者」も)。魅せるプレゼンテーションの使い手だと思う。
先生の話はUTF−8について。三国志サイトのありかたを考えるには良い発表でした。


8月7日(水)

早稲田で開かれているPCカンファレンスを見学に行く。しかし、ひいき目ではないが、うちの先生のプレゼンテーションはうまい。他の教授の発表とは大違いである。大部分の発表者はパワーポイントを利用しているのだが、

@パワーポイントの操作に手一杯で、PC画面を見ながら喋っている
 →黒板を見ながら後ろ向きで講義するのと同じで見苦しい
A声の抑揚が無い
 →声が小さくても、抑揚をつければ説得力が増す
B話の構成が無茶苦茶
 →話の序盤と終盤で言っていることが違う気がするんですけど・・

結論。良い研究者が良いプレゼンターであるとは限らない。せっかくの名論文を活かすことが出来ずに時間を終える発表者を見るのは、何だか心苦しい。僕もいずれ発表するときには気をつけなければ。


8月6日(火)

今日は昼食をとりながらインド人と雑談(別に深い意味は無い)。そこで面白い話を聞いた。
彼は日本に来て2年が経つのだが、その彼曰く「日本は暑い。この前散歩していたんだけど、東京はニューデリーと変わらないよ。アスファルトの照り返しの熱い空気が体にまとわりつく感覚とか、ニューデリーと一緒」だそうだ。
日本がインドと同じ暑さ(?)とは驚きである。ヒートアイランド現象で大都市が亜熱帯化しているからなぁ・・


8月5日(月)

DVD+Rを買いに、大きいカメラ屋に買い物に行く。まとめ買いしたかったので、5枚セットのものを探していた。単品なら580円で売っていたのだが、なかなか5枚組が見つからない。セットなら少しは安いと思って、店員を捕まえて「これの5枚セットは在庫でありますか?」と質問したところ、店内を探して、「あちらの棚に少数残っていますね」と教えてくれた。見てみると、確かに5枚セットが棚の隅においてある。お礼を言って手にとった僕であったが、違和感を感じた。
「え・・3800円??」

単品が580円ということは、単純計算で5枚で580×5=2900円であり、3800円はどう考えてもおかしい。また店員を捕まえて聞いてみたら、どうやら2780円の打ち間違いだったとのこと(どうやって2780と3800を間違えるんだ?)。
皆様も、定価をすぐに信じる事なかれ。


8月4日(日)

6日から早稲田大学で開催されるPCカンファレンスのカタログを読む。PCカンファレンスとは、「IT」が叫ばれる現代について、教育現場とPCの付き合い方を考える学会というか、シンポジウムというか、まあそんなところである。
分科会のタイムテーブルを見ながら、「あ、9時からはこの人の後援を聞こう。おわったら、こっちの部屋に移動だな・・」と計画を練っていると、まるで遊園地に行く前日にガイドブックを見ながらあれこれ思いをめぐらす様子に似ていて、ワクワクしてしまいました。
よーし、ついでに2000円するけど論文集を買っちゃおう。


8月3日(土)

三国志サイトとしてのあり方。悩む。

そもそも個人のウェブサイトというものは(人にもよると思うが)個人のわがままで成り立っているのだろうか。それとも、他人の評価を介在しているのだろうか。自分のわがままを追及するのならば、好き勝手に作ればいい。しかし、「見てもらいたい」と少しでも思う以上、他人の評価が絡んでくる。
そう言う意味で、この蜀人気質の中身に疑問を感じつつある今日この頃。

歴史サイトとしての良質サイトは山ほどある。仲間同士でコミュニケーションしているサイトもある。では、うちのサイトは何なのだろう。歴史でもなく、文学でもなく、個人が個人なりに感想を述べるサイト。感想を述べる際には文献が必要だから正史も載せているが、まんまちくまのパクリ(少し見やすく構成しているが)。演義はともかく、正史は要約しようとしても難しいから(それに重要だし)全文載せる方が有効だが、原文を和訳する力も無いし。
ちくまのパクリに嫌気がさしたので、正史編を構成しなおすかもしれません。もしくは「ただの資料だから」と割り切ってそのままにするかもしれません。メインは私評編と魏延だからそれを充実されれば問題ないかなぁ・・


8月2日(金)

面白いネタを見つけたのでスキャナで取り込もうと思ったら調子が悪い。どうやせ故障してしまったようである。仕方がないので修理に出したが、混んでいるから結構時間がかかるとのこと。泥棒を見て縄を結うという言葉もあるが、つねにメンテナンスをしておかないといざ使いたいときに涙を見ることになる。
とは言っても、使わないときはなかなかメンテしようとは思わないんですよね。難しいところです。


8月1日(木)

もう8月になってしまった。忙しい日々が続く・・

目次に戻る