沈思黙考

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10月31日(木)

ついに原稿が終わった・・解放感でいっぱいで、何かを黙考する余裕が無いので、今日はこれでおやすみなさい。


10月30日(水)

ジャイアンツ強し! もう、今日はこれだけで満足で心地よく眠れそうです。・・いや、原稿があるから寝られないけど。

残念なのは、今日はバイトがあったため試合をテレビで見られなかったこと。9時40分くらいに生徒が「先生、ジャイアンツが勝ったってメールが入ったよ」と教えてくれて初めて知りました(授業中だったが今日は許す。←激甘)。
今週と来週いっぱいは、ジャイアンツのことを考えるだけで幸せになれそうなので、バイオリズムも上昇することであろう。この期間のうちに課題をこなすようにしなければ!


10月29日(火)

お風呂に入ろうと思って、風呂釜のレバーをガチャガチャ回していた(説明しよう。うちの風呂は古い。古い風呂釜の場合、湯を沸かすためにはレバーを回して種火を点火しなければならないのである。温度を設定してスイッチポンなどというハイテク機器は夢のまた夢)。

・・パキン

何かが遠くで壊れるような音がした(パルプンテ風)。そして、レバーが一気に軽くなる。・・レバーの付け根が欠けた!!
何度回してもクルクル空回りするだけで火がつかない。風呂釜が壊れてしまいました。やむなく銭湯通い。どこかに荏の花宇宙風呂みたいな銭湯は無いものだろうか(ネタがわかる人いるかなぁ?)。
最近は風邪をひいたり、原稿作成のために不休不眠だったり、風呂釜が壊れたり、踏んだり蹴ったりである。これでこのPCが不調になったらシャレにならないなぁ。でも、「壊れるかも」と言うと本当に壊れる可能性もあるので、控えておこう。言霊の力、侮る莫れ。


10月28日(月)

一昨日のところで、「礼記集説序」に該当箇所ありとか書いたものの、礼記集説そのものが見られない。これもレア本だったのね。礼記そのものと勘違いしていた・・
それでもめげずに他の文献を探っていたら、中庸にも載っていることがわかった。これなら調べられる。良かった。


10月27日(日)

洋服の○山に親と買い物に出かける。父が冠婚葬祭用の服を見に行くというので、付き合ったのだ。が、そこでスーツを眺めていたら、若い店員が僕を見て一言。

高校生の方ですか?」

僕は大学生です。てゆーか、年齢的には25です。高校生とは一回りほど違います。
・・でも、若く見られるのはちょっぴり嬉しかったりするので、引き分け(?)ということにしておこう。何が引き分けなのか・・?


10月26日(土)

詩を訳していて、どうにも訳せない場所が数ヶ所ある。前後の文とつながっているようにも思えない。そこで、以前紺碧の空兄に言われた「定型表現なのでは?」という言葉を思い出し、いくつかの文献をあさってみた。

・・ありました。「礼記集説序」と「春秋左氏伝」にそれぞれ一行ずつ。まんまの文章です。そうか、作者はこの箇所を引用したわけですね。曹操の短歌行の中にも詩経を引用した箇所があるといいますし、詩の中で昔の文章を使うのは珍しくないということなのでしょう。今後、詩を訳すときのヒントになりそうです。


10月25日(金)

魏延の野望のバグ取りが、おそらく成功しました。
今回の盤蛇谷のバグの原因は、正直言ってよく分かっていません。おそらく、Javaの命令文を僕が間違えていたと思うのですが、見た限りはそんなに変には見えなかったのです。僕が制御記号を勘違い?していた可能性もあるのですが。
とりあえず、バグは直ったと思うので、原因究明は後回しにします。暇になったときにでも。


10月24日(木)

学習ゲームの話題を続けてきましたが、ここが(一応)三国志サイトであることを思い出しました。そこで、三国志ファンにはおなじみのコーエーの学習ソフトを紹介しましょう。知っている人は少ないですが、セガサターン版は結構売れたとの説もある、その名も

EMIT

これは、英語と日本語の二重音声(片方のパートだけでも聴ける)でドラマが進む、典型的な英語学習ソフトです。豊富なアニメーションが用いられているので、吹き替え版のアニメを見ている感覚です。さらに、このソフトのウリはそのメンバー。

ストーリー:赤川次郎 音楽:小室哲哉 キャラデザ:いのまたむつみ 主演声優:林原めぐみ 英語監修:東後勝明(早大教育学部教授)

はっきり言って、すごすぎるメンバーです。が、それと同時に「凄いメンバーが集まったからといって、凄いゲームができるとは限らない」ということを体現してしまったゲームであったような気もします。
何が良くなかったのか。いえ、別に悪いゲームではないのです。非常に面白いストーリーですし、操作も難しくない。ただ、「いかにも教材」的な単調さというか、インパクトに書ける気がしたのもまた事実なのです。僕の場合はですが。

僕は気づきました。何故、このゲームは教材的だったのか。それは、日本語パートの声優と、英語パートの声優の声が違うからではないでしょうか。結局、声が違ってしまうと日本語ストーリーと英語ストーリーが別の次元に分かれてしまい、並行して頭に入れることが難しくなってしまうのです。
ということは、日本語と英語をどちらも流暢に話せる声優を起用すれば英語教材を自然に聞き入れることができるようになると思うのですが・・実現は難しそうな気がします。バイリンガルの声優なんて何人いるのだろう!?
とはいえEMITは面白いソフトだと思うので、デジタルブックだと思ってプレイしてみては如何でしょうか。


10月23日(水)

学習ゲームのさらに続き。
今まで述べたように、学習ゲームは暗記であるとか、文系向きのようにも思える。なぜなら、数学計算はやはり紙にやるものであり、画面上で計算しろといわれても、なかなか難しいからである。

しかし、理科のシミュレーションモデルならできるのではなかろうか。僕がそれを思いついたのは、コナミの実況パワフルプロ野球をプレイした時である。あのゲームには操作を練習できるモードがあるが、その中でも守備練習に注目した。
守備練習時には、「左右」「飛球角度」「力」を決めてボタンを押すと、それに従ってCOMがボールを打ち、プレイヤーが捕球の練習をする。

これは、「投射運動のモデル」そのものである。まずxy平面で角度ωを決める。次に投射角度θを決める。そして初期速度v0を決める。これでt秒後にボールがxy平面のどこに落ちるかが計算できる。

ここで「指定したところにボールを落とす」というクリア条件にしてω,θ,vを自分で数値入力する(バー入力でも良い)。そうすれば、各パラメータの相関関係を自然と体感できるようになるのではないか。飛球角度を大きくすると落下に時間がかかるとか、同じ初速度のときに飛球角度をどうすれば一番飛ぶかとかetc。
これくらいなら、Javaやdosプログラムを使って僕にでも簡単に作れそうな気がする。卒業して晴れて教員になったら挑戦してみようかな。


10月22日(火)

学習ゲームの続き。
1次的な学習ゲームというのは、前回も話した英語ゲームだろう。ゲームそのものが勉強になるというもの。それに対して2次的学習ゲームとは信長や三国志みたいに、ゲームをしているうちに、自然と勉強になるというものである(信長の野望は別に日本地理を覚えるゲームではない)。以前、鹿児島かどこかの教育委員会が歴史教育の一環で、全学校のPCに信長の野望を導入しようとした計画があったとかなかったとかいう話を聞いたことがある(実現したかは知らないが)。
他に2次的効果として考えられるのは、キャラの名前を勉強と結びつけることだろうか。

例:アミノさんの家族の名前はグルタミンさん、アスパラギンさん・・(以下略)で、一家全員を覚えれば、アミノ酸が覚えられるとか(爆)。

アミノさん一家のネタは、僕が高校生の時に考えていたネタである。決して笑うことなかれ。星闘士星矢を思い出すのだ(知っている人は)。僕以外にも、黄金星闘士編を見て12星座を覚えた人がいるだろう!!
他にも、A(アンペア)やΩ(オーム)は知らなくとも、ポケモンのおかげでV(ボルト)は知っている子どもとか。
アニメやゲームの2次的教育効果を侮ってはいけない。


10月21日(月)

学習ゲームとは何ぞや。おそらく、ゲームが終わった後で、少しは勉強(学校の)になるゲームのことだろう。ゲームボーイの英単語2000はどうだろう? あれは評価しづらい。単にカード式記憶法をデジタル化しただけのようにも思える。ゲーム性という意味では薄い。
すると、ゲームとしても面白く、タメになるのゲームとはどういうものか。

僕の経験的に、「役に立ったなぁ」と思ったのは「信長の野望→日本地理」「ファミスタ→野球のルール(爆)」だろうか。逆に、キャプテン翼でサッカーのルールを覚えたのは大失敗であった。あれは間違った常識を読者に与えてしまう(ボレーシュートとは、ジャンプして横に飛びながら蹴るシュートだと思っていた・・)。

他にどのような利用法があるか。一番容易なのは、英語学習ソフトとして、普通のRPGやAVGを英語交じりにしてしまうのである。面白い内容ならば、先が気になるから訳したくなる。昔、「英語を覚えるならエロ本(洋書)を読むのが良い」と言われたことがあるが、同じ心理だろう。「You've ever wondered if you could make magic, haven't you ?(魔法が使えたらって思ったことないかなぁ?)」・・適当に訳したが、これであっているのかな??(注:私は美凪派)

あとは魏延の野望みたいに、クイズに答えて先に進むノベル式ゲーム。どちらにしても、ゲームとしての内容が面白くないと人気は出ない。結論としては昨日と同じでつまらないが、「ゲームのプロデューサーが、同時に高い教授能力を持っていれば良い」ということになる。漫画と一緒か。やはり作り手自身に、学習ゲームの内容に関する知識や、「わかりやすく伝えよう」という能力がないとダメ。
何となく、プログラマーやゲームデザイナーは賢そうなイメージ(偏見)があるので、学習ゲームをつくる素材はあると思うのだが(いや、別に漫画家は馬鹿だと言っているわけではなく)。


10月20日(日)

僕は小学生のころ、あさりよしとおになりたかった。

別に、文化人を気取ってアニ○―ジュで電波を撒き散らしたかったわけではない(そんな小学生がいたら嫌ですな)。彼は当時(今でも?)学研の『○年の科学』という雑誌にまんがサイエンスという高品質な学習漫画を連載していた。
学習漫画というのは星の数ほどあるが、良書と思えるものはそんなに多くない。それは何故か?

「漫画の書き手が内容を理解していない(多分)から、薄い内容しか書けない」

からだと僕は思っている。一般漫画でも、作者が自分のノリではなく編集に引っ張らされているような作品は大抵つまらない。学習漫画、特に科学漫画に関してもそれが見受けられると思う。『ひみつシリーズ』は比較的良書が多いと思うが、中には漫画と中身がマッチせず、ただのイラストになっているものもある。これでは学習漫画ではない。イラストつきの学習書である。
その点、あさり氏は科学の知識が深いため、漫画のさりげない(一部えげつない)描写もかなり深い内容に突っ込んでいる。小学生向けの本といえども、おそらく中・高生、或はそれ以上の鑑賞に堪えうる。今読み返しても本当に面白い本である。

つまり、深い科学の知識と漫画家の才能が両方あれば良い学習漫画が書けるのである。・・言うのは簡単なんですが。

僕にはとりあえず画力が壊滅的に無いため、学習漫画家の夢は断念。でも、コンピューターなら使えるから、面白い学習ゲームなら創作できるかもしれない。この魏延の野望も、ある意味、実験的な作品である。このクイズを社会の年表だとか、英単語にすれば、学習クイズの出来上がり。学習ゲームに関する私見はまた次回にでも。


10月19日(土)

MIDI職人さんへの謝辞が書き終わりました。実は、許可をいただいた全てのMIDIを使用しているわけではありません。全てをこのシナリオに使用してしまうのは勿体無い気がしたので、アナザーストーリーまで残りのいくつかをとっておくことにしました。というわけなので、もし今年の2月に使用許可を下さった方の中で「俺のが無い」と思われた方はもうしばらくお待ちください(その前に、此処を見ているのかな?)。いただいた具材、決して無駄にはいたしませぬゆえ。
それにつけても、スクウェアの曲はいい曲だなぁ・・昔のFFとかSagaは名曲揃い。


10月18日(金)

クラスの仲間が死ぬ危機。リアルの死。
薬や健康療法により、体をだましだまし生きているものの、次に症状が再発した時点でかなりアウトに近いらしい。まだ50過ぎなのに。考えてみれば、今年の3月に僕の師匠がガンで亡くなったのだが、50過ぎてすぐだった。小学校のときの恩師が乳がんで亡くなったのも50過ぎ。皆、50代前半である。2捨3入しても50歳。
戦後間もなくの時期に育った人は栄養が満足に取れなかったから、体がしっかりしていないという話を聞いたことがあるが、僕の周囲の死の事実はそれを示しているのだろうか。
人は死を克服できるのか。科学が生を超越することは許されるのか。何も分からないから、無性に悔しい。


10月17日(木)

魏延の野望2が完成しました。とは言え、完成を優先させたので、第4章の展開が少し薄っぺらいものになっています(Ver 0.0)。文化祭で言えば、初日の午前中みたいなもので、まだ工事の後が随所に見受けられます。原稿を書き終わったらストーリーに厚みを持たせるために、最後のほうをチョコチョコ加筆修正する予定です。MIDI職人さんへの謝辞や、紹介のページも次回更新に回します。


10月16日(水)

とあるサイトで、自分の思想と全く異なる人たちが大挙して押し寄せてきたものだから、彼ら相手に大論陣(のつもり)。が、あとで自分の文章を読んでみると、恥ずかしいことこの上ない。感情を破壊して理性的になろうと思ってはいるのに、説得力の無い感情的な意見を書いてしまった。早稲田祭の原稿の締め切りが来週ということもあり、良い機会だから負け逃げを決め込むことに決定。議論していて原稿を落としたなんて言い訳にならないし。
とは言え、相手もなかなか楽しい人たちだったので、暇が出来たら正面から斬り合いたいなぁとも思う。もちろん議論で。

しかし、よくよく考えてみると「相手が態度を変える」ことを目的としてお互いが意見しあっている場合、どちらかの完全勝利(言われたほうが相手の意見を全面的に受け入れる)しか相手が納得しないと思うのは気のせいだろうか。当局と自治会の喧嘩みたいなものか・・?? そう考えるとアホらしい議論であるとも思えてくる。単なる思想対決みたいに。
どちらにしても、もう少し考える時間が必要なことには違いあるまい。


10月15日(火)

塾が大忙し。中2の生徒から数学の質問を受けているときに、中3の生徒から「家で自習したいから理科の問題を下さい」と言われ、さらには去年卒業した高校生が「明日中間試験なんだけど、数学が全然わからないから数T教えて」とやって来る。とりあえず全部片付いたと思ったら、別の高校生が物理を質問しにやって来る。僕の体は1つしかないんですけど。
でも、気体の状態方程式のあたりはやっていて楽しい。高校の物理の先生になるのも楽しそうだなぁ。電磁気が苦手なのでアウトだけど・・

で、フラフラしながら帰宅。とはいえ本日中に完成させる予定のクイズを作らなければならない。・・と思っていたのだが、クイズを完成させようとPCを起動したらついついネットサーフィンしてしまい、ついでに喧嘩に乱入することに(アホだ・・)。ただでさえ疲れているというのに、さらに時間を別のことに使用してしまった。で、バタンキュー。ふたたびクイズ公開延期。ごめんなさい。


10月14日(月)

先日、サークルのOBと渋谷の紅虎餃子房というところに行きました。なかなか美味しかったです。
・・と、これでは小学生の作文である。問題はここから。僕はどういう女性がタイプなのかと聞かれたので、「若い頃の大原麗子ですね」と答えたら、「50過ぎの人と話しているようだ」「変化球を予想していたら魔球が来たみたいだ」と言われてしまった。仕方ないので、

「じゃあ、アニメキャラ(黒沢みなも)と答えたほうが良かったですか?」

と問うたところ、「うん。そのほうが君っぽい」と言われてしまった。非常に複雑な気分だ。


10月13日(日)

最近、議論のことを考えることが多いので、議論に対する考え方をひとつ。これは本に書いてあったことの引用なのですが、自分の考え方をそのまま表しているものなので掲載します。

”よく「私のほうが正しいことを言っているのに負けた」と悔しがる人がいますが、その人は根本的な思い違いをしています。それぞれの人にとって、自分の意見が正しいのです。人は自分の経験を通してしか判断が出来ません。経験が異なれば、判断が異なるのも当然です。そしてもちろん、絶対の真実が議論の勝敗を決めるものではありません。議論の勝敗を決めるのは、ひとえに「議論の能力」です。ただそれだけなのです。”

うーん、かっこいい。特に「経験が異なれば、判断が異なるのも当然」という部分は、僕の教育観にも通ずるものがあります。人間が成長するとき、その思想や行動パターンは人生経験によるところが大きい・・と。つまり経験説です。これについてはまた今度。


10月12日(土)

ネットのニュースを見ていたら、どこかの議会で『悪党に人権は無い』という発言をした人がいて、議会が紛糾したとか。昔好きだったスレイヤーズを思い出してほのぼの。
・・で終わりではないです。この発言って、議会を紛糾させるほどのものなのでしょうか。良識だとか議会に相応しい発言云々と言っていますが、『場の雰囲気』が嫌いな僕には全く無意味なもの。自分の言いたいことを端的に表したストレートなセリフであり、問題ない気がするのですが、建前重視の日本ではまだまだ受け入れられないようです。
あの2ちゃんねるでさえ「議会で言う発言ではない」と言っている人がいたのには驚き。


10月11日(金)

このサイトのタイトルにもあるとおり、僕は技術屋さんや職人肌の人が好きです(自分にはなれなさそうですが)。そう言う意味で、今回ノーベル化学賞をとった田中さんは本当の職人気質だなぁ・・と。
100人に1人くらいは、金でも名誉でもなく、自分の生き様を貫いて欲しいものです。欧米からたとえ「働きバチ」と言われようとも。


10月10日(木)

ノーベル賞ネタ。カミオカンデとか、スーパーカミオカンデの名前は昔から雑誌とかで読んだことがあったので知ってはいたのだが、そのとき「カミオカンデって、まるで神岡みたいな名前だなぁ」と思っていた。

まさか、本当にそうだとは思わなかった!! ひょうたんからこまとはこんな感じなのだろうか。


10月9日(水)

今日は授業が無い日(休講)だったので、これまでの疲れを取るべく目覚まし時計を解除して寝る。

・・起きたら17時。さらにトイレに行ってまた寝たら、今度は21時。合計すると一晩のうちで19時間も寝てしまいました。ナマケモノ並。すごい。


10月8日(火)

部室に行ったら紺碧の空兄・ABI総裁兄・唐王兄が来たので、「学級会や道徳の授業で万引きについて議論していて、『注意しない店が悪い』という結論になったらどうするか?」という問をかけてみた。

@生徒の議論を尊重してその意見を認めるのか。・・多分、PTAから教育委員会に告げ口されて吊るし上げられるでしょう。
A「いや。君らは間違っている!!」と議論をひっくり返すのか。・・これだと議論した意味が無い。
B教師も意見者として参加し、自分の意見で生徒を論破する。・・教師が無能な場合、論破されたら取り返しのつかないことに。

2時間ほど話し合ったが結論は出ず。1年生とかが来たのでその話はやめにすることにした。本当に難しいなぁ。


10月7日(月)

「場の空気を読め」

という言葉がある。会議の時に使われることが多い。チャットをしているときなどにも見られる文章である。そして、僕の嫌いな言葉のひとつである。感情によって行為が左右されるのが嫌いな僕にとって、場の空気というものはマイナス材料でしかない。場の空気に縛られて自分の思うことが出来なくなるのであれば、そんな空気は無いに越したことが無い。
チャットを見ると場の空気を読まない人間は厨房扱いされているようだが、喧嘩上等。むしろ場の空気に流されてまったりとナァナァにやっている人間のほうが厨房であると思うのだが、それはあくまで個人的見解なのでしまっておこう。個人的見解では相手を論破できないし。
場の空気を積極的に破壊することが、日本人の新たなコミュニケーション概念の開拓につながると思うのだが、どうだろう?


10月6日(日)

文章はそのニーズによって変えるべきなのだろうか。

僕は「文章は相手に読んでもらうものである」というスタンスをとっている。自己満足なものをツラツラと書いておしまいではなく、データレポートのように情報だけ書いておしまいでも無い。読んでもらうということは、読んでいる人がわかりやすく、読んでいてつまらなくないものでなくてはならないと思う。
だから僕はくだけた文体が好きである。気楽に読めなくて何が文章か。よく専門的なことや論文などで難しい文章を好んで書く人がいる。聞くと「論文なんだから真面目に書かないと」とか「論文は遊びじゃないんだから」みたいなことをいう。

が、論文こそ「自分の意見をわかってもらう」ための文章であり、わかりやすさ・面白さが重要なのではなかろうか。単に格式高いものにするためだけに難しい言葉や文体を使うのであれば、そんなのは書いている人間の自己満足でしかないと思う。内容がしっかりしていて、しかも読んでいる人から思わず笑みがこぼれるような楽しい論文。こんな文章が書けると良いなぁ。


10月5日(土)

塾でバイト講師をすること5年。だいたい周囲の学校の先生の能力もつかめてきた。が、非常に残念な例もある。とある中学の1分野(僕は昔の『第1理科』という響きが好きだったのだが)の先生の話である。

今年の7月に、定期テスト対策ということで僕は生徒から学校のノートを見させてもらっていた。すると、このノートの中身が非常に優れているのである。アンダーラインを引く箇所から、ポイントの抽出から、表のまとめ方から、全てが僕の理想とするものに近い。そこで僕は、
僕「この理科の先生はいいね」
といった。すると、
生徒「えー?この先生つまんないよ。何言ってるんだか全然わからないし」
という答えが返ってきたのである。
よく聞いてみると、この先生はボソボソと話す上に、生徒に発問することも無く1人で淡々と授業を進めるとか。生徒はそれを黙って写すだけ。それは確かにつまらない。教師の持つエンターテイメント性という部分を完全に無視している。悪い理系の典型だ。

この先生の試験問題は素晴らしかった。重要な点をズバリ質問し、必要な技術の確認をする。くだらない問はない。ノートも万全。でも、つまらない人らしい。とてももったいない。素晴らしい内容をもっているのに、それを生かすだけの技術が無いのである。そこそこ若いらしいので、先生が成長することに期待しよう。


10月4日(金)

僕はこれまで豚骨ラーメンが好きだと思っていた。・・が、僕の好む豚骨ラーメンは真の豚骨ラーメンではなく、東京人向けの豚骨もどきに過ぎなかった。本当の豚骨ラーメンの持つ匂いに僕は耐えられなかったのである。敗北感。
多分、「あ、このにおい、浮浪者の人とすれ違うときに漂ってくる匂いに似てる」と思った時点で敗北は決定だったのだろう。無念なり。


10月3日(木)

自分は、自分の考えを貫くためなら例え友人であっても攻撃すべきなのだろうか。自分の考えは相手を相当傷つけることになる。でも、それを放置することは僕の中で許さないものがある。許さないというか、相手のためにも考え直してもらいたいのである(これを傲慢というが)。
僕の主張と相手の主張。正面から刃を交わすべきなのかなぁ。早いうちに解決しないと、後々面倒なことになるのは確実なのだが、どうも決断できない。自分に自信を持てきれない弱い自分が情けない。


10月2日(水)

「学校で道徳は教えられるか?」
教師になるつもりの僕には避けて通れない命題である。が、これを考えているときに、ひとつの根本的な問題にぶち当たった。この前の北朝鮮問題のときにも似たようなことを考えていたのだが、道徳問題を考えていて同じ問題にぶち当たったのである。それは、

民衆が間違ったことを望んでいる場合、国は民衆の望みを優先させるべきなのか? それとも間違いを正すべきか?

ということである。僕が民主主義の意味を完全に理解していないから民主主義=多数決と安直に考えているだけなのだが、経験的にそう勘違いしている人は多いと思う。小学校の学級会しかり。
僕は思う。学校で教師が頭ごなしに「○○は正しい。○○は間違っている」と教育するのが、過去の例を考えて危険だと言うのは同意する。だが、例えば万引きは良くないと言う事を議論していて、結果、万が一「注意しない店が悪いんじゃん」という結論になったらどうするか。中学生くらいの思考の場合、充分にありえる結論である。民意を尊重(皮肉)して教師は「そうだね」と同意するべきなのか。それとも権力が介入(これも皮肉)して「いや、君たちは違う」というべきなのか。僕にはまだ結論が出ていない。難しい。


10月1日(火)

台風直撃セガサターン。

台風のニュースを見ながら、心の中でそう思った人は日本に何人くらいいるのであろうか。・・などと下らないことを考えてみる。少なくともここに1人いるわけだが。
結局、戦後最大級というほどの被害は出なかった模様であるが、僕の傘は一発昇天。お気に入りの傘だったのに。

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