沈思黙考

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11月30日(土)

結局ノリは阪神に行くのか、松井はどうなるのか、伊良部とか新庄はどうなるのか。今年のストーブリーグは話題がいっぱいあって飽きないのだが、情報が錯綜していてなかなか混乱している模様。昨日と今日とで報道が違うこともたまにあるし。
ローズはロッテに復帰するのかが最大の関心。


11月29日(金)

赤毛のアンを読んでみたけど、特に「実際に気絶ごっこをした」ような描写はなさそうだ。一部のサイトで「アンはダイアナと遊んだり、気絶ごっこをしたり云々」と書いてあったので、もしやと思っていたのだが・・
まあアンはそんな物騒な話ではないから、載っていなくても不思議ではあるまい。むしろ、アンは電波少女の小説だった(笑)。現代の教室にいたら、結構扱いに困るなぁ。僕もこれまでに数人こういうアンみたいなタイプの女の子を教えてきたことがあったが・・


11月28日(木)

最近、地球ブルースという曲がお気に入り。
しかし、その中の「がんばんな がんばんな がんばんな」という部分が一瞬ボケ耳で「さかな さかな さかな」に聞こえ、おさかな天国と混ざってしまう。地球を探しても僕1人だけだろうが・・


11月27日(水)

福田官房長官が「拉致被害者を帰す約束なんてしていない」と語ったそうな。
あれ? だとすると、僕がずっと勘違いしていたことになる(11月19日の沈思黙考を参照)。

僕はスポーツ新聞やワイドショーの類は見ない人間である。ということは、「被害者はあくまで一時帰国(たしか、10日か一瞬間程度)」という情報は、テレビのニュースか新聞かyahooニュースのどれかで見たことになる。いったいどこがそういう情報を流していたのだろう??


11月26日(火)

思い出したいのに、もう少しのところでなかなか思い出せないのは非常に嫌な気分である。確かファイナルファンタジー系の曲だったと思うのだが、どの作品のどの場面の曲だったのかが思い出せない。
曲は一部を聞けば全部を口ずさむことが出来るのに、タイトルが思い出せない。あー、悔しい。
単語ならば、googleとかで検索も出来ようが、メロディに関しては検索は出来ない。

「ド レ ミ ファ ミ レ ド」と書き込むと「かえるの歌」などがヒットする検索システムが出来ないものだろうか・・まず無理だろうが。


11月25日(月)

最近見つけたお気に入りの店(16日の沈思黙考で書いた)が今年いっぱいで閉店。ヲイヲイ、コレハイッタイ、ドウイウコトダネ?(激涙)
本当に疫病神化してきたなぁ。


11月24日(日)

失神遊びは気絶ごっことも呼ばれ、比較的昔からあるようだ。伝聞の「ようだ」を使用しているのは、僕の周囲でこのような事例を見たことが無かったからである。10年前にも流行したとか、古くでは愛知で40年前に発生とか、情報が多数存在している。
情報ソースが同時多発的で錯綜しているのは、これが一種のサブカルチャーに属するものだからともいえる。人面犬だとか、志村○んが死んだとか、高○名人が逮捕されたとか、こっくりさんとか、小・中学校の文化は深いネットワークを有している。もしこういう「学校内の児童及び生徒文化」を専門に研究している人がいたとすれば、今回の事件も違った角度から切り込んでくれるかもしれない。

ところで、「気絶に憧れる」と言う話は『赤毛のアン』にもあるという話を耳にしたので、さっそく読んでみることにする。さすがに、アンがダイアナを壁に押さえつけて胸部圧迫により落とす(もしくは頚動脈をしめる)というような内容ではないと思うけれど・・一応、気絶に憧れる心理的要因のヒントとして参考までに。


11月23日(土)

気絶ごっこ(失神遊び)というのがある。先日も練馬区の小学6年生が一緒に下校していた小学5年の児童に失神遊びをしないかと持ちかけ、胸を圧迫したところ、気絶した拍子に顔面から地面に落ちて歯を折るケガをしたとか。
てゆーか、これは失神遊びではないだろう。失神遊びをネタにしたただのイジメ。最近、学校でトラブルがあるとすぐいじめを疑う短絡思考な関係者も多いが、この場合は状況証拠的にいじめの要因が高そうな気がする。
そもそも失神遊びは「自分が失神して快感を得ること」を目的とした行為であり、他人に強制してすることではない。小6が「やってくれ」と小5に頼んで自分の胸を突いてもらったのならわかるが、「やろうぜ」と相手の胸を突くのは不自然である。それに、大抵は失神した子が倒れないよう、隣に支える役が付き添い、計3人以上が1セット(押す役、気絶役、支え役)となるのが基本らしいので、一応子どもの頭でも、「倒れると危険だから支えよう」という安全管理は出来ているようだ。今回のように転倒させてしまうのは、やった側にその考えが無かったことでもある。よって、上級生が下級生をいじめる手段として失神遊びを利用したのだろう(新聞を読んだ限りの推測だが)。
まあ、本当に安全管理の出来ている子どもは失神遊び自体をやらないが・・


11月22日(金)

本日は「良い夫婦(1122→イイフ−フ)」の日だそうだ。独身の僕には一応関係ないが、両親に何かお土産でも買って帰ろうかな。
そういえば、11月11日はポッキーの日だったらしい。初めて聞いたのだが、形がポッキ―に似ているからだとか。日本人は語呂合わせが本当にうまいなぁ。僕のイメージだと、11月11日とか11月22日とかは、鉄道マニアが記念切符を買うために存在しているというものなのだが、人それぞれということなのだろう。僕は平成11年11月11日に記念切符を買ってしまった…


11月21日(木)

アメリカにいた漢(オトコ)。性別は女性だが、漢の魂に性別など関係ない。

その漢とは、1916年にモンタナ州でアメリカ史上初の女性下院議員となった共和党のジャネット・ランキンである。彼女は1917年、ウィルソン大統領が第1次世界大戦に参戦する戦争宣言に、下院でただ1人反対投票を行った。そのせいか翌年の下院選挙で落選したものの、40年の選挙で再び下院議員に返り咲いた。翌年、ルーズベルト大統領の対日戦争宣言に反対した唯一の下院議員となり、翌42年の選挙で再び落選した。最近も、テロに対する武力攻撃決議にたった1人反対票を投じたバーバラ・リーという女性下院議員がいる。

何かに中てられたように満場一致の勢いで方向が定まろうとしているとき、自分の信念を貫いて、たった一人で反対する。これほど勇気のある行為はあるまい。だから僕もそれに習いたく、主張する。今回、拉致被害者を永住させるために北朝鮮への約束を破ったのは間違いであると。永住させる気があったのなら、最初から「10日で帰国させる」などという口先三寸の約束などするべきではなかったのである。


11月20日(水)

先日の続きだが、どこのマスコミを見ても、「日本が約束を反古にしたこと」に関して批判的なところは少ない(北朝鮮は当然批判してきたが)。
これはどういうことなのだろう。日本人全員が「相手が悪ならば約束なんか無視して良い」と考えているのだろうか。違う。そんな短絡的な人間が1億2千万もいるはずがない(少なくとも、僕は違う考えなわけだし)。
すると、なぜメディアはここを指摘しないのか。答えは簡単。日本は昔から長いものに巻かれ、多勢に迎合してきたからである。ワールドカップの時には皆がサッカーファンになり、オリンピックになれば皆が日の丸を振る。
勿論、ワールドカップでサッカーに興味を持つのは良いことだし、僕自身国旗・国家は肯定派なので、オリンピックで日の丸を振るのは大歓迎である。が、日本中のメディアが一色になって「サッカー」「オリンピック」・・そして「北朝鮮」となることが僕には納得できないのだ。その期間にメディアが示す色に染まっていないと非国民扱いされる。これはどういうことか?戦前とまるで変わっていないではないか。

僕はアメ○カはあまり好きではないのだがそこの下院議員に漢(オトコ)がいた。それについては次回。


11月19日(火)

北朝鮮の拉致被害者の家族が早稲田大学で講演したらしい。僕は見に行かなくて良かった・・

何故なら、今の僕ならどうしても被害者の家族に噛み付いてしまいそうだからである。確かに拉致と言う事実に関しては北朝鮮が悪い。それに関しては日本の主張は全く正しいと思う。しかし、「10日で帰す」と約束したのを反故にして永住帰国を強行したのには納得がいかないのである。
「相手だって嘘をついてきたじゃないか」という意見もあろうが、だとすると、今回日本が嘘をついたことにより、今後北朝鮮が嘘をついたときに「この前、日本も嘘をつきました」という正当性を与えてしまうことになるのである。
それ以上に影響があるのは教育上の問題。「相手が悪ければ、嘘をついて騙しても構いません」ということを国家が公にやってしまったわけで、ただでさえ利己主義が多いといわれる現代の子ども達がますますそういう傾向に陥ってしまうのではないかと。
信義のために3日分軍を退くような君主は、現代には生き残れないと言うことなのだろうか。哀しい。


11月18日(月)

前回の続き。実験のあとは、いろいろな機材を見せてもらいました。例えば、センサーつきの皮手袋。よく最先端技術とかの番組で出てきますが、人がこの手袋をはめて指を動かすと、センサーが読み取って再現できるというもの。将来的には手の届かないところの細かい作業をするときに、ロボットアームと組み合わせて使えるかもしれません(遠隔操作)。

「すごいですね、この手袋」
「これ1つで200万するのよー」

は・・? この(見た目)ちゃっちい手袋が200万円ですか?

「こっちのVR空間の装置は5億円(6億だったかも・・)するのね」

え・・??? 実用化はまだまだ遠そうです。僕がペタペタ指紋をつけてしまった立体メガネも1つ3万円なり。


11月17日(日)

文部科学省の研究機関であるメディア教育開発センター(NIME)に出かけてきました。仮想空間(VR空間)の実験の被験者となるためです。いやあ、実験はいいですね。僕は実験をするのも、自分が実験台になるのも好きなのです。
さておき、仮想空間=ヴァーチャルリアリティ空間というのは、偏光板を使った眼鏡をかけることで目の前が立体に見えるというものです。子ども向けならば「青と赤のフィルムのついたメガネ」、大人の方なら「つくば万博でやってた黒っぽいフィルムのついたメガネ」といえばわかるでしょうか。任天堂のヴァーチャルボーイもこの仲間です。
イメージで言えば、よく天気予報で、日本地図のCGの上にキャスターが立っている映像がありますが、まさにあんな感じです。メガネをかけると、自分があたかも立体のCGの世界に迷い込んだ感覚になるのです。そこで血圧や心拍数を測定して、人体への影響を調べたり、VR空間の実用性のテストをしたりするのが今回の実験の目的のようでした。
内容は他の被験者の方が見たら困るので秘密ですが、画面が回転すると、面白いことに体も自然と傾いてしまうのです。人間の体は視覚と聴覚でバランスを取っているせいか、画面や音が回転すると、実際は傾いていないのに、体が横によろめいてしまう。これは面白い体験でした。忍者漫画とかで、幻術を用いて相手の見る風景を回転させて転倒させると言うものがありますが、あれば実際に可能な技のようです。


11月16日(土)

最近、自分の支持するものが世間では認められにくいと言う事を再認識する。僕のお気に入りだったラーメン屋とカレー屋は、できてから2年くらいでつぶれてしまった。都知事の選挙も、衆議院選挙も、自分の投票した候補は見事に落選している(ビリではなく、次点とかだから善戦ともいえるのだが)。いや、僕は疫病神じゃないですよ(笑)。
自分が異端なのか? それとも、世間が異端なのか? そもそも異端とは何で、正常とは何か?

そう。この世に絶対的に正しい、通常なものというのは存在しえない。全ては相対的に通常とされているにすぎないのである。

最近お気に入りの店が出来た。小さな個人経営だが、品揃えの良い店である。今度はつぶれませんように。


11月15日(金)

懐かしいスレイヤーズを見ていたら、再びDVD化計画を決意・・しようと思ったのだが、コストがかかるのでVCD化に変更(どちらにしてもやるんかい)。これなら画質は落ちるが、時間もメディアのコストもかからない。画質が悪くても見られればオッケーなのです。食事にしたって、質が悪くても食べられればよいのです。洋服にしたって、見た目は悪くても着られれば良いのです。以上言い訳。


11月14日(木)

最近、2chの三戦板に兀突骨の話題を扱っているところがあるのを見つけた。うちのウェプページへのリンクも貼ってあった(笑)。
タイトルだけ見たらネタのスレッドかと思ったら、なかなかに面白い。
来年の早稲田祭には今年の『韓元墓記を読む』をはるかに越える大型レジュメ『南蛮を斬る(仮タイトル)』を投稿したいなぁと考えているところなので、非常に参考になりそうだ。どのみち元代の地方文化や文学を調べないことにはまとめられないので、大変なことには違いないが。
実は11月8日の”りゅうぜんず”さんでも兀突骨スレッドを紹介していたようだが、そのときは全く気づかなかった・・


11月13日(水)

長野行新幹線の不思議な点。それは名称変更を大々的には告知していないと言うこと。

例えば、「『東海道新幹線』を明日から『太平洋新幹線』にします」ということになったとき、ろくな広告もせずに突然やったら客の混乱と反発を招くことになるだろう。しかし、長野行き新幹線に関しては不思議な現象が見られる。JR東日本のサイトの「プレリリース」のコーナーを見てみると、長野新幹線について以下のような記述の変化が見られるのである。

平成9(1997)年10月7日  長野行新幹線の開業初日からのお客さまのご利用は…(後略)
平成10(1998)年2月23日 長野新幹線「あさま」のご利用人員は…(後略)
平成10(1998)年5月6日  ゴールデンウィークのご利用状況 →掲載されている表には「長野新幹線」

何だか、3ヶ月ごとに「行」が小さくなって、6ヶ月目に消えたんですけど(笑)。嘘だと思う人はプレリリースを見てみましょう。面白いです。
ネット上の情報でも「時刻表に関しても98年6月号から『長野新幹線』になっている」と書いてあるサイトがあったので、多分「行」が消えたのはこの時期なのでしょう。
が、プレリリースを見る限り、名称変更のお知らせは書いていなかった。これについて思惑は色々あるのだが、探せばどこかに名称変更のお知らせがあるかもしれないので、今は口を閉じておこう。お知らせがあるのに「無いじゃないか」と批判したら名誉毀損になってしまうし・・

あ、でも東北線が東北線(宇都宮線)になったとき、告知とかをしてたかなぁ? この結果次第では新幹線問題についての僕の論点も変わってくるんだけど。古本屋とか大きな図書館に行けば、当時の時刻表を置いてあるだろうか?? また調べ事が増えてしまった。


11月12日(火)

長野行新幹線をご存知だろうか。長野新幹線ではない。

もともとこの新幹線は、北陸新幹線のうちの高崎−長野間の部分開業だったはず。だから北陸新幹線のままでも良いとも思っていたのだが、「まだ北陸まで開通していないのに『北陸新幹線』なのか」というツッコミと、北陸の自治体の「北陸へ延伸する意味を含めたい」という2つの意見を微妙にミックスして、『長野行新幹線』となったわけだ。つまり、「本当は北陸新幹線なんだけど、長野までしか開通していない。でも長野新幹線だと北陸に行かないイメージがあるから、『長野方面に行く新幹線=長野行新幹線』にしました」という玉虫色の命名ともいえる。

そして、この名称は予想通り、見事に大コケした。そもそも、長野行新幹線の上り列車は「東京行き長野行新幹線」となってわかりづらいことこの上ない。だから、最初から『北陸新幹線』のままで良かったのである。いちいちオリンピックに浮かれた長野の意見を聞き入れる必要などなかったのだ。
しかし、本当にそんな理由だったのだろうか。少し話が長くなりそうなので今日は話を区切ることにする。


11月11日(月)

日米野球のスコアボードを見ていてふと、思ったこと。

M 200000000 2
N 00241010× 8

M vs N って、昔やっていたファミスタの、「メジャーリーガース vs ナムコスターズ」みたいだな・・と。僕が小学校の頃、ファミスタ88がクラスで大ブームになり、夕方にもなると誰かの家でほぼ毎日ファミスタ大会みたいなものが行われていた。僕は塾のため毎日は行けなかったが、行くたびにナムコスターズを使い、勝ちを重ねていった。「無敵のナムコ使い」なんて称号もいただき、これが後に「算数とゲームなら伊比に聞け」と言われるまでに発展。全ては懐かしき思い出よ。
1番センター「ぴの」がお気に入り。投手は「ぜひうす→りっく→きゃらはち」の継投をよく使ったものである。ああ、もう完全に個人的なネタだ。


11月10日(日)

家に工事の人が入ってきた。JCOMの工事のようである。ふーん、何だろう?よくアパートの掲示板を見ていなかった。

・・が、これはすごい。見られるチャンネル数が一気に飛躍。8:30からはスレイヤーズをやっているし。懐かしいなぁ。日米野球も場内音声で見られる(一部)し、言うことなし。一日中アニメのチャンネルがあるなんて、ますますダメ人間への路が用意されてしまったようで怖い。自重せねば。


11月9日(土)

飲み会に誘われたのだが、バイトのため欠席せざるを得ない。
バイトが土曜日の午後全てに入っている(15:00〜21:40)のはつらいが、仕方あるまい。それにしても四谷大塚の問題集はなかなか難しい。自分もよく小学生の頃に解けたなぁと思ってしまうくらいである。こういう難問に自分から積極的にアタックできる生徒は皆、私立に行ってしまう。言い方は悪いが、公立に来るのはその残り。公立のレベルが低いのも仕方ないことなのか。


11月8日(金)

早稲田祭が終わったのでサイトの更新をしたいところだが、来週の木曜日にゼミのポスターセッションがあるので、その準備にかからないといけない。というか、一週間でポスターセッションの準備が終わるのかどうかが問題である。
というわけで、サイトの更新は少し延期します。


11月7日(木)

基本的に、ジャイアンツには中村もペタも要らない。ペタジーニに関しては松井とポジションもかぶるし、前の球団とうまく行かずに辞めた経緯があるので、巨人に来て悪いとは言わない。しかし、中村はまずい。FA宣言で漢を下げておきながら、さらに巨人入りしたら周囲の恨みを買うだけである。確かにサードに不安を抱える巨人としては選択肢の一つかもしれない。しかし、それでもやって欲しくない(あと正直、セリーグであれだけの活躍ができるとは僕は全く思っていない。せいぜい打率270、30本いけば御の字だろう)。

個人的理想による来季のスタメン

1.清水(左) 2.二岡(遊) 3.高橋(中) 4.清原(一) 5.阿部(捕) 6.斎藤(右) 7.仁志(二) 8.元木・福井(三)

サブとして川相・鈴木・宮崎・堀田・川中を起用。後藤は・・犠飛専用ということで(スタンドに届かないアッパースイングってどうよ?)。

江藤・工藤・前田は要らん(!?)。本当は清原も斬りたいのだが、松井が抜けた以上、背に腹は変えられないかもしれない。腹を変える・・そうだ! 原をサードに復活させよう(笑)。


11月6日(水)

ずっと早稲田祭関連の話だったので、少し毛色を変えて、フィリピンの教育事情でも。

ゼミの人がこの前発表した内容で印象に残った話がある。それは、フィリピンでは教員数が絶対的に不足しているということ。そして、その理由はほかでも無い。経済的な理由なのである。

フィリピンで教員をするより、シンガポールでメイドをしたほうが、給料が2倍以上もらえる!

のだ。そりゃあ、教員は避けられますな・・

しかし、日本人はこの話を笑って聴けるのだろうか。昔より(戦後だが)教員をあざける言葉として「頭が悪いから教員になった」というものがある。つまり、頭の良い人は皆一流企業に行って、そこに行けなかった人が残り物として教員を選ぶと。
この話を聞いたときに何が導き出されるか。

では何故、優秀な人材は教員ではなく、一流企業を選ぶのか?

ということである。先の発言は社会的に「一流企業>教員」が成立してこそ成り立つ論理。では、なぜこの不等式が成り立つのか。

結局、金と名誉なのだろう。

僕は貧乏生活は承知した上で教員になろうとしているのだが、そういう人は少ない。教員になると給料は安いは、休みも(見た目より)少ないは、生徒には陰で悪口を言われるは、社会的にも悪いイメージで捉えられているはで良いところが少ない。
政府は優秀な人材を育成したがっているようではある。だが、本当に優秀な人材を育成したいのであれば、教員を含む公務員の待遇を一般企業以上に上げる。そのかわり、制度も厳しくして、無能な人材は首を切れるようにする。少なくとも、今の「公務員は薄給だが、定年までのうのうと安定した生活ができる」というイメージを崩すのである。「公務員は高給だが、厳しい」と。

そうすれば教員のマイナスイメージは今より減少し、優秀な人材が企業よりも公務員を選ぶ日も近いだろう。少なくとも、僕は「無能だから教員になったんですね」と言われるのは嫌だ(誰だって嫌か・・)。
政府が本当に痛みを伴う改革を覚悟しているのならば、まずは足元の公務員からはじめるべきであろう。現状を革命せよ。


11月5日(火)

とくに混乱も無く早稲田祭が終わったようで何より。久しぶりの復活ということで、革○とかの団体が妨害を仕掛けてくることが予想されていたが、目立った騒ぎは起きなかった模様。早稲田祭スタッフの尽力には心から感謝したい。
学校の補助金がおりず、逆に広告費等捻出のために参加団体から参加費を徴集するありさまで、参加団体からの反発もあっただろうが、よくぞここまで無事に乗り切ってくれました。長年のノウハウなど何も無い、ほぼゼロからの出発で早稲田祭を成功に導いてくれたスタッフに敬礼。
もちろん不備が無かったわけではないが、初めてにしては上出来ということ。来年以降、改良すればよいのである。本当にお疲れ様でした。


11月4日(月)

早稲田祭2日目

あれやこれやで過ぎたため、あまり印象に残っていません。あるとすれば、隣の部屋でやっていたオバカな合コン企画(?)の集団が大挙して廊下に列をなし、通行の妨げとなっていて邪魔だったこと。憤怒&殺意ゲージが上昇していたため、冷静に周囲が見られなくなっていたのかもしれない。

そして早稲田祭終了。その後は夕食を食べたり、飲みに行ったり、徹カラにつきあったり。
徹夜でカラオケなんて、4,5年振りですよ。しかも回りは20歳以下ばっか。でも、一番元気だったのは僕だったりする。皆さん若いのにだらしが無い。理工の研究室にいた経験があるせいか、不規則生活なら僕に一日の長があるということでしょうか。
とりあえず、夜の大久保を「黒いコートに大刀のレプリカ」を持った京兄と歩いていて、チャイニーズマフィアと間違えて殺されなかっただけでも幸せといえましょう(笑)。

カラオケの感想として。玄鳳兄が歌っていたガーネットクロウ(スペル忘れた)が良かったので、必殺技(?)の青魔法を使いラーニング。あと2,3回聴けば完全にマスターできるであろう。


11月3日(日)

早稲田祭1日目

銭湯に行って朝風呂してから早稲田に向かう。今年のコンテンツは「会誌販売スペース」「クイズ・アンケート頒布スペース」「三国志小説・漫画展示スペース」「ビデオ上映スペース」「PC展示スペース」の5点。
・・なのだが、妙にちんまりして、とても展示室には見えなかったのは何故だろう。松竹梅氏にも後で指摘されたが、装飾が無かったのが失敗だったのだろうか。考えてみれば、模造紙で「受付」だの貼った以外は、全く手を加えていなかった。せめて布とかカーテンとか旗とかで、部屋をそれっぽくしたほうが良かったのかもしれない。10名以上のOBが来訪していたが、誰かもそんなことを言っていた気がする。

お昼に「りゅうぜんず(http://www5d.biglobe.ne.jp/~ryuzen/)」の管理人松竹梅氏も到着。色々と話をしたが、痛切に感じたことが1つ。僕の知識量が絶対的に足りない。もっと勉強しないと、まともに彼と話すこともできない・・ とりあえず、中国語の本を読めるレベルにはなりたいものだ。華陽国志の原文を読むくらいのレベルの(これは難しいとの話もあるが)。それ以前に、後漢末期の中原の知識が演義のそれしかないほうが問題という話もあるが。ちゃんと袁紹勢力あたりも勉強しなきゃまずいかな?
最終的に、彼が関心を抱いている南蛮の地図に関して、僕も全面的に協力することを約束。ちょうどこっちも蜀人列伝で南蛮特集をやっているので、渡りに舟である。足を引っ張らないようにしたいものだ。

そして天帝、岡崎教授の講演会。実はこのとき、僕は部屋の入り口と廊下を往復して来場者の整理と廊下の見張りをしており、先生の話が半分も聴けなかったので非常に残念。あとで録音テープを借りてゆっくり聴くことにしよう。
それでも最初の数分を聴いた感想として、「やはり先生はエンターテイナーであられる」と思った。聴いていて楽しくなるのが講演の鉄則。教師の持つエンターテイメント性の重要さを改めて感じさせられた。口下手な僕も、こういう語りができるようになりたいものだ。

夜になり、終幕。UG兄の家で鍋をやるというので、僕は弁当を持って押しかける(嫌がらせではなく、昼の弁当が残っていたから)。鍋の脇で弁当をつつきながら大河ドラマを見ていたのだが、残った最後のうどんをおすそ分けしてもらえた。あんこうのダシの効いたスープは美味しい。あとはいつもどおり(?)、2chの最萌えトーナメントを見たり、プロ野球を語ったり、フラッシュを見たり。帰りぎわにはあずまんがのポスターをもらったり。
いつも彼の家に行くと、帰りには何かが増えている気がする。やっていることは略奪部隊と変わらないなぁ・・


11月2日(土)

早稲田祭が明日から始まります。

96年、僕が大学一年生の頃、古の早稲田祭がありました。そして、97年から早稲田祭は無くなりました。
あの頃に関しては、色々な思いがあります。知識・技量が足りなかったから言えなかったこと。相手の勢力が強すぎたため、もし攻撃されてサークル自体やサークル員個人が被害を受けると困るから言えなかったこと(自分ひとりが攻撃されるのなら構わないが)。自分個人の無力さとちっぽけさにもどかしさを感じたこと。

・・で、あれから6年が経ちました。早稲田祭も新しいメンバーで生まれ変わります。僕も、以前と比べたらパワーアップしているはず(?)。
謎の団体が何かを仕掛けてくるという噂もありますが、今度こそ僕は誓う。

「二度と、当○や自○会や革○ルの不当な圧力には屈さない(正当な要求なら受け入れるが)」← 一応、伏字。

と。明日・明後日の早稲田祭は必ず、体を張ってでも成功させたいと思います。嘘偽り無い魂からの思い。


11月1日(金)

ホームページにも書きましたが、早稲田祭で早稲田大学三国志研究会が発行する会誌に僕も執筆参加しました。タイトルは「韓元墓記を読む」です。会誌の目次のタイトルは「韓玄墓記」と間違っていますが、修正が間に合わなかったので気にしないで下さい。

最近、インターネット上の三国志ファンの間には「正史重視」という風潮があるように思います。勿論、僕も正史を重視するタイプですし、正史を重視するということ自体には問題はありません。
しかし、それに附属して「演義ファン」や「ゲームファン」を小馬鹿にする風潮もあるのも事実。それはあたかも、正史に関連しない三国志ファンは三国志ファンではないと言わんばかりのよう(いや、心の中では思っているのだろう)。
「三国志」の定義は、「歴史上の事実」のみではないはず。一昔前、日本人の心の中の三国志は吉川三国志でした。中国でも、毛沢東が民衆に演説するときに用いた三国志は演義の方。すなわち、演義やメディアの三国志とて「三国志」のメインコンテンツであるわけです。

そういう「正史でない」三国志の重要性に気づかされたのは去年の東大三国志研究会の展示でした。僕自身、正史に重きをおいて他のものを軽視していた部分があったので、南蛮をテーマにしていた東大の展示を見て目から鱗が落ちる思いでした。そして、演義等を軽んじていた自分を恥じ、蜀人列伝でも少し演義の注目度をアップさせたのです。

皆様も、三国志の何たるやを一度考え直してみては如何でしょうか。僕の書いた原稿がその手助けをできることができれば幸いです。

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