沈思黙考

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12月31日

世の中にはバランスというものがある。シムシティで言えば、住宅と工業と商業のバランス。三国志なら兵力と金と兵糧のバランス。どれが突出していてもいずれ破綻の要因となる。
教育界のアンバランスは・・総合大学を増やしすぎたことだろうか。

戦後、高度成長のために技術立国になろうとした日本は、理系技術者と中間管理職の数を増やそうと躍起になった。規模を拡張すればするほど部署が必要になるからである。
しかし、時代は変わった。コンピューターの導入などもあり、ホワイトカラーは多数必要ではなくなってしまったのである。それにも関わらず大学に進学する人の数は増加の一途をたどる。昔のエリート教育が良かったというわけではない(ただし、完全に否定もしない)が、今は誰でも大学にいける時代になってしまった。そして大卒の人はまずブルーカラーにはならない。
結果、日本ではホワイトカラーは飽和し、ブルーカラーは不足することになる。その解決策として、外国から労働者を輸入(?)したわけである。もしくはその逆に、余ったホワイトカラーを現地工場の監督という形で海外に輸出した。かくして日本の産業は空洞化してしまったのである。

日本のバランスは戻るのだろうか。ホワイトカラーを減らすか、ブルーカラーを増やすか?
最近のゆとり教育で馬鹿が増えているというのは既存の事実なので、おそらく国の方針としては後者なのだろう。ホワイトカラーを絞り込み、残りは単純労働してもらうと。
ただ、日本国内ではなく世界レベルで考えるのならば、前者を採用したい。日本の職人技術を活かし、海外に技術支援スタッフとして派遣する。一部企業やNGOでは行われているが、これを国家方針としてもらいたい。日本は真似事が得意と陰口を叩かれるが、別の視点から捉えれば、自由に形態を変えられるということでもある。米国のように、自国の形態をそのまま他国に当てはめるような愚行はしない。
では、どうすれば「日本の輸出資源は人材である」となるのだろうか?


12月30日(月)

先日ニュースを見ていたら、

”全国で摘発されたサイト系児童買春事件は四百件。そのうち二百十一件について警察庁が勧誘状況を調べた。結果は、男性からの書き込みによる事件は十三件にすぎない。しかし、「女子児童」からの書き込みは90%を超える百九十八件にも上る。”

という話題があった。援助交際等の、いわゆる売春行為について、これまで被害者としてきた女性側も懲罰の対象にするというものである。僕はこの記事を見て仰天した。別に女性を取り締まることに反対なわけではない。むしろ推奨する。問題は「女子児童からの書き込みが90%」という部分である。僕はこの記事を見たとき、

「え、最近は小学生が売春のメインなの!?」と誤解したのである。考えてみれば、「はじ○す」なんてPCゲームもあるしなぁ・・(爆)

閑話休題。僕が混乱したカラクリは、「児童」という言葉の定義が、法律によって異なっているからである。
・児童福祉法…児童は18歳未満
・学校教育法…満6〜12歳まで
なので、教育機関では小学校=児童、中・高校生=生徒、大学生以上=学生を用いる。教育に関係している人なら誰でも知っている常識だが、どうしてこのズレを解消しないのだろう。児童福祉法も学校教育法も日常に広く使われる法律である。なのに言葉の定義が異なっているのは誤解を招く要因となりかねない。早めに統合が必要である。
ちなみに、最近話題になっている児童ポルノ法の「児童」は18歳未満を指すらしい。


12月29日(日)

漢字が変わって意味不明になった例をもう1つ。中学校の理科で「道管・師管」を習う。道管は植物が根から吸収した水や養分を上昇させる管。師管は葉で作られた有機養分を送る管である。ところで、道管や師管の由来を考えたことはあるだろうか。道管の役割を覚える語呂合わせで「水を運ぶから水道管」というものがあるくらいなので、道管は何となくイメージできる。では師管って何だろう。先生の管か?
答えは古い辞典を見ていてわかった。そこには「道管・師管」ではなく「導管・篩管」と書いてあったのである。篩とはふるいのこと。細孔があってふるい状になっているので「篩管」だったのだ。道管も「導く管」で導管だったのである。それが漢字が簡略化され「道管・師管」になってしまった。意味が全く通じなくなってしまったわけである(特に篩管)。
新聞等で日常使用する漢字を制限する動きがあるが、また轍を踏むことになるのだろうか。納得いかない。


12月28日(土)

中学関連の話が続いたので、少し毛色の違う話を(異国人の話ではない)。
字の与える影響というものがある。最近は「漢字=堅苦しい」とか「カタカナ=かっこいい」とか、僕の価値観とは180°反対の意見が流行しているようだ。例えば「さいたま市」とか「南アルプス市」とか。頭の硬い僕には地域名をひらがなで書かれても、「頭悪そう」とは思えど「なじみやすい」と捉えることはまず無い。例外的に人の名前はひらがなだと柔らかい印象で良いと思うが(矛盾した価値観だ…)。
ひらがな表記はともかく、漢字を変えられてしまうと意味が失われることもある。福岡県に糸島郡という郡がある。この郡の前原市一帯は魏書東夷伝にある「伊都国」の所在地である。また、同郡には志摩町という町もある。魏書東夷伝の「斯馬国」の候補の一つとされている地域である。つまり、糸島郡は歴史的意味を考えれば「伊都斯馬郡」なのだ。それが何故か同音異義の漢字が当てられて「糸島」になっている。古地名辞典などをまだ調べていないが、ここの名前が何故糸島になったのかには興味がある。「字数が少なくて簡単」のような理由だったら噴飯物だが。


12月27日(金)

続き。

日本の習慣が中学校段階で作られると思ったもう1つの事柄に、「予算の使い方」がある。そう、各部活がもらう、部費のことである。会計をやった人間なら経験があると思うが、部費を余らせると評価が下がってしまうようなのだ。だから3月の段階で部費を使い切っていなくてはならない。別に、もらった部費を全額使わなくてもことが足りる年だってある。なのに「○○部は予算を余らせた。来年からはカットだ」と判断されてしまうのである。余剰分は来年度に繰り越せるようにすれば、長期計画で高度な機材を買うこともできるし、余剰なのだから財政を圧迫させているわけでもない。会計を使い切るために、3月になって急に無駄な買い物をするほうが、よほど財政を圧迫させる原因になると僕は思う。
このシステムは大人の社会にも引っ張られている。いや、むしろ大人社会の習慣が中学校でも適用されているというべきか。むかーし、祖父から、市とかの自治体が年度末に余った予算を職員の宴会に使っていたという話を何回も聞かされた(うちの実家は酒屋なので、その時期に大量に注文が入ったそうな)ことがある。ついでに慰労金として、余った予算が現ナマ(さすがに封筒に包まれている)で配られている現場も見たことがあるらしい。そのくらいしてまでも予算は使い切らないとダメなのか?
中学校の段階から「予算は使い切る」という習慣を身に付けさせるのは良くないと僕は考える。
最近は不況だから、使い切らない部署のほうが評価される世の中になるかもしれないが・・


12月26日(木)

続き。

・「先輩への服従」の延長線上に「先生への・・」とはならないか?

なりません。たとえ先輩が「俺は年上なんだから後輩は先輩に従え」という理論をもっていたとしても、この「先輩-後輩」の年齢関係を「教師-生徒」には置換できません。中学生は生徒と教師を別の次元のものとして捉えています。本来、学校は生徒と教師と事務員の3つの要素から構成されているのに、この3者はどうもそのことを理解していません。共同生活者というより、共同アパートの隣人くらいの感覚しかないでしょう。
教師は事務員の仕事を理解していますか? 生徒は教師の一日の職務を把握していますか?
生徒の中の常識は、生徒の中でしか適用されません。教師は残念ながら、生徒からすれば別の生き物なのです。

・生徒-教師の垣根を取り払うことは可能か?

現段階ではかなり難しいでしょう。組合が無くなれば、横並び意識も少しは減るでしょうが、「教師は教師。生徒は生徒」という考えを改めない限り、難しいです。また、一部の生徒や親の中にいる「アンチ教師(≒反権力主義)」を思想改造しないと、結局片方の空回りで終わってしまいます。
かつて、自由ブームが巻き起こり「校則廃止運動」が展開されたことがありました。中3だった僕は真っ向から反対し、校則廃止派を論破していったのですが、その時の僕の提案は次のようなものでした。
「各部活にはその部活独自のルールがあるよね。それを廃止してくれたら、僕は校則廃止運動に参加するよ」
校則とは違い、生徒の間のみに通じる、そして校則よりも強力な拘束力を持つ見えない法。これがある限り中学校の抱える二重構造は破壊できません。残念ながら、誰もこの意見には納得してくれませんでした。結局、全員論破したため校則を軽くすることは中止になりましたが、本心では生徒の間の見えない法を無くせれば、校則が無くなっても構わないと考えていたので、ガッカリした事件でもありました。
逆に、生徒会・保健医と手を結んで「職員室禁煙運動」をしたこともありました。この時の教師側の論は「職員室は教員の部屋なんだから」という典型的な住み分け論です。しかも嫌なことに、喫煙派の筆頭は師匠(担任)でした。当時の僕では師匠を論破することは不可能で、徹底的に論破されました。
住み分け論も、生徒間の見えない法と一緒で、中学校の抱える二重構造の根っこです。これを壊せる強力な方案が頭にまとまりつつあるのですが、いまいちです。師匠が存命なら、また議論を吹っかけに遊びに行って意見交換できたのですが・・


12月25日(水)

少し間隔があいたが、22日の続き。

何故、僕は中学校の部活の話をしたのか。それは、僕は「日本人は中学校で作られる」と考えているからである。小学校はまだ幼く社会集団としての意味合いが薄いし、高校は大学の予備校と成り下がっているから中学校である。年齢的に思春期と重なっていることもあり、中学校で受けた影響をそのまま引っ張って日本人(成人)になっていくのだと僕は思う。

・最近は能力主義が流行しているが、それでも先輩を絶対視する習慣はいつ身についたのか?

部活を考えたい。優秀な1年が入部したから、2年を差し置いて彼を部長に任命する部活を見たことがあるか。ほぼ無いだろう。企業の理論とは全く異なった年功序列主義がまかり通っている。小学校の部活は教師主導なので先輩後輩の力関係はさほどではないが、中学以降の部活は先輩の力が強大である。このことから、転換点は中学と考えられる。

・では何故、学校(特に部活)で身についた習慣といえるのか?

年上に服従を誓っているわけでなく、対象が先輩だからである。社会的に「年上を・・」と教わったのなら、それこそ先生にも服従しているはずである。遥か年上の先生に反発している生徒が、1つ違いの先輩に頭を下げる光景は滑稽なものとなる。よって、学校で生徒間で身についた習慣と考えられるのである。

まだ続く。


12月24日(火)

部室で大掃除を敢行。だいぶきれいになりました。帰りぎわ、男2人で池袋に出かけ、道行くカップルを見て嘆こうとしている後輩がいたが、物好きですねぇ。しっとマスクになれる要素が十分。それにしても、26日から始まる冬期講習の原稿が終わらない(涙)。当日に印刷・発行か・・


12月23日(月)

OBも大量に集まってサークルの納会が開かれる。「さくらの時代は終わった。これからはカノンだぁ!」 よく宣言した、幹事長(いや、三国志研究会のはずなんだけど)。私はOBとして、この決定を心のそこから支持しよう(爆)。
それにしても、いつ聞いてもUG兄の歌う歌は熱き魂が込められているなぁ。シャイニングフィンガー。また行きたい。


12月22日(日)

先日の続き。中2の2学期になり、僕は部長になった。そこで僕が部員に徹底したことは以下の通りであった。

1.先輩のことを「○○先輩」と呼ぶことを強制しない。ただし、会議のときだけは形式にこだわって欲しい。
2.ネット張り・ボール拾い等は全ての学年が交代制で行う(1年生だけにやらせない)。
3.飲み物が欲しければ自分で買いに行く

つまり、技術の未熟さを補うために1年生に補助作業を優先的にやらせることはあっても、基本的に作業上は全学年を対等に扱うことを徹底しようとしたのである。この話を聞いた他の部の部長から批判されたこともあった。「1年がだらける」と。
が、別に作業をやらせないわけではない。上の学年にも作業を割っただけである。さらに文句を言ってきた部は後輩のしごきで悪評があったので、「○○(部活名)の運動をするのに、使い走りってどう効果があるの?」「挨拶の徹底するのはいいことだと僕も思う。だから、君らも当然挨拶を返しているんだよね?」と切り返し、黙らせたこともあった。

つまり、1年に「挨拶の重要さ」を口実に挨拶を強制するのなら、挨拶された2年も当然挨拶を返すべきなのである。1年生はあくまでも新入生であり、上位学年の下僕でも奴隷でも無いということを明らかにしようと思ったわけである。しかし、なかなか理解は得られなかったようだ。さらに、まもなく顧問の転勤により廃部になってしまったので、この伝統が続くことは無かった。残念である。


12月21日(土)

下の質問の答え。僕なら、やはり恐れたでしょう。先輩を恐れたのです。

ひょっとすると来年から中学校の非常勤講師になるかもしれないので、長年温めてきたテーマについて考えてみたい。20日の質問は僕の体験談ではない。小学生の時に友達の家に遊びに行ったとき、当時中1だった友達の姉が語った話である。そのときは僕はまだ小学生だったため、何故この話がそんなに怖いことなのかわからなかった。
が、中学で男子庭球部(軟式)に所属したときにこの話の恐ろしさを体感したというわけである。が、同時に僕は中1の段階で、先輩にこき使われるながらあることに気づいていた。「先に生まれただけで、何故、先輩はこんなに偉そうにするのか」ということである。

意を決した僕は、一度だけ後輩使いの荒い先輩に、

「先輩はよく、『俺は年上だから、お前らは言う事を聞け』と言いますが、先輩自身、自分より年上の教師の言うことは聞いていませんよね?」

と質問したことがあった。返事はジャイアントスイングだった(涙)。だが、良識のある別の先輩は僕の意見を理解してくれ、以後、その乱暴な先輩から1年をかばい続けてくれたのだった。本当にありがとうございます。今考えると、この質問は的を得ていなかった。生徒の中で「生徒」と「教師」には心理的な断絶があることを理解していなかったのだ(当時は先輩の延長が先生だと思っていた)。

というわけで、数回に分けて中学校の抱える瑣末な問題について実体験を交えつつ考察してみたい。


12月20日(金)

中1の子がいました(性別はどっちでも良いです)。その子の中学では、1年生の上履きは緑のラインが縁取ってあり、3年が青でした。

ある夕方、部活の途中で先生に要件を頼まれて体育館から出た彼(女)は、自分の足を見て驚きました。夕方で暗かったため、緑のラインと思ってはいた靴は、実は青で、3年生の靴だったのです。たまたま誰も見ていなかったため彼(女)は慌てて入り口に戻り、靴を履き替えました。のちに彼(女)は仲間にこの話をして、「あのときは本当に怖かった。見つかったらどうしようと思った」と語りました。

質問です。何故、彼(女)は「見つかったらどうしよう」と恐れたのでしょうか。
また、あなたがこの中1の立場だったら同じことを思いますか?


12月19日(木)

Wordを用いて冬期講習の数学のテキストを作っているところだが、数列のΣとかの表現が面倒である。数式エディタで作っているのだが、どうしても行間が変な形で空いてしまう。そのままでは見た目が美しくない。
そこで一行ごとに行間のスペースを調整してバランスを整えているのだが、別にやらなくてもなんとかなる作業なだけに、やっていてストレスがたまる。疲れる・・
今週末辺りから、教育関連の沈思黙考を書こうかな。だいぶ考えもまとまってきたし。


12月18日(水)

高田馬場から歩いて帰ったのが体にこたえたのか、体調を崩してしまった。せっかくRPGツクールを買おうと思っていたのに残念。頭がクラクラするのでこれ以上は何も思いつきません。沈思黙考ならず。


12月17日(火)

後輩と飲みながら会話していたら終電に乗り遅れて、高田馬場から北赤羽まで歩いて帰る羽目になる。
しかし・・僕の望むこと。他の誰かが望むこと。僕の望みとは関係なく巻き込まれていくこと。これは運命なのかなぁ。もし、それが誰かの望むことであるのならば、僕は動き出さなければならないのだろうか。たとえ他のすべてを敵にまわすとしても。


12月16日(月)

ケーブルで横山光輝三国志のアニメを放送するらしい。僕が中学生ころの作品だろうか。懐かしい。毎週ビデオにとって何回も見ていたものだ。今思えば、結構配役も渋いところをついていたような気がする。
パソコンに録画して、mpeg1保存せねば。いや、少し画質を上げてmpeg4で妥協しようかな?(DVD画質は容量をとりすぎるので敬遠)


12月15日(日)

冬休みのゼミ課題、レポートA4で13枚。ついでに冬休みまでに塾の冬期講習のテキストの原稿を書かなければならない。やることがいっぱい。再びサイトの更新ができなくなってしまいそうである。大変申し訳ありません。


12月14日(土)

研究会とか学会のとき、普通資料は発表者があらかじめ用意するべきではなかろうか?

今日は研究会の受付業務をやっていたのだが、発表者が「聴講者が何人いるかわからなかったので、コピーしてこなかった」と言ってきたのである。せめて「とりあえず10部は刷ってきたが、何人来るかわからないから、残りを増刷して欲しい」なら話はわかるし、こちらも笑顔で対応できる。が、最初から刷ってこないというのは腹が立つ。とはいえ拒否はできないので、
「わかりました。では、何部あるのですか?」と訊ねたところ、
28枚あるので、これを20部ずつお願いします。ついでにホチキスでとじていただけると・・」

その人の発表まで30分しかないのに、これをやれというのか!?

・・結局、気合と根性でコピーし続けました。10分ほど参考資料が遅刻しましたが、自業自得というものです。学会等で発表される方は、資料はあらかじめコピーしておいて下さい(涙)。


12月13日(金)

昔の仲間と飲んで、徹夜でカラオケしたり、ファミレスでだべったり。そっか、来年結婚か。考えてみれば25なんだから全く不思議ではない年齢なんだなぁ。僕の頭の中には存在していない単語だったので新鮮に感じただけかも。
ついでに、アニメ版あずまんがのカラオケの話で暦が歌っていた曲は、暦のテーマソングじゃなくてちよの曲と知って驚き。


12月12日(木)

最近お気に入りの曲。

堀江由衣 「黒猫と月気球をめぐる冒険」中、ほぼ全曲
KICK THE CAN CREW 「地球ブルース〜337〜」
GREEN DAY 「Minority」
舟木一夫 「高校三年生」

・・節操が無いというか、バラエティにとむというか、我ながら守備範囲が広い(笑)。
だから以前、家に遊びに来た友達に「全部きみのCDなのか??」と聞かれたんだろうなぁ。はい、全部僕のですよ。家族のではなく。


12月11日(水)

林被告に死刑判決ですか。まあ、当然ですね。然るべき判決であり、メディアの反応もおおむね僕と・・

決定的に違います。林被告自体が死刑になるのは大いに賛成。ただ、林被告の子ども達にスポットを当てた記事は全く無い。被害者感情を配慮したのかもしれない。が、厳しい言い方をすれば、死んだ者は帰ってこないが、生きている者はこれからも行き続けなければならないのである。彼らはこのあとどうやって暮らしていくのか。
おそらく、林被告の子どもにも責任を押し付けて死刑を望む者はいないはず。が、彼らは前途多難である。父は服役。母は死刑。家は放火で全焼。そして重要なことは、日本では犯罪者の子どもは何故か陽のあたる所に出られない。彼らにもきちんとした教育を受けさせた上で、外国で暮らすことを進めたいと思う。日本の体質が変わらない限り、彼らは日本では幸せにはなれないだろう。
母親が他人の子どもを殺したから、その代償として犯人の子どもも一生不幸になれば良いという考えは短絡である。


12月10日(火)

埼玉県でO-157対策としてゲームで予防を促す教育ゲームを作り、小学生等に配布する計画があった。が、そこには問題が。使用しているキャラがエロゲーの人物だったのである。その辺で色々議論になっているので、詳細は調べてもらいたいのだが、結局配布は中止になってしまった。秋子さんあたりを使えば大丈夫だったかも(そういう問題ではない)。
僕の卒論は「学校現場におけるPC活用」であり、もちろん教育ゲームも範疇に入っている。これを卒論のネタとして5000字はいけそうだ。というか、結局配布中止なのか。キャラをオリジナルに差し替えれば問題ないと思うのだが。教育+ゲームが一般に受け入れられるかの試金石だったのに、残念である。事なかれ主義で中止になってしまったのかなぁ・・(邪推)


12月9日(月)

余裕の無い人間は、大きくはばたくことはできない。正史こそ三国志であると主張するのは別に悪いことではない(僕は相手の主張に茶々を入れるのはあまり好きではないので、否定はしたくない)。が、1部のそういう人を見ていると、余裕が無いなぁと思ってしまう。
別にいいじゃないか。その人にはその人なりの三国志がある。貴方は貴方の好きに三国志を楽しめばよい。僕は僕で楽しいように三国志を楽しむ。病院でジャンプを読んだときに載っていたシャーマンキングのセリフ・・・「小っちぇえな」(妙に気に入ってしまった)
その思いをこめて、トップページを改装。


12月8日(日)

昼から塾に出かけたりして今日も忙しかったわけだが、一段落ついたのでトップページだけでも更新することにする。少し冷静になったらまたトップページを変更しなおすかもしれないが、トップページに書くであろうことは今の僕の本音でもある。
本来は全ての人を受け入れる器が無ければならないとは思うのだが、それにより他の人への迷惑がかかることを僕は恐れる。

・・ん? これって、問題児への対応の仕方に似ている気がするなぁ。まあ、僕はルール重視なので、相手が何であれルールを遵守したい。問題児を異端扱いして一方的に排除するのは確かに悪いことである。が、問題行動により被害を蒙るその他の生徒の権利を守ることも教師の職務のはずである。学校の外では僕は彼らに寛容だが、学内では厳しくありたい。TPOを学ぶのも社会勉強だし。


12月7日(土)

三国志実録を初めて読んだ(ただし斜め読み)。そこに、昔の日本人の三国志観として

大国魏に滅ぼされた蜀を豊臣政権になぞらえ、劉備が秀吉。劉禅が秀頼。孔明は真田幸村である。

というようなことが書いてあった。確かに言われてみれば、昔の日本人なら考えそうなことである。今の感覚だとピンと来ないが、このことに気づかなかったのは不覚であった。昔の本もためになる。また図書館に行って、今度はゆっくりと読むことにしよう。ひょっとしたら、吉川三国志の日本的アレンジも、この辺の思想が編みこまれているのかもしれない。吉川オリジナルエピソードに、秀吉や真田に関連がありそうなエピソードが隠れている可能性もあるわけである。また興味の対象が増えてしまった。


12月6日(金)

何故僕はしたい研究もせずにバイトや学校に追われているのか。ようするに金が無いからである。身もフタも無い言い方だが、もし一生何もしなくても生きていけるだけの財力があったら、僕は問題なく、一日書斎にこもって本を読み、色々と思いを馳せることが出来るのである。こんな生活を50年もしていれば、他の人には出来ない発見や業績をあげられるだろう。

そこで僕は思った。世界を近代に導いた中世・近世の科学者たちは皆貴族ではなかったか。彼らは働かなくとも生きて行くことができ、だからこそ日々を実験に費やすことが可能だったのである。その日の食料に困る庶民では、実験生活なぞ送れなかったのである。
僕も3億円が当たったら書斎にこもって研究生活がしたい。
そういえば作家はそれに近い生活かもしれない(売れないと貧困生活だが)。教師になるつもりだけど、やはり作家もいいなぁ。


12月5日(木)

そうそう。先日邪鬼兄と話したときに、水滸伝の遼との戦いでも、三国志演義の南蛮編のような奇想天外な部分が出てきているという話を聞いた。やはり三国志演義の成立過程や内容を追うには、同時期の水滸伝、西遊記、封神演義など関連書物にも目を通さねばなるまい。
時間が欲しい。1日中ずーっと本を読んで研究していたい。でもその暇が無い。


12月4日(水)

卒論がらみの教育話をABI総裁兄としようと思って待っていたら、たまたま邪鬼兄や玉響姉と出くわして食事に行くことに。普段はラウンジに行っても人にあうことが少ないのに、こういうときは不思議と人が集まってくるのである。
食事の際にテーマとなったのは、授業の教材に漫画はどこまで使用できるかという点について。彼はまんがサミットに行ったらしく、面白い話が色々と聞けた。どのみち日程が無理だったので僕は行けなかったのだが、まんがサミットに行ってみたかったなぁ。


12月3日(火)

優秀な村長が、優秀な市長になれるとは限らない。敏腕首相が町内会でも腕をふるうという保証は無い。すなわち、集団を統率し、維持するということは、集団の規模や性質により全く異なった手段が必要なのである。
三国研は今年から人数が倍増した。この傾向が続けば、来年は今年以上に集団の性質が大きく変わるだろう。10人のサークルと30人のサークルでは、同じ手法は通じない。過去の経験がつかえないので応援することしかできないが、頑張って欲しいものだ。


12月2日(月)

学校の帰りに埼京線に乗っていたら、推定体重100kgを越えるであろう巨漢女子高生が斜め前に立った。すると彼女は学校カバンからPDA(電子手帳?)を取り出した。会社員がいじっているのは良く見るが、女子高生が使うとは驚いた。そして何やら文章を打ち出したのである。
位置関係で自然と書いている内容が僕の目に入ってくるわけだが・・僕は仰天した。

彼女が書いていたのはやおい小説(しかも濡れ場)だったのである。

混んでる埼京線の車内で、電子手帳でやおい小説を書く女子高生。埼京線はまさに恐ろしい空間である。


12月1日(日)

埼京線とりんかい線が相互乗り入れを開始しました。鉄道ファンとしては、全てのほかのイベントを差し置いてでも是非乗らなければなりません。というわけで乗ってきました。湘南新宿ラインの時と比べると新鮮味は薄れますが、新木場までいって京葉線で帰ってきました。
しかし、「東京テレポート」という駅名を見ると、いつも瞬間移動を連想してしまう・・

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