沈思黙考

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3月22日(土)

信長の野望蒼天録PKを購入。今回はシステムをエディットできるという珍しい仕様。蒼天録のときに悪評高かった総取りシステムを自分で選択できるほか、すべての戦闘を自分で操作できるという、僕には嬉しい仕様である。とりあえず「小規模独立」「戦闘は全て自分で操作」にして北条早雲プレイ。やはり1495年だと武将の数が少ないなぁ。ファンサイトでPKシナリオの武将データを作っているところを見つけてダウンロードしようかな。


3月21日(金)

朝5時41分に大阪に到着。ホームで最後のミーティング。

「えーと、名古屋に18時30分に着けば、その日のうちに東京に帰れます。旅行お疲れ様でした。では解散。」

最後まで行き当たりばったりな個人旅行であった。しかし、僕にはまだ残された使命があった。それは、守口市駅に行き、駅前の風景を写真に収めるということである(爆)。さっそく守口市駅に着いて、駅前のロータリーを一周。ああ、本当にこの風景だなぁ。
目的を達成し、例のベンチに座って休憩し、飲み物を飲もうとカバンをさぐると、出てきたのは「北海道コーヒー」であった。そういえば前日に湯田を歩いたとき、自動販売機で購入したのがそのままになっていたのだ。ベンチにコーヒーに北海道という奇妙な一致に苦笑いしながらも、僕は次の駅、甲南に向かうのだった。第2の奇跡が起こるとも知らずに。

甲南は実際にはゲームのモデルの駅ではない(モデルの駅は改築により無くなったらしい)。単に雰囲気が似ているだけなのだが、一応見るだけ見ておこうと思って立ち寄ったのである。実際に駅を見て、「似ていけど、やはり違うな」と思った。フェイクはオリジナルには勝てないのである。「ふう、所詮、夢は夢。現実にはかなわないのだなぁ(注:ゲームの世界は現実ではありません)」と思いながら、駅のベンチに座り、1時間後の電車を待つ。何気なしにカバンに手を入れると、手に何かが当たった。とりだしてみると、それは大きな赤いおにぎり。そう。三国志城のおばさんが「おなかがへったら食べてね」と握ってくれたアレである。

守口市のコーヒーに続き、こんどはおにぎりですか(白いおにぎりではないが)。奇妙なことは続くのだなぁ。旅は非日常的と云うが、こういうファンタジーな経験も悪くないな。次はお米券が欲しいな(爆)。しみじみ。
と、感傷にひたりながらベンチでおにぎりをたべる姿は、我ながら馬鹿以外の何者でもないなと苦笑。

名古屋できしめんと味噌カツを食べ(西への旅から帰るときの恒例行事)、新幹線で帰京。本当は安くするために各駅停車に乗りたかったのだが、旅行中にひいたカゼにより体力が低下していたので、やむなく新幹線を使用したのである。

かくして、三国志城と守口市を見学するツアーは終了した。ちなみに、大阪で別れた残りの2人も東京に戻ってから風邪を引いたらしい。ご愁傷様でした。


3月20日(木)

湯田温泉にある中原中也資料館を訪れる。中学校のときの国語の教科書に出てきて、何か心に引っかかっていた詩人だ。あれから10年して再び彼の詩を目の前にして、共感を覚えた。当時はわからなかったが、今なら心の中に彼の詩が響いてくる。
というか、「骨」を聴いて共感を覚えるのもどうかと思いますが、それは個人の感性の問題ということにしておきましょう。中原中也。暇ができたら、彼の全ての作品に目を通してみたいものだ。

午後は下関でクジラを食べる。クジラベーコンを食べるのなんて、20年ぶりくらい。幼稚園の頃、近くのスーパーでも売っていたような気もするのだが、それ以来食べていなかった。懐かしい味がした。
だが、それ以上に美味しいものが。それはふぐ酒。ベーコンをつまみながら飲むふぐ酒。うっまーーーい。味仙人もビックリ。

ちなみにこの日も個別行動。旅館でのミーティングは「深夜2時に岡山駅で会いましょう。以上」のみ。遅れたら見棄てます。自己で責任を持ち、集合時間は厳守しましょうねということである。


3月19日(水)

三国志城はJR山陽本線の岩田駅から4kmほどのところにあります。

「岩田か・・岩田といえば女神様(に出てくるネズミ)かエクセルサーガだな」

アホなことを考えつつ、列車は到着。思っていたよりも田舎の駅のようで、駅員は昼休みなのかカーテンがかかっていて不在。駅前にも何もありません。

H「こりゃ、本当に何もありませんね」

T「歩いて行きますか?」

徒歩での往復を覚悟したとき、1台のタクシーが駅前にやってきた。H君の「まさに三国志城に行けと言う天の声ですね」というセリフがまさにピッタリ。タクシーに乗って10分弱で目的のものが見えてきた。

・・何か変なのがあるぞ、ヲイ

これが第一印象。「蜀」とか「八陣図」とか書いてある木札が壁にかけてあるし、かなりショボイ外観である。

「これは・・ネタのつもりで来たけど、やはり地雷だったかも」

後輩に同行させたことを詫びつつ、建物の中に入る。撮影禁止だし、中の詳細を書いたらつまらないので、ココではあえて細かい展示内容は書かない。が、これだけは言っておきたい。

三国志城は、三国志を楽しみたい人なら、行って損は無い!と。むしろ行け!と。

成都武侯祠や中国の三国志城の人が監修した本格的なつくりで、演義や民間伝承も織り交ぜたエンターテイメントな三国志世界がそこにあった。1人で行くと10分かからずに見終わるだろうが、知識のある人同士で行けば、1時間以上語れる展示内容である。実物大(?)の弩や木牛・流馬、諸葛亮が乗ってる四輪車はなかなか見られるものではない。笑ってワイワイ楽しめるものばかり。
あとは細かいネタだが、祈祷する諸葛亮の像の後ろの幕に太陽の中にいる烏の絵や蛇が描かれていたりして、民間信仰との接点も見出すことが出来た。民間伝承系は紺碧の空兄が詳しいので、今度聞いてみよう。
僕の予想は良い意味ではずれた。ネタとして行った三国志城だったが、本当に面白かった。また行っても良いと思う。

あと、三国志関連の販売コーナーに、今は絶版となっている「三国志研究要覧」が置いてあった。買おうかなとも思ったが、大学の図書館にもあるから、まあいいかと保留。管理人のおばさんは絶版だけど気にせず売るとのこと。おじさんの話だと、過去にもこのような絶版本を売っていたようだ。三国志曼荼羅もあったのかなぁ。
そして、珍しいものを見つけた。赤米のおにぎりである(赤米とは古代の日本米)。そこで赤米おにぎりを1つ注文したら、仲間の人数分サービスして握ってくれた。この一飯の御恩は一生忘れません。
そういえば、劇辛の赤壁曹操ラーメンを注文したのだが、全然辛くなかった。おじさんが普通の曹操ラーメンと聞き間違えたのかなぁ。まあ美味しかったから良しとしよう。昨日、尾道の味龍や東陳康で食べたラーメンよりも美味しかったと思う(尾道ラーメンのスープは自分とは相性があわなかったかも)。

そして、夕方に山口の湯田温泉に移動。温泉でゆったり疲労回復。ナトリウム泉は肌がスベスベして良い。そして一泊8800円でふぐのフルコースという破格の安さ。幸せだ。


3月18日(火)

・・最悪だ。これが大垣駅で電車を降りたときの感想。実は、今回の夜行列車は手配が遅れたため喫煙席だったのである。あんなタバコ臭いハコに7時間も押し込められたので、一睡も出来ずにストレスが溜まってしまったわけだ。とはいえ、気を取り直して作戦会議。

「今日の行動を確認します。今、大垣にいます。集合は広島に夜の22時。以上!

これが今回の旅の特徴だ。「宿泊は共通。あとは基本的に一人旅のノリで」がコンセプト。19日の三国志城以外は、3人とも別行動になる。実際、岡山までの移動は一緒だが、その後僕は尾道に、2人はそれぞれ倉敷と高松にと分かれた。

何故僕は尾道を選んだか。

1.尾道ラーメン
2.時をかける少女や転校生のロケ地
3.がんもさんに会う

3番が一番のポイントだったりする。ネットで知り合った友人に実際に会うのは、早稲田祭で「りゅうぜんず」の松竹梅さんに会って以来2人目だ。
14時に尾道に着いた僕は、とりあえず地理の把握のためにジョギングで尾道−新尾道を往復し、街を散策した。国旗・国歌賛成派の僕としては、尾道散策は敵情視察と言えるかもしれない(危険発言)。5,6箇所見た全ての公立校で日の丸が掲げられていたのは意外だったが(もっと反発しているかと思っていた)。
さておき、18時に「三国志の広場」のがんもさんと合流。美味しいワッフルの店を紹介してもらった後で飲み屋に。「三国志サイトはどうあるべきか」とか「県立・都立高校入試問題(理科・数学)の新傾向と対策」とか「東京では太刀魚の寿司は見たこと無いが、白魚ならある(広島は逆らしい)」とか・・疲労もあって酔ったので、会話の内容の記憶があまり無い。佐世保重工とか旭化成とか石川島播磨の話もしたような?
やはり三国志を知る理系の人と話すのは楽しい。三国志と理系トークのどちらも楽しめて2倍オトク。

あ、そうだ。シャコが美味しかった。日本酒も美味しかったなぁ。タコの天ぷらも美味しかった。・・食べ物の記憶しかない。

ともかく、彼は僕とは考え方の違いもある(そりゃあ十人十色なのだから)が、一貫した自分のポリシーを持った人だった。たとえ何があろうともポリシーを貫ける人。僕はそういう人が好きです。

で、気付いたら・・終電ギリギリ。彼の自転車に荷物を載せてもらって駅までダッシュ。日本酒やビールを3,4本あけても息を切らさずダッシュできるのは僕の特技かもしれません。結果、乗り遅れました(涙)。仕方ないので新幹線を使って広島に移動。2200円の無駄遣い。


3月17日(月)

これから三国志城に行ってまいります。というわけで、旅行記です。

旅の道連れ(巻き添えとも言う)はサークルの後輩であるT君H君。どちらもHNを持たないため、この書き方にしました。深夜の大垣夜行に乗るため、東京駅のホームで待ち合わせをしていたら、H君から電話が。

H「今ホームに着いたんですが、伊比さんはどこにいますか?」
僕「ホームの前の方なんだけど、進行方向わかります?」
H「え、えーと・・」

と、隣のホームに新幹線が入線してきた。とっさに機転を利かせた僕は、

僕「喋らないで、そのままでいて」
H「あ、はい・・」

ガタンゴトン・・

そう。僕は、彼の携帯電話から新幹線の先頭車両が通過する音を聞き、大体の居場所を逆探知したのである。まるで3流推理ドラマだ。
横浜でT君も合流し、旅のメンバーが揃う。いざゆかん。


3月16日(日)

中学校の歴史教育は間違っている!! とは言っても、歴史教科書問題のことではないです。僕は双方の親玉の主張を聞きましたが、どちらも自分のワガママの押し付けでした。譲歩を知らない狐と狸の貶しあいなので、僕の判定は引き分けということで。

閑話休題。
僕が見学していた中学校の歴史の授業で、織豊政権のあたりを扱っていました。戦国マニアからすれば100時間使っても語り尽くせないものを、桶狭間から江戸幕府までを2,3回の授業でまとめて解説するのだから、社会の先生の技量はたいしたものです。
ただ、そこで気になったことが。その教科書によると、

「豊臣秀吉が大城を」

とありました。あれ、「大城」じゃなかったっけ?

そこで教員室に戻った後で質問したところ、「中学生には難しいから、教科書は『大阪』で統一している」とのこと。そこで「テストのときに、歴史好きの子が『大坂城』と書いたらどうするのか」と質問したら、「歴史的には『大坂』が正しいので、教科書に載っていなくても当然マルをつける」ということなので、まずは一安心。
しかし僕が思うに、教科書が「豊臣秀吉が大坂城を建設し」と書けば、生徒は「あれ、何で大坂なの?」という疑問を感じ、そこから歴史に対する興味が湧くのではないだろうか。それを『大阪』にしてしまうのは納得がいかない。勝手に大阪と言い換えてよいのは春日歩だけである!(違)


3月15日(土)

来週の月曜日から金曜日にかけて、山口にある三国志城に行ってまいります。19日の昼過ぎに三国志城に到着して、赤壁ラーメンなる胡散臭さ爆発好奇心をそそるようなラーメンを食べてきます。
ついでに、途中の広島では知り合いの人に会って飲むという計画が。

しかし、ちょっとした不安も。広島といえば、校長が自殺するほど反国旗・国歌思想で有名な地域。そこに君が代・日の丸賛成派(むしろ、反左翼派かな)の僕が乗り込むわけである。酔った勢いでいつもの左翼批判をしたら瀬戸内海に沈められて帰京できないかも(笑)。

僕の信念はただ1つ。「国旗を掲げる」「日の丸を掲げるな」の強制は、どちらも思想弾圧だ。卒業式だったら、賛成派は起立すればいいし、反対派は座って黙っていれば良い。それでどちらも解決のはずなのに、他人を自分の意見に無理に従わせようとするから国立のような馬鹿な生徒・教員による事件が起こるのである。
・・まあいいや。続きは広島でしよう(爆)。


3月14日(金)

世の中にはバカ真面目というか、自身にかけた誓いを、たとえ他人から見ればくだらないこととは言え、律儀に守ろうとする人がいる。

僕自身、酒は20歳になるまで飲むまいと心に誓い、実行した。サークルのコンパにも毎回参加したが、僕は食べる専門で酒には口をつけなかった。先輩や同期の仲間もそれについて何も言わなかったし、認めてくれていた(もっとも、うちのサークル自体が酒飲みサークルではなかったからなのだが)。20歳の誕生日を迎えた夏の合宿まで誓いを守り通せたわけである。
もし、横暴な先輩がいて、僕に無理やり飲ませていたらどうであったか。僕はその日をもって三国研と決別していたに違いない。

時は流れ、今年も新入生を迎える時期を迎えつつある。今年も僕のような頑固者(?)はいるのだろうか。もしいたとしたら、万人を敵に回したとしても、その律義者を守り通したいものだ。酒は飲みたい人が楽しく飲むもの。飲みたくない人は飲まなくても楽しいわけだから、それで良い。
僕には飲む速さや量を競ったり、わめいたりするような宴会は好みでない。酒を飲みつつ、時世について語り合う。そんな清流派のような宴会をしたいものだ。


3月13日(木)

昨日はバイトが入ったことの衝撃による精神的疲労を受け、書き忘れていたことがありました。以下、それを記します。

僕は生まれてこの方25年、色々な料理を食べてきました。その中にはエビフライもあり(そういえば、エビフライ=名古屋というのはタモリが言い出したという話は本当なのだろうか?)、定食屋なりレストランなりで色々なエビフライを食べてきたことがあります。そして昨日、ボランティア先の中学校の給食にもエビフライが出てきました。

25年間生きてきた中で、一番肉厚で美味しいエビフライだったんですけど・・

さすがにこれまでの自分の食生活に疑問を感じざるを得ませんでした。むしろ、侮りがたし、給食!
現代の給食は明らかに美味しくなっている!(ただし、量は昔より減ったような気がする)


3月12日(水)

やった!今日はついにバイトが無い!

・・ブルルルル(携帯)

「あ、はい。伊比ですが」

「○○塾の××です。実は△△先生が風邪で来られないとのことなので、(以下略)」

さよなら、僕の休日。うわーん。


3月11日(火)

蜀人列伝の改訂版を試験的に公開しました。もともと「私評」「演義」「正史」とフォルダを分けていたので、無駄な同一ファイル(漢字gifとか)があったので、そのシェイプアップ目的もありました。結果的にファイル数470、600KBほどのダイエットに成功。

最初はフレームを使おうと思ったのですが、未対応の人用に別ページを作るのが面倒だったので、Javaでリモコン操作できるようにしました。Javaなら設定を解除している人でも(武将検索が面倒ですが)見られます。さらに、列伝は別ウィンドウで表示され、同じ武将に関しては同ウィンドウで見られるようにしました。
見やすい列伝にするためにはもっと工夫があるかと思いますが、今のところはこのスタイルで行きたいと思います。

本当はページが重くなる漢字gifを減らすため、表示を全てUnicode形式にしたいのですが、僕自身があまりよくわかっていません。もう少し勉強して、場合によっては蜀人列伝のページのみUnicodeに変更するかもしれません。まずは二階堂先生のサイトをよく読もう・・


3月9日(日)

最近、なんか忙しいなぁと思って自分のカレンダーを見てみた。

・・2月14日から日曜日以外、毎日塾講のバイトが平均6時間はいっていました。そりゃあ疲れるわけです。普通の勤めならともかく、バイトで週37時間超は多いほうなのではないかなぁ・・と。もっとも、連続出勤も明後日でおしまいで、再び週3回ペースに戻るので、少しは楽になりそうです。

ちなみに、現在Javaスクリプトで蜀人列伝を見やすくする調整をしています。Javaは久しぶりなので調整に手間がかかる(設定の仕方や書きかたを結構忘れている)のですが、ちゃんと進行しているのでご安心ください。


3月6日(木)

2月はほとんど書けなかったので、3月の分もこのページに書いてしまいます。

「最近、三国志よりも華陽国志に・・」

と書いたため、僕が三国志を見捨て、更新しなくなったのかと思われた方もいたみたいですが、単純に忙しかっただけです。むしろ、このような誤解を与える書きかたをしてしまって、閲覧者に余計な心配をさせてしまったことを深くお詫びします。春の間に蜀人列伝と魏延の野望を何とか仕上げるという目標は変えていません。

最近気づいたこと。高田馬場駅の発車メロディが鉄腕アトムのテーマに。最初、アニソンがうまく発車メロディ独特の音と調和するのかと心配していましたが、実際に聴いてみると、なかなか良い出来のようです。発車メロディを聞いて、乗客が車内で鉄腕アトムについて雑談を始める光景も見受けられました。他にも子どもがベルと一緒に歌い出したりしており、おおむね好評な模様。
この調子で、次は京阪守口市駅のメロディを是非I’veサウンドに・・(ヲイ)


2月19日(水)

気づいたら5日も更新できていない。バイト先の塾であらたな企画を立ち上げるスタッフとして頭をひねっているせいで、三国志のことを考える余裕がなさそうということなのだろうか。というより、最近三国志より別のものに興味が移ってしまいました(爆)。

それは・・華陽国志!!(まあ、三国志関連名ことには違いないが)

部室の整理をしていたら、東洋大学のアジア・アフリカ研究所の研究会報を綴じたものが出てきて、そこに華陽国志注稿が載っていたのです。そこにはちゃんと書き下し文が載っているのでとても読みやすく、華陽国志は原文しかないのか・・と嘆いていた僕にとっては、まさに天から光が射すかのよう。
塾の試験対策をしつつ、華陽国志を読みつつ・・サイトの更新がさらに遅れそうです。すみません。


2月14日(金)

先日、高校生が漢文の問題を持ってきた。曰く「三国志の顔良」の問題。僕は期待して問題をのぞきこんだ・・

”曹チョ 字は 顔遠、[言焦]国[言焦]の人なり。祖の肇は(三国)魏の衛将軍なり。・・後略”

全然顔良じゃないじゃん!! 顔良と顔遠を間違えるかなぁ。さらに、三国時代と関係があるのは本人じゃなくて祖先だし。
まあ彼は理系だから漢文が出来なくとも仕方ないけど(何故、模試で国語を選択したのだろう?)。ちょっと期待していただけに残念である。見たかったなぁ、顔良と家族のエピソード(笑)。


2月13日(木)

このサイトは蜀人気質というタイトルであり、蜀について語ったり、紹介したり、遊んだりするサイトである。

蜀人列伝に関しては、データベースの性質を持たせたいという意思が強いのは当然であるが、その対象を誤っていたのかもしれない。考えてみれば、三国志に詳しい人は紹介を見るまでも無い。逆に、深く知りたい人ならば、本物の正史や演義を手に取ったほうが良い。
そこを曖昧にしていたため、僕の蜀人紹介(特に正史編)は完全に写しそのものになっていた。「ちくまのパクリ」というのは自虐的な冗句でもある。私評編では正史を利用するため、正史をきちんと全部書かないと読み手がわかりにくいのではないか・・と。

しかし、先述したように細かい正史が知りたい人は、正史を手にとればよいはず。もともと僕は「正史をもっと多くに知ってもらいたい。小説やゲームではない、実際の彼らを少しでも紹介したい」と考えてサイトを開設した。つまり、「初心者から中級者をめざす人への足がかり」になるようなサイトを目指していたわけである(高級志向の人にはもっと立派な考察をする良サイトが山ほどあるわけだし)。

結論。
蜀人列伝の正史編を今の「ちくまのパクリ」ではなく、「簡単に要約」したものに変更します。もっと知りたい人はちくま文庫を読み、さらに極めたい人は原典にあたれば、それで良いと。演義編と私評編は目的を満たしているので、簡単な加筆修正に留める。
そして、3つに分かれて読みづらかった蜀人列伝の項目自体を1つにして、武将を探しやすくする。

今週中をめどに骨組みを完成させ、来週から段階的に再公開します。ご意見・ご要望・ご批判があれば掲示板にお願いします。


2月11日(火)

某大手受験塾の模試の漢文で、「三国志に出てくる魏の顔良と、顔良の母・妻のエピソードが出題された」という話を高校生から聞いたのだが、本当だろうか。張遼ならまだわかるが、なぜに顔良? それとも、袁紹配下以外にも、顔良という魏将がいるのか?
「魏の顔良」というフレーズが気になるが、漢字を確認したら顔良に間違いない。出典が非常に気になる。問題用紙を持っているというから、今度見せてもらうことにしよう。
彼の勘違いだとつまらない結果に終わるのだが。


2月6日〜10日

バイト先の塾でヤモリを捕獲。東京でヤモリが見られるとは珍しい(すくなくとも、東京で生きたヤモリを見たのは25年生きていて初めて)。
女子生徒が欲しがっていたのだが、親の許可を取らねばならないので、それまで僕が預かることとなった。せっかくだから名前を付けよう。そうだ、「ヤっちゃん」にしよう(安直って言うな!)。
台所の一角に生ごみを放置してショウジョウバエを湧かせ、それをヤモリの餌とする。結局、生徒から「飼えない」と連絡を受けたため、近所の自然の多い公園に逃がすこととなった。3日も育てると情がわき、公園の土を這いながら去っていくヤモリを見て感傷的になってしまった。


2月4日(火)

テストで忙しいので更新する気は無かったのだけど、どうしても心に強く感じたことがあったので、ここだけ更新。

大学に一緒に入学した同期の仲間が病死した。彼は死を前にして我々に手紙を残していた。

曰く、”悲しみの気持ちは消せないけれども、この世に執着を持たずに次の世界へ旅立ちます。
楽しいこの世の人生をどうもありがとうございました”と。

強い。強すぎる。もし僕が死を目の前にしていたら、このようなことは書けないだろう。無念や悔いを全面に出すだろう。彼は既に、そのようなことを超越した何かを悟ったということなのか。やはり彼には一生勝てない。師匠と同じで、また勝ち逃げされてしまった。
僕は笑って死ねるのだろうか?

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