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5月31日(土) 最近は冒険する子(というか、向上心のある子)が減ったなぁ・・と思う。 昔、バイト先で上位クラスの数学を担当していたときのこと。このクラスは地元の学校のトップ10レベルが集まっているだけあって、潜在能力は結構高かった。鍛えれば、かなり実力が伸びるクラスだと直感していたので、少し厳しめの授業をしていた。「厳しい」といっても、「授業開始後のチェックテストで点の悪い生徒は残す」とか「宿題を毎回出す(計算10問くらい)」程度である。 ・・が、一部の生徒の不満が爆発した。曰く、「自分は今の状態でオール4以上の成績をとっている。これで十分じゃないか」と。 逆に、僕の言い分(口には出さなかったが)としては、「うちの地区のオール4なんて全然たいしたことない。それで慢心したら、高校に行って酷い目に遭うだろう」というもの。実際、僕の知り合いの人で、「今住んでいる区だと良い成績が取れないから、越境してそっちの学校に行く」と言っていた人がいた。うちの区もなめられたものである(しかも悲しいことに、前の区でオール3以下だったその子は、うちの区に来てオール4以上になってしまった)。人数に定員がある成績の相対評価がいかに無意味なものかがよく分かる。本当に成績をものさしで計りたいのなら、全国統一基準にするべきであろう。そうすると地区ごとの優劣が見事に出てしまうだろうが・・ 「井の中の蛙、大海を知らず」という諺がある。他の地域は知らないが、東京の場合、小学校卒業の段階で学力に秀でたものはほとんど私立中学に行ってしまう(僕が小6のときはクラス38人中27人が私立に行った。僕は落ちたので公立に進んだのだが)。キツイ言い方をすると、公立中学は2軍のようなものである。そのことを理解せずに地元の公立中学のトップクラスになった程度で慢心していると、6年後に1軍と合流する大学受験で大惨敗することになるわけである(東京の公立と私立の大学受験成功率を考えれば、誰でもわかる)。 5月30日(金) 三国研の例会でOB登板。「真三國無双4はオンラインになるに違いない!」と無謀な大胆予想をしてしまう(僕のイメージでは、リネージュ+PSOみたいな感じ)。 5月29日(木) 何だかこの一週間は体調が良くないです。熱はないものの、常に下痢と倦怠感に悩まされてます。 5月28日(水) とある非常勤講師がいるのだが、僕が代わりに授業をしたくなるくらいヘタクソだった。 うちの塾なら(もし研修で治らねば)3日でクビなのだが、反面教師として彼の失敗点を考えてみよう。 @授業計画が適当。あまりスケジュールを組んでおらず、行き当たりばったり。 思いつくだけでこれだけの要因が出てきた。人間としては良い人だと思うので、上達に期待したい。 5月27日(火) 今朝の新聞に、「神奈川のとある小学校で男子便所を全て大便用の個室にした」という記事があった。これは画期的なアイデアである。 5月26日(月) 肋間神経痛という病気(?)がある(正式には病名ではなく、症状を表す言葉らしいのだが)。 小さい頃から僕が悩まされてきた症状の正体である。 今日は昨日の体調不良が尾を引き、家で休養していたのだが、バイトの塾は休めない(人手不足)ので渋々バイト先に出かけた。で、高校生に数学を教えているときに肋間神経痛が来たのである。久しぶりにして、最大級の痛みが。 5月25日(日) 体調不良により真面目なことが考えられないので(おそらく、昨日の運動会で体力が低下して免疫が落ちたのかも)、ネタを少々。 三国志的小話 〜陳倉のカク[赤β]昭の場合(演義暦226年秋)〜 ・・マスター、聞いてくださいよ。私はカク[赤β]伯道。陳倉の城を警備している者です。 ・・・・・・翌年、陳倉は蜀軍の速攻により陥落。カク[赤β]昭は謎の病死を遂げた。 5月24日(土) 学校の帰り、自転車で帰宅しているときのことであった。僕は、踏み切りの真ん中に妙なものが置いてあるのを発見した。一瞬、僕はそれを靴かと思った。よく事故現場とかで靴が転がっているシーンが見られるからである。 串カツだったのである。 食べかけではない。きれいな(?)形で1本の串カツが踏み切りの真ん中に落ちている。しかも、ソースまでかかっている。 何があったのか。何故そうなったのか。誰にもわからない…(というか、ムチャクチャ気になる) 5月22日(木) 学校は本人が他者の中の自己を認識する場所と書いたが、学校の教科が多岐に渡るのもそのためである。勉強が苦手な者が、美術で自分の才能に気付くこともあろう。バスケットボールに才を見出す者もあろう。もちろん、学業に自分の能力を見出す者もいる。だから、たまに「実技教科なんて無駄」という者がいるが、学校の意味を理解していないバカとしかいいようがない。 前述した灘中学受験騒動は「公立学校に行っても役に立たないから、家で受験勉強していたほうがマシ」という考えによって起こったものなのだろう。似たようなことは、比較的レベルの高い高校でもしょっちゅう起こる。 例えば体育祭や文化祭。 学校は、受験に出る科目だけやってれば良いところなのだろうか。それでは予備校と一緒じゃないか。 そもそも、学校って何だったんだろう… 5月21日(水) 熱くなったり寒くなったりで体調を崩しました。さておき、「やればできる」否定の続き。 「やればできる」教育の最終目標は、皆ができることである。もちろん、理想としては全員が優秀になるのは歓迎することなのだが、実際にはありえない。そこで、全員ができるという幻想を壊さないようにするためか、一時期競争が徹底的に否定されたことがある。 学校は、一人の人間が家庭を離れ、おそらく初めて集団の中で生活をする場所である。人はここで自分を知る。これまで自分が中心に生きていたので、相対評価はできなかったわけなのが、クラスメイトを見ることで、「自分は強いのか、弱いのか。背が高いのか、低いのか。頭がいいのか、悪いのか」などなど、自分を知ることができるのである。 5月20日(火) ふと思ったのですが、文部科学省とかの官僚はだいたいエリート組が多いですよね。東大とかに行く人は、中学・高校も私立の人が多かったりする。私立中学に行く人の中には、公立を見捨てている人がいる(昔、灘中学に合格するため、公立小学校に全く通わなかった児童が、小学校の卒業資格を巡ってゴタゴタを起こしたことがありましたね)。 5月19日(月) 「頑張ればできる神話の否定」 これは可能なのだろうか? 現時点では、「頑張ればできる神話」は根強い。しかし、「無い」神話を創造するわけなのだから、現場には相当な無理があるはずなのである。その「無理」の典型例が公立学校のテストだと僕は考えている。 「やればできる」ことを実証するときに都合の悪いものは、「頑張ってもできない」ものである(当然だが)。それゆえ、公立学校の試験ではほとんどの問題が「やればできる」問題になっており、その逆の問題は少ない(もちろん、「誰にも解けない問題」は悪問である)。塾講師を6年やってきて、地域の公立中学の試験問題を数多く見てきたが、たいていの問題は教科書やノートでやった問題である。つまり、試験前にノートさえ見て覚えれば、誰でもできる試験なのだ。 ここ数年、「マニュアル人間が増えた」「言われないと何もできない若者が多い」と言われている。その元凶として「○×式の偏差値教育」が槍玉に挙げられているが、僕は違うと思っている。 これを裏付けるような事実がある。2000年7月に、15歳の生徒の総合的な学力を測る学習到達度調査(世界32カ国が参加)というのが行われた。日本の結果は読解力で8位、数学的応用力で1位、科学的応用力で2位と上位を占めた。文部科学省のある人が「『日本の生徒は応用力がない』と企業人から言われてきたが、テスト結果からは応用力もあることが分かった」と言っていたようだが、大事な部分を見落としている。 5月18日(日) さて、ひさしぶりに教育学部生らしく、教育関連の内容を扱ってみよう(いや、三国志のサイトなんですけどね)。 以前書いたことがあったような気がするが、僕はどちらかというと好戦派なので、周囲を引っ掻き回してトラブルをあえて起こすことで一気に白黒をつけたがるという性質がある(ただし、負けるとわかっている戦いはしない)。反応活性度が高いというべきか、乱を好む性格というべきか。 その考え方とは、「『やればできる』『頑張ればできる』という考え方は正しくない」というもの。過激に言えば「努力信奉なんて糞喰らえ」というものである(僕は「分不相応主義」のスタンスのため、根性は好きだが、努力は好きではない)。 人はそれぞれ異なる能力を有している。それを「頑張ればできる」の名のもとに、本来伸びるはずの別の能力をつぶすことになっていないか。数学ができない人間は、どんなに頑張ってもできないのである。できる人間は少しの勉強で100%理解できる。が、できない人間は何時間かけようが、その10%も理解することができない。これは事実である。 別にできない生徒を見捨てるための思想ではない。ただ、「努力すればいつかはできる」という方針と、「人には超えられない壁がある」という方針の場合、必然的に授業のスタンスが変わってくる(僕の場合、ここから能力別クラスへの移行を考えている)。 まだ自分の意見の根拠等を述べていない(全部書くと長くなるので、それは次回)が、もし批判のある人がいれば歓迎である。掲示板で説得できない僕が、将来保護者や周囲の教師たちを論破できるわけがない。 5月17日(土) 本日は空風鈴大兄の就職祝いに参加。いつも(?)のようにその後はUG宅でまったり。そこでUG兄に「貴兄はこういうのがお好みでないかね」と、コミックブレイドのスケッチブックという作品を奨められたのだが、僕にはイマイチだった。学園系なら、妹がこの前買ってきたヒミツの保健室(だったかな?)の方が何となく好きかも。 で、夜になったのでおいとまして駅まで帰る途中、六畳院伊織大兄にCLANNADの下敷きと卓上カレンダーを下賜していただき、伊比学の友好度が100になったとかならないとか。このご恩は一生忘れませぬ。 5月16日(金) 気を取り戻したので、事の顛末を報告。 うちのPCはCドライブをウィンドウズにあてているため、Cに負担をかけないよう、データファイルを別のドライブに格納していた。それがEドライブ(ウェブサイトのデータのように、頻繁に更新するものはCドライブ上のデスクトップに置いておいた)。実際はもう1つ、Hドライブという外付けがあるのだが、USB1.0のため速度が遅く、普通は使わないデータを少し保存しているだけだった。いわば、Eドライブにあらゆる負担がかかっていたといってよい。 そして僕の無知によるものなのだが、去年からテレビ番組をPCに録画しているのだが、この格納・編集もEドライブでやっていたのである。紺碧の空兄に言われたのだが、「そりゃあ毎週○ギガ単位でデータをいじっていたら壊れますよ」とのこと。大容量を扱うなら、それ専用のハードディスクを購入すべきだったのである。 結果、録画した横山光輝三国志を圧縮している最中に事件が発生したのである。突然ビープ音がしたかと思うとカラカラという通常では在り得ない音がし、画面が真っ青になる。そしてEドライブへのアクセスが不能になった(むしろ認識さえしてくれない)。ファイナルデータの使用を奨められたが、どうも物理障害には使えないようなので、断念。最後の賭けで、復元業者に依頼するかしないか悩んでいるところである(20万円近くかかるが、卒論のデータや10年間の思い出等は金に変えられないからなぁ・・)。 ちなみに、紺碧の空兄は横光三国志のデータ変換中に起きた事故について「関羽の呪い」と分析(?)していたが、そうではない。ちょうど苦肉の策の後あたりで、甘寧が用済みになった蔡中・蔡和を殴り倒したあたりのシーンであった。 5月11日(日) 先日、元・明時代の中国歴史地図集を買おうと思って、神保町のU書店に買い物に行った。3F(エレベーターでしかいけないのはどうかと思うが・・)で地図を見つけたのだが、定価が書いていない。そこでカウンターに持っていったところ・・ 「4830円になります」 ・・そんなに高かったかな? 前に三国時代の地図を買ったときにはもっと安かったぞ。 仕方ないので「また来ます」といって撤収。なんか釈然としなかったので、近くのT書店に行って、1Fの地図コーナーで同じ本を眺めてみた。 定価630円。 ・・8倍ほど違うんですけど。ひょっとして、向こうの店員は8冊セットの値段を1冊と勘違いしていたのだろうか。とりあえず630円で購入したが、あやうく4830円で本を買ってしまうところだった。もし4830円で買ってしまっていた場合、レシートさえあれば、後から報告して超過分を取り戻すことはできるのだろうか? |