沈思黙考

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6月23日(月)

一週間ほど前に、突然頭の中に呂義の顔(光栄の三国志IIの顔)が浮かんできて、急に呂義のレジュメが作りたくなりました。忙しいのに、あえて別の仕事をやってしまうあたり、現実逃避なのかマゾなのかさっぱりわかりません。
それでも仕事は仕上げなければなりません。さあ、今日も頑張ろう(そして翌日は現実逃避で、翌々日は修羅場…のエンドレス?)。


6月19日(木)

いかん。起きたら午後の4時だ! 昨日はちゃんと夜12時に寝たのに、16時間も寝続けてしまった。やはり体力が低下している証拠なのだろうか。

さて、前回の続き。

人が他人の言う事を聞くときには、「正当性」「権力」がモノをいう。逆に、それらが無いと人は他人の言う事をあまり受け容れない。

そこで僕は考えた。最近、教師に指導力が無いと言われているが、それは必要以上に教師の権威が低く見られているからではないかと。もちろん、実際にサラリーマン教師はいる。だが、それを差し引いても、教師は低く見られている。
社会が教師を低く見ている場合、社会の反応に敏感な子ども達が、教師を低く見ないことがあろうか。

昔の教師は聖人だったのか。夏目漱石の「坊ちゃん」を見る限り、俗物教師は当時にもいる。明治も平成も、俗物は俗物で、名教師は名教師。どちらも学校に存在し続けているのである。それでは教師の指導力は何故低下したか。
それは、「教師の権力が低下したから」ではないだろうか。昔の家庭は「先生の言うことには従いなさい」と言っていた。しかし、今は違う。学校が教えたことを家庭が否定した場合、その二重構造の中で子ども達はどうなるのだろう。

マスコミも同罪。売れるからなのだろうが、教師の犯罪を必要以上に大きくたたく。建前上は「教師=聖職」を否定しながら、その実は「教師のくせに」と攻撃する。バブルの時期には「優秀な人材は一流企業に行く。その残りが教職に就く」などと陰口を叩かれる。社会がこのような状況で、どうして子ども達が教師の言う事を聞こうなどと思うだろうか。
本当に教師の指導力を期待しているのであれば、それを補助する意味で、教師の権威を上げることが必要不可欠だと思う。


6月16日(月)

貴方は他人の言う事を聞くほうだろうか? 注意されたら素直に従うだろうか?

もちろん、それが犯罪行為であったり、禁止事項であったら従うかもしれない。しかし、それが道徳的なことだとか地域の習慣だったりした場合はどうだろう。自分のやり方を通すのか、それとも郷に入りては郷に従うのか。

そこで、人が「絶対に従わざるを得ないとき」というシチュエーションを考えてみる。

これまでの人生の中で、自分を曲げてでも相手に従わざるを得なかった場合があったとした場合、それはどんなときだろう。

・犯罪行為。これを我流の価値観によって無視すると、否応無く捕まってしまう。法には強力な犯罪抑止力がある。

・クラスの皆が自分と違う。皆はAなのに、僕だけB。日本人にはこの状況は耐え難いのではないか。

・怖い先生や先輩の言うこと。断ると殴られたり、いじめられる。男子は暴力的に、女子は陰湿に(経験則)。

そう。人は「自分から見て圧倒的に強いもの」を前にしたとき、相手に抗して負けたときのことを考えて、自分を相手の主張にあわせてしまうのである。だが、これは悪いことではない。「犯罪抑止」と書いてあるように、「罰則」という相手に人は怯え、その結果犯罪が減るという効果もある。もし世界に刑法が無かったらどうなるだろうか?窃盗をしても殺人をしても誰も咎めない。そんな世界は現代社会では考えられない(もっとも、人が欲望のみで生きる「法の無い世界」があったとしても、結局秩序が誕生するという意見もある。人はバトルロワイヤルの世界では何十年も生きていけないため、自然と暗黙の了解という見えない法によって均衡が保たれるという説である)。

では逆に、「自分が軽蔑」していて「世間からも嫌われ」ている人から注意をされた場合、貴方は従うだろうか?
犯罪のように明文化されたことでなく、道徳的なことやマナー等で注意を受けた場合である。

「あんな奴の言うことなんか聞けるか!?」

と突っぱねてしまうかもしれない(自分が嫌っている人の意見は、正論でもなかなか受け容れにくいものである)。

つまり、「人が他人の意見を容れる」には、「相手の力が強い」「相手に好意を抱いている」ほど、受け容れやすくなるということである。 続く。


6月15日(日)

祖父の13回忌の法要があったので、土曜・日曜と父方の実家がある栃木に行っていました。そして山口智子さんの実家の旅館で食事をしたわけですが・・

「山口智子・・? 渡辺徹の奥さんだっけ?」

と、山口智子と山口百恵を勘違いした上、実は山口百恵と榊原郁恵を逆に覚えていたという芸能音痴の三重殺をやってしまい、かなり恥ずかしい思いをしてしまいました。男性集団の中で生きてきた僕にとっては、女性の個体を区別することはどうも苦手なのですね(汗)。


6月11日(水)

部屋の片付けをしていて不用な昔のゲームが出てきたので、近所の中古屋に売りに行った。すると・・

店員「すみませんお客さん。身分証明書はありますか?」

僕「身分証ですか??」

僕は少々驚いた。ここの店には何回か古本を売りにきたことがあったが、一度もそのようなことを聞かれたことが無い。不思議そうな顔をしたせいか、店員は細かい説明をはじめた。

店員「18歳未満の方からはゲーム買取ができないので、年齢確認のために云々・・」

前の客は顔パス(?)というか、ノーチェックで審査してたぞ。僕が18歳未満に見えたということだろうか。若く見られて喜ぶべきか、大人と認識されないことに悲しむべきか。普段スーツを着ているときは間違われないんだけどなぁ。今度から遊びに行くときもスーツにしようかな(爆)。


6月10日(火)

ずっと欲しいと思っていたスパークリングマーチ(早稲田の応援歌の1つです)の着信メロディが、紺碧の空兄のサイトからリンクしているところに置いてあったので、大喜びでダウンロードさせていただいた。
スパークリングマーチはいいなぁ。大進撃も良い。神宮球場で早慶戦を観戦したときの、あの熱気と興奮が思い出される。好好。

ただし、基本的に通常着信音は「闘魂こめて」ですけどね。


6月9日(月)

久方ぶりの更新になってしまった。

体調不良に続き、週6日の塾勤務と学校が、元々少ない僕の体力をガリガリ削っていく。今日も週の初めにもかかわらず、目覚めたときに体が硬直して数分間動かなかった。意識はかすかにあるのだが、体が全く動いてくれない。
というか、こんなに体力が少ないと社会でやっていけるのかが不安。まともに過労死しそう・・


6月3日(火)

妹がウェブサイトを作るということで、わりと評判の良いCGIBOYの無料日記帳を登録していたときのこと、

”日記帳を使用するHPまたは日記帳自体に以下の内容が含まれる場合はチェックをつけて下さい。”

という注意書きがあった。要するに、「アダルトサイトを作る人は最初に言ってね。子どもに見せないようにするから」というマーク付けだ。

18歳未満お断りのアダルトサイト”

アダルトサイトではないが、健全とも言い難い(例:アイコラ、やおい、クラック)。”

・・・ん?

アダルトサイトではないが、健全とも言い難い(例:アイコラ、やおい、クラック)。”

もう一度。

アダルトサイトではないが、健全とも言い難い(例:アイコラ、やおい、クラック)。”

「やおい」はアダルトに準ずる不健全なものとして、アイコラやクラッキングと同等に扱われているようです(笑)。はっはっは。


6月1日(日)

あることを思い出して部屋の大掃除を敢行。その結果、部屋の奥底(この表現から、僕の部屋がいかに散らかっているかが良く分かる)からMOディスクが発見された。そう、今使っているパソコンの先代のパソコンのデータファイルである。
試しに中をのぞいてみたら、昔のマイドキュメントのデータが入っていた。

これで1998年までのデータを取り戻せた!!

「過去を取り戻す」なんて何かのアニメやドラマみたいだなぁ・・

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