沈思黙考

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9月30日(火)

秋桜の 後に歩むは 修羅の道


9月28日(日)

おれさま大兄・菊水先生・UG兄・董平兄と5人で、人体の不思議展を見に行く。現会員に話題を振ったときには賛同者が誰もいなかったのに、OBグループに話題を振ったら一晩で5人も参加希望者が集まった(当日欠席者1名)。さすが変わり者ばっかり向学心に燃える人々だ。
不思議展の詳細についてはUG兄のところの日記で紹介しているので、こちらでは省略。ただ、家族連れとカップルが多かったのは予想外でした。もっと閑散としている博物館みたいなもの(目黒寄生虫ミュージアムみたいな)を予想していたのに、実際のところは行列ができるほどの混雑振り。

不思議展を見た後は、恒例の焼き鳥大会(?)。昔、寄生虫を見た後にきしめんを食べたり焼肉に行ったりした企画と同様、今度は焼き鳥というわけです。
さっき見たようなハツとか、さっき見たようなレバーとか、さっき見たような馬刺し(馬刺しはまさにソックリ!!)とか・・・


9月25日(木)

給料日。そろそろお金がたまってきたから、5月に壊れたハードディスクを修理に出すことにしようかな。
ハードディスクの中には卒論の資料と、魏延の野望のクイズ・シナリオ原案と、思いで色々がつまっている。自分の過失で壊したわけだし、このデータが復旧できるのであれば20万や30万は惜しくない。勉強料として払おう。40万を超えたら・・ちょっと考え直そうかな。


9月24日(水)

10月から高校で授業をするので打ち合わせに行ったのだが、相手の先生曰く、
「ウチは教科書にとらわれない授業をしているので、授業計画は全てお任せします!」
と、丸投げされてしまった。

初任でいきなり100%を任されるというのは逆につらい。カリキュラムも授業内容もプリントも全て今から組み立てなければ。間に合うかなぁ(間に合わなきゃダメです)。


9月23日(火)

池袋のジュンク堂にプレートテクトニクスの本を買いに行ったのですが、そこで「真・三国無双3 キーワード・エンサイクロペディア(←早い話が、『百科事典』のこと)」が発売されているのを見つけました(発行日は9月24日とあるのに・・・)。
実は、僕もキーワード・エンサイクロペディアに執筆陣の一人として参加しています。かつて三国志研究会の現役会員だった頃に「早大三国志研究会」の名前で何冊かの本の原稿を書いたことはありましたが、今回のように個人名で執筆するのは初めてのことなので、かなりドキドキです。しかも、僕が担当した部分はたった一箇所(字数にすれば約450文字)なのに、執筆陣紹介はアイウエオ順なので一番最初に来てしまい、他の執筆人の方々には大変申し訳ない気持ちでいっぱいです(まるで、赤壁の戦いに貢献しなかったのに、一番美味しいところだけ持っていった演義の劉備のようだ)。

で、帰りにドトールコーヒーに入って早速パラパラとめくってみました。おや、僕が送った原稿と完成原稿では微妙に違いがあります。あちらの方が校正してくださったのでしょう。

原稿:赤壁の戦いのあと、諸葛亮の指示で関羽は敗走した曹操を討つために華容に兵を潜めた。・・・

完成品:赤壁の戦いの直後、関羽は敗走した曹操を討つため、赤壁から南郡に向かう途中にある華容に兵を潜ませていた。・・・

この瞬間、僕は気づきました。僕は物語中における華容の意味を把握していたため、何の疑問もなく「華容」と書きました。しかし、初心者の人からすれば、何故敗走した曹操を討つために華容に兵を潜めるかという必然性は見えにくいもの。華容が赤壁と南郡の途中にあるという説明があることで、どうして華容なのかという理解がしやすくなります。他にも、原稿では抽象的な表現だったところが、具体的な説明文に変わっていました(例えば、「文醜・顔良を斬って恩返しを・・・」とか)。原稿を書いたときは簡素にまとめた文だと自画自賛していたものが、今考えてみれば、抽象的な表現は初心者に対して絶対にやってはいけないことでした。僕は常日頃から「具体例を使うことでわかりやすい理科の授業を!」とか「このサイトは初心者でも楽しめる文章を・・・」とか誓っておきながら、無双本の原稿で初心者に対し、説明のない傲慢な筆を握ってしまったわけです。
あまりの恥ずかしさと悔しさで、思わず拳でテーブルをドンと叩いてしまい、他の客から変な目で見られてしまいました(あそこのドトールには当分行けないなぁ)。

さすが担当者の方は読ませる文章表現に長けているなぁと思いつつ、校正してくださった方には本当に頭が下がる思いです。そして、校正前のあんなヘッポコな原稿を胸を張って送ってしまっていた自分に、再び恥ずかしさと憤りと無能感が吹き荒れた一日。


9月22日(月)

僕の筆箱は、俗に言う缶ペンである(最近は見かけないが)。小学5年生のときに買ってもらった筆箱をかれこれ15年以上使っている計算になるわけだ。
壊れたら買い換えようとは思っているのだが、金属製の箱だけあって、そう簡単には壊れない。小学校のときに書いた落書きや、友達に書かれた落書きもそのまま残っている。今でもそれを見ると、当時のことを思い出します。
日本は八百万の神がいる文化。ものを大事にしないと、もったいないオバケが出ますよ(理系のセリフとは思えん)。


9月21日(日)

トルコ三大文明展をおれさま大兄・ぴんと大兄と見に行く。ヨーロッパ的でありアジア的でもあるトルコ、といった印象でしょうか。時代によってエジプトの影響を大きく受け、ギリシャの影響を受け、ローマ・イスラム・モンゴル・中国と、あらゆる文化の特徴が随所に見られます。戦争の歴史が文化の混合の歴史であるというべきなのでしょうか。
その中で一番笑えたのが大理石でできた大天使ガブリエルの浮き彫り。まさにキリスト教の文化そのものというべきなのですが、ガブリエルが手に持つ宝玉には「アラー」と書いてあるそうです。敬虔な信者が見たら卒倒モノですね。


9月20日(土)

四谷大塚の小5理科のテキストを使って、小5に授業をしているが、内容が公立の小中学校を凌駕している。

口ではだ液に含まれるプチアリンがでんぷんを麦芽糖に変える。胃では胃液に含まれるペプシンがたんぱく質をペプトンに変える。以下、マルターゼ、リパーゼ、トリプシン、アミロプシン・・・

昔の自分もこれを全部覚えていたわけだが、やはり子どもの記憶力ってすごい。今の自分が未知の分野でこれだけの単語を羅列されたら覚え切れないだろうに。それに加え、これだけの内容を小学生の段階で完全にマスターしている連中が、私立に進んでさらに強くなるわけだ。公立が勝てないのもわかる気がする。


9月19日(金)

一週間のスケジュール。

月曜は大学に行く(大学生だから)。火曜も大学に行く。水曜日は高校で理科を教え(講師なので)、その後大学に行き、夜は塾のバイト。木曜は大学のゼミに行き、その後高校で理科を教え、夜は塾のバイト。金曜は中学校で数学を教え(TAなので)、夜は塾のバイト。土曜は午後がまるまる塾のバイト。日曜は消費した体力の回復のために寝る。

さすがに4足のワラジはきついものがありますね。3月まで僕の体が壊れないことを祈りましょう。


9月18日(木)

池袋に買い物に行ったときの事。北口周辺は繁華街で、客引きも多い。そんな中、中国人ホストが片言の日本語で女性に声をかけていた(客引きじゃなくて、ただのナンパかも)。
おねーさま、僕とつきあって下さい」と。
どこで学んだ日本語かは知らないが、これで釣られる人はいるのかな? いるんだろうな。


9月17日(水)

10月1日をもって、東京都内のとある私立高校に理科の非常勤講師として着任することが決定しました。現役大学生の高校教師(講師ですが)の誕生です。
非常勤講師として働きながら大学に通い、現場で起こっている生の教育問題や現状を、大学という、一歩間違えると机上の空論になりがちな場に持ち込むことは僕の念願でもありました。現場の風を流し込むことで、大学の教育学部はどう変わるのでしょう。あるいは変わらないのでしょう。僕の実験がこれから始まります。
「貴方も僕の実験台になってくれますか?」なんちゃって。


9月16日(火)

飛行機で帰京しました。飛行機は2度目ですが、前回はジャンボジェットでした。今回は中型の飛行機だったので、動きが機敏です。

「おお、加速が早い!」

「ぐあ、傾いてる、傾いてる!!」

「う、うわ、飛んだ、もう飛んでる!!!」

離陸に失敗しないように先祖に祈る暇すらありません。水平になった後は「落ちませんように、落ちませんように」と祈り続け、着陸時には遺言を心でつぶやきながらのフライトでしたが僅か35分で羽田に着いてしまいました。行きの船は10時間かかったというのに、凄い時間差です。
とりあえず事故がおきなかったことを先祖に感謝しつつ(本来はパイロットに感謝すべき?)、調査旅行は終了。


9月15日(月)

島の人から色々と面白い話を聞けました。これは卒論のネタなのでここには書きませんが、自分の予想とは全く異なる話が聞けて勉強になりました。
あとは宇喜多秀家の墓参りと、為朝神社詣で。
そして、面白かったのはスーパーに売っていたメロン・・・?(パパイアメロンかなぁ??)


9月14日(日)

島を散歩していたらソフトボール大会をやっていたので、自転車を止めてボーッと眺めてました。
すると、向こうの方からゴーーーッという凄い音。
羽田からの飛行機が、野球場のすぐ上をかすめて飛んでいきます。あれはライトフライでも打てば飛行機に当てられる高さです。その野球場の脇には土手のようなものがあったのですが、それは実は土手ではなくて飛行場の滑走路だったんですね。驚き。
あと、道端にもアシタバが気楽に生えてる〜(東京で買うと高い)。葉を一枚ちぎって噛んでみましたが、やはりアシタバです。野生のアシタバとは凄い。考えてみれば、うちの田舎では普通に取れるフキノトウも東京じゃ見られませんしね。自然が多いっていいですね。蜘蛛さえいなければ。


9月13日(土)

船で八丈島に到着。途中、三宅島にも寄ったのでデッキから島を見てました。見る機会なんて滅多にないですし(今は一般人立ち入り禁止だし)。その後、横揺れに加えて縦揺れも始まり、赤壁の曹操軍よろしく、顔を青くしてトイレでへばっていました。八丈に到着するまで地獄の3時間でした。最初の7時間は平気だったんですけどね。

そして民宿に入る。と、正面にお金を入れる機械が。よくありますよね、お金を入れないとテレビが見られないという機械。「一般放送はタダ+有料番組」のパターンや、「一般放送すら有料」というパターンがあります。そこで値段を見てみたら、「1時間100円」と書いてあります。有料テレビにしては安いほうですね。
・・が、その機械、よく見るとコードがテレビではなく、上に伸びていました。

有料エアコンか!?

1時間100円。昼間の八丈島の平均気温は9月中旬なのに32℃オーバー。海風が吹くと涼しいですが、構造の問題で部屋の窓を開けても風が吹き抜けません(代わりに虫が入ってくる)。ハッキリ言って地獄です。→結果的に、3泊4日の間に計1200円を投入。


9月12日(金)

そろそろ蜀人列伝の方の更新も再開しようと思っているのですが、悩みが少々。

例えば塾講師のバイトをしているとして、「数学の問題プリント」を作るとします。そのとき、「早慶クラス」と「学校の補習クラス」で同じプリントを配ることをしますか?
普通の人なら絶対にしませんね(勿論、1枚の紙に異なるレベルの問題が配置されているなら問題無い)。レベルの高い生徒には彼らに見合った問題を配り、学校に追いつけない生徒にはそれに見合った問題を配る。この場合、対象がハッキリしているから問題ありません。

が、サイトはどうでしょう。このウェブサイトを見ている人がどういう人なのかサッパリわからないです。
「横光だけは全巻読んだ!」とか、「ワレ・・魏延(三国無双)・・好キ」とか、「大学で史学をやってます」とか、「中文で三国志演義を卒論にした」とか・・
ちなみに、上の4人は全て僕の知り合いでこのサイトを見たことがある人ですが、たった4人ですらこの幅の広さです。
三国志ファンと言っても、演義しか知らない人,正史しか知らない人,無双しか知らない人などたくさんいます。ここで難しいのはターゲットの絞りかたです。歴史学会で諸葛亮のビーム(三国無双ネタ)について語る人はいないでしょうし、ゲームの攻略本を読んで「正史と違う」と文句をぶつけるのもナンセンス。その文章(あるいは本)のターゲットが何であるかが明確であれば、文章を読んだときの感想も当然それに見合ったものになるわけです。幼児向けの「よいこのえほん」を読んで「内容が幼稚!」と言う大人はいないでしょう。最初から幼児向きとわかっているので、「幼児向きなんだから、こういうものだな」と納得できるわけです。

しかし、このサイトは「蜀に関連する三国志全般」と敢えてターゲットを絞らず、「正史・演義・ゲーム等のサブカル」を融合させた文章を目指しているわけです。果たして歴史家をうならせる考察で、かつ文学家を感動させる表現で、かつ初心者でも気軽に読める文章が作れるのでしょうか。これは様々なレベルの子どもが混在する公立中学校で授業をするときにも似たようなことが言えそうです。
そのためにも、些細なことでも良いので掲示板にイチャモンを書いてもらえると助かります。叩かれて、叩かれて、学び、そして強くなる(おのれはサイヤ人か!?)。そしてサイトの閲覧者のうちの少なくとも1人がどのような考えを持っているかが僕にわかるわけです。ある意味、他人に依存した自分の鍛え方ですが、自分で見直しても不備なところって見つけにくいんですよね・・・

いつも書き込んでくださる皆様に本当に感謝。


9月11日(木)

一発ネタ(17日に改定)。

逃げた呂布&陳宮を追え!!」:呂布を破って捕虜にした曹操でしたが、目を放した隙に呂布・陳宮が縄を抜けて逃亡し、曹操軍の陣営に紛れ込んでしまいました。

陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陳宮陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営呂布陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営陣営

どこに逃げたかわかるかな?? ・・・呂布は目立つので、すぐ見つかります(笑)。


9月10日(水)

トライアルストーリー、ついに蜀・魏・呉の全24ステージ&呂布編の4つを制覇。呂布編は蜀魏呉編の3倍くらい運に左右されるような感じ。

それはさておき、漫画家というのは大変な仕事だと思う。なぜなら、商業誌では自分の本当に思い通りの作品が書けないからである(だから、自由に書きたいと思っている人は、商業誌を書きながら同人も書いている場合が多いようだ。同人なら制約を受けないし)。
よく漫画家の苦労話として、「自分がこうしたいと思っても、編集さんにダメといわれる」というのがある。結局、商業誌の漫画の原作というものは、作者ではなく、編集の力によるものが大きいのではないか(勿論、大御所の漫画家は違うだろうが)。

例えば、漫画家A氏が「主人公は優しいから、戦いを回避するストーリーを」と思っても、編集B氏が「いや、戦ったほうがウケるから、戦わせよう」と言ったら、それに従わざるを得ない。そして辛いことに、読者はそんな裏事情を考慮してくれない。例え自分の不本意なストーリーであったとしても、「漫画家Aのストーリーはヘボい」と叩かれる。決して、A氏にそのストーリーを指示したB氏が叩かれることは無い(「この漫画家つまんない」と言う人はいても、「この編集は構成が下手」と批評する人はマニア以外には滅多にいないだろう)。
自分の意思で書いたものが読者にウケないのは自分の責任なので納得がいく。が、他人に言われて書いた物が、自分の不本意なところで批判されるというのはとてつもなく心苦しいことなのではないだろうか。
菊水大兄の漫画もやはり編集さんに制約を受けているのかな?(爆) 今度会ったときにでも訊ねてみよう・・


9月9日(火)

トライアル攻略の続き。蜀編の8つの戦いを全部掲載するかは不明だが、いっそのこと新コンテンツとして立てようかな? 需要はありそうだが。

2.天水の戦い

5月上旬:劉禅には兵100とともに南蛮旅行(下記参照)に出てもらう。漢中の武将で連射・混乱・井闌を持たない5人を成都に移動、持っている武将は兵2万5千を率いて陽平関に進軍。陽平関の陳式を梓潼に、馬超・馬岱を漢中に移動。梓潼の李厳を陽平関に移動。ここで終了。
進行フェイズ:陽平関に漢中の部隊が到着、兵6万が揃う。
5月中旬:陽平関の6万の兵で井闌6部隊を編成し、武都砦に出陣。成都・漢中は全員で徴兵。陳式は梓潼の全軍を率いて長蛇で漢中に進軍。ここで終了。
進行フェイズ:姜維が1万の兵で攻めてきますが、気にしないで大丈夫です。
5月下旬:成都では4人で徴兵し、残った1人が全軍を率いて長蛇で漢中に進軍。漢中は徴兵・訓練。ここで終了。
進行フェイズ:陽平関が陥落します。漢中に8千の兵が到着します。
6月上旬:成都の4人を漢中に移動。漢中はカミカゼアタックto姜維(なお、諸葛亮・李厳・呉懿・張嶷・馬岱らは安全志向なのか、兵500だとすぐに退却して、カミカゼアタックをしかけてくれない。彼らは防衛より攻城部隊に回したほうが良い)。ここで終了。
進行フェイズ:姜維1万なら、1ターンで瞬殺できるはずである。馬超・馬岱の突撃が出ることを祈ろう。
6月中旬:姜維隊がいる場合、再びカミカゼ。いない場合は訓練・巡察・改修を。ここで終了。
進行フェイズ:このターンで確実に姜維を殲滅し、武都砦も占拠できるはず。
6月下旬:武都砦から再び井闌6部隊を編成し、段谷砦に出陣(ただし、武都砦に1人残しておく)。漢中の誰か1人(ザコでなくてよい)に兵1000を与え、長蛇で陽平関に出陣する。ここで終了。
進行フェイズ:陽平関を取り戻す。漢中に成都からの兵3万が到着。
7月上旬:漢中は1人を残して徴兵・訓練する。残ったザコに適当数の兵を武都砦まで輸送させる(漢中には2万残せば余裕で守れる)。陽平関の武将は全軍を率いて漢中に進軍。ここで終了。
進行フェイズ:段谷砦を占拠できるはず。陽平関が再び姜維に落とされる(輸送が済んでいれば、陽平関を再び取り返す必要なし)。
7月中旬:武都砦への輸送隊の目標を段谷砦に変更する。漢中の守備隊以外の全武将・兵士を段谷砦に移動・輸送。段谷砦の将は訓練を。
進行フェイズ:段谷砦に兵力と将が揃うはずです。
7月下旬:漢中は姜維の迎撃を。段谷砦からは天水に向け、ありったけの井闌部隊を出陣(蜀には10人の井闌武将がおり、この時点で段谷に8,9人いるはず)。
進行フェイズ:あとは姜維迎撃・井闌攻撃の繰り返しです。このシナリオは兵法がちゃんと出れば7月中にクリアできるはず。

僕のマニュアルは「クリア」を目標にしており、「イベント」はあまり気にしていません(シナリオ分岐に必要なイベントには気を使いますが)。この戦いにもイベントがあるような気がするのですが(特に姜維関連)、まだ見つけていません。見つけたらマニュアルを変えるつもりです。


9月8日(月)

三国志9PKトライアルストーリー、蜀編の夷陵の戦いで江陵を必ず落とせるマニュアルを書いてみました。

1.夷陵の戦い(永安防衛&江陵攻略コース)

4月上旬:諸葛亮・魏延・趙雲を梓潼→永安に移動。関興を永安→梓潼に移動。梓潼から馮習・沙摩柯・黄忠の3人を激励(うちのPCの場合、王平・高翔・馬岱で必ず成功する)。劉禅に兵100を与え、江州に長蛇で出陣(空白地を占拠して収入を増やすため、一番の役立たずを使用)。残りの武将について、成都は全員で徴兵、梓潼では巡察・訓練、永安は徴兵・訓練。ここで終了。
進行フェイズ:巴西砦から徐盛2万→永安、宜都砦から甘寧2万→永安、江陵から陸遜・孫権・留賛が出陣。梓潼から激励した場合、混乱から回復した黄忠達はまだ呉軍と交戦していないはず。
4月中旬:馮習・沙摩柯・黄忠を永安に進軍(交戦回避で)。馬謖を成都→梓潼に移動。成都は孫尚香・張翼・廖化で徴兵。ショウエンは全軍を率いて長蛇で梓潼に進軍(兵法は鼓舞)。永安は呉軍に攻められているはずなので、突撃・突進・奮闘・奮迅・罠などの強い兵法を持った武将に兵3〜500を持たせて突っ込ませる(このゲームは兵が少なくとも攻撃力は落ちない。つまり、部隊数が多ければ多いほど、攻撃力や兵法発動率が上がるのである。以下、この作戦をカミカゼアタックと呼ぶことにしよう。ただし、敵の斉射等を軽減するために、弓属性の高い趙雲か孫尚香のどちらかは常に城内に待機させたほうが良い)。梓潼の武将は改修とか巡察とか。ここで終了。
進行フェイズ:上旬の続き。黄忠達は呉の追撃を振り切っているはず。たまに馮習・沙摩柯が呉との戦闘に巻き込まれて大損害を受けます(陸遜の罠を馮習がくらうと8000近いダメージ)。そうならないよう祈りましょう。また、運がいいとカミカゼアタックにより甘寧・徐盛のどちらかをこのターンで殲滅できます。
4月下旬:梓潼から井闌[馬謖(混乱)・関興(斉射)]2万で広漢砦に出陣。成都の全武将を梓潼に移動。江州に着いた劉禅は雲南に長蛇で出陣。永安はカミカゼアタックto甘寧・徐盛。梓潼は改修・巡察・訓練を適当に。ここで終了。
進行フェイズ:黄忠達を追ってきた陸遜・孫権らは、黄忠達が永安に入ると江陵に退却します。
5月上旬:永安から井闌[馬良(混乱)・黄忠(連弩)]1万で巴西砦に出陣。永安の残りの武将はカミカゼアタックto甘寧・徐盛(退却する陸遜達は無視して構いません)。梓潼では徴兵・訓練・改修を。ここで終了。
進行フェイズ:宜都砦から韓当4万→梓潼、巴西砦から孫桓4万→梓潼(黄忠が狙っているのに!)、広漢砦から潘璋3万5千→梓潼が出陣。すぐに空っぽの巴西砦を黄忠が占拠。関興と潘璋が出会うと一騎打ちイベントが発生して敵部隊が消滅するので、そのまま進撃してうまくいけばこのターンのうちに広漢砦も占拠。あと、最初にいた甘寧・徐盛もこの頃には全滅しているはず。
5月中旬:巴西砦から井闌[馬良(混乱)・黄忠(連弩)]全軍で宜都砦に出陣(宜都砦の兵が0なら、長蛇で可)。広漢砦から長蛇[馬謖・関興]全軍で永安に出陣(韓当にぶつからないようにルートを調整)。永安では韓当にカミカゼアタック(ここでは長蛇がオススメかも)。梓潼・永安からザコ1人(カミカゼアタックに向いていなさそうな武将)を広漢砦に移動。梓潼の残りは徴兵・訓練・改修を。ここで終了。
進行フェイズ:韓当はカミカゼアタックをくらいながらも梓潼に進撃するはず。カミカゼに参加した武将は次ターンで梓潼に送るので、早く敵にぶつかれる長蛇が良い。黄忠が宜都砦を占拠。
5月下旬:雲南に着いた劉禅を南蛮に長蛇で出陣(まるで南蛮旅行のようだ)。永安から劉備が6万で建設to夷陵陣(できるだけ江陵城に近いところ)。梓潼か永安からザコ武将1人を宜都砦に移動。永安・梓潼にいる武将のうち、カミカゼアタックに適した武将を梓潼に、連射・混乱・井闌を持った武将を永安に移動(趙雲・孫尚香のどちらかが梓潼にいれば良い)。この時点で梓潼に未行動のカミカゼ隊員がいる場合、カミカゼ第一陣to韓当。広漢砦のザコは復帰した負傷兵を永安(完成したら夷陵陣)に輸送し続ける。宜都砦の黄忠・馬良はほぼ全軍で永安に進軍(残ったザコ武将のために、最低限の兵は残しておく。兵は1人でもいればOK)。
進行フェイズ:韓当・孫桓が梓潼を攻撃し始めますが、大した損害は受けないでしょう。ここで終了。
6月上旬:梓潼はカミカゼアタック。永安の武将は適当に訓練やら巡察でも。宜都砦のザコを長蛇で襄陽に出陣させる。ここで終了。
進行フェイズ:うまくいくとこのターンで韓当・孫桓を殲滅できます。夷陵陣が完成します(呉軍が攻めてきますが、陣が完成すると退却します。次ターンで追撃する必要はありません)。
6月中旬:劉禅を建寧に長蛇で出陣。梓潼に呉軍がいる場合、カミカゼ。梓潼・永安の武将のうち連射・混乱・井闌を持たない(=城攻めで役に立たない)武将に、全兵士を夷陵陣まで輸送。残った武将は全員夷陵陣に移動。
進行フェイズ:ザコが襄陽を占拠します(次ターンだったかも)。梓潼付近の呉軍は確実に全滅するはずです。
6月下旬:南蛮旅行(?)中の劉禅と、襄陽を占拠しているザコ以外の全ての兵士・武将を夷陵陣に移動・輸送。
進行フェイズ:遅くとも、7月中旬には夷陵陣に10万以上の大軍と名将達が揃うはずです。兵士数がもっと欲しいなら各都市に武将を数名残しておき、7月上旬に徴兵して輸送してください(ただし、襄陽には兵を残す)。江陵には7万近い兵がいると思いますが、蜀軍の攻撃は8月になってからでも十分間に合います。気になる人は訓練で士気を上げておくのもいいでしょう。ここでは仮に8月上旬に江陵攻めを始めることとします。
8月上旬:襄陽のザコを方円で江陵に出陣(9日目に出陣するようにします)。
進行フェイズ:ザコがちょっぴり江陵に進みます(次ターンで呉軍のターゲットになる)。
8月中旬:夷陵陣から井闌部隊(各部隊1万ずつ)を出陣させます。オススメの組み合わせは「混乱+弓」ですが、とにかく「井闌」部隊をたくさん作ることを目標に(1つの部隊に井闌スキルを持つ武将を複数配置しないようにしましょう)。おそらく井闌が10部隊ほどできると思います。
進行フェイズ:陸遜らの呉軍は8月上旬に襄陽を出たザコ部隊に向かいます。わずか2万強しか残っていない江陵に井闌10部隊が突っ込んでいくわけです。圧巻です。1フェイズで軽く3000以上の城兵を削れるでしょう。
8月下旬:多分、何もしなくてもいいでしょう。
進行フェイズ:城からおびき出された陸遜らが慌てて城に戻るはずですが、帰城に間に合ったとしても、もはや大勢は決しています。兵法発動しだいですが、最終決戦は最初のザコ襄陽出陣から数えて3〜4ターンで勝てるはずです。これで永安防衛&江陵攻略が終了しました。次は天水の戦いとなります。

分岐:永安を守って江陵を落とすと「天水の戦い」へ。1度でも永安が落ちると江陵攻略の可否に因らず「益州反乱鎮圧戦」へ。

マニュアルとしてはかなり詳細に書いたつもりですが、万一これを真似てもクリアできない方がいたら御報告下さい(○○の部分がうまくいかなかった!など)。


9月7日(日)

池袋の芳林堂であさりよしとおの「まんがサイエンス」4〜7巻を一括購入(大人買い?)。以前、高田馬場のまんがの森で1〜3巻を見つけて買っていたのだが、続きがあるとは知らなかった。ちなみに、僕が理科の教師を目指すキッカケをくれたのは前述したB先生であるが、僕がそもそも理科に興味を覚えるキッカケを与えたのが「まんがサイエンス」なのである(昔の沈思黙考でも触れた気がするが)。

あのときはサークルの後輩にも布教しようと思って三国研の部室に持って行き、「これが至高の教育漫画だ!」と読ませたのだが、じろう兄に
「何というか、エロい絵ですね」
という暴言(?)を吐かれて精神的に撃破された覚えがある。僕はまんがサイエンス好きさに、いまだに当時の「5年の科学」を家にとってあるというのに!(それもどうかと思うが)。
なので、コミックには未収録の「海にただよう魚たちのオアシス」も家にある(88年が小5だったので)。これは結構レアかもしれないなぁ。


9月6日(土)

中学校時代の友人Aと偶然道で出会って、少し話をした。

「おー、久しぶり。今、何やってるの?」
「まだ学生なんだ。来年くらいから理科の先生になれるといいんだけどね・・」
「伊比は理系なんだな。俺も小学校のころは好きだったんだけど、Bの授業で嫌いになっちゃってさぁ」

Bというのは、僕とAが中1の時の担任(担当は理科)のことである。これを聞いて僕は驚いた。僕はB先生の授業が好きだったのである。むしろ、「僕もこんな授業ができればなぁ」と思っていた。B先生の授業は、今でも僕の心に理想の授業として強く残っている。同じ授業なのに評価が180°異なっている。一方はその授業にあこがれて理科の教員を目指し、もう一方はその授業で理科に幻滅した。
これはどういうことなのだろう? 全ての人に受け入れられる授業というのは存在しないということなのだろうか。十人十色とはいうが、理想の授業が存在しないという現実を見させられたようで少しへこんでしまった。


9月5日(金)

ん? ・・三国志9PKのトライアルストーリーで、とてつもない攻略法を見つけてしまった。知っている人は最初からこの方法を使っていたのだろうか。
この方法だと敵の攻略があまりにも簡単になりすぎてしまう。とはいえ、ネットでは常識なのかな?? その方法とは、

「2万の兵で1部隊(5人)組むよりも、できるだけ多く分割したほうが強い」

ということである。普通、兵を細かく分けると各個撃破されるわけだが、このゲームはそうでもないらしい。実際、2万強の守備兵がいる永安に4万の呉軍が攻めてきたときの話。援軍が次ターンで到着しそうだったので、そのときまでの時間稼ぎとして武将15人に1000ずつ持たせて敵に突っ込ませてみた(時間稼ぎにはなるかな・・と思った)。
その結果、1ターンで敵を倒しちゃいました(足止めできれば程度に考えていたのに)。兵法は12回も発動!!

考えてみれば、このゲームは兵士数と攻撃力が比例していない。2万の部隊の攻撃力が130のとき、1000の兵でも110近い攻撃力を持っている(もちろん出会って2〜3フェイズで倒されるが)。とはいえ、この3フェイズの間は110の力で攻撃できる。これが15部隊いたわけなので、実際の総合攻撃力は1600近い。さらに兵法発動率も部隊数が15もいれば単純に15倍の確率になる(このゲームは兵法が発動すると、単体でも1000〜5000は削れる)。4万の兵でも1ターンで倒せたわけだ。

トライアルストーリーで防衛戦をするときは、武将数に物を言わせて兵500でカミカゼアタック(爆)。これが最強のようである。三国志6の弓隊並みの強さだ。


9月4日(木)

三国志9のトライアルストーリーが結構難しい。PKを買って最初に蜀のストーリーを始める(戦いの名前はうろ覚えなので適当)。

夷陵の戦い:全軍梓潼に引きこもって防衛していれば勝てる。守備だけならかなり楽。関興を潘璋にぶつけるとイベントが起きて瞬殺できる模様。

益州平定戦:鄂煥を倒すと自動的に高定が寝返るので楽。特に攻略を考えるまでも無いような。

南蛮平定戦:孟獲を7回捕らえるのは結構シビア。兵法が出てくれないとタイムオーバーになる。

夷陵の戦いII:最終戦の割には難しくなかったような。順当に力押しでクリアできてしまう。

何とかストーリークリア。あとは最初の夷陵で江陵を落とせば分岐で別ストーリーだろうから、それに挑戦。


9月3日(水)

中学校の理科の先生から、「人体の不思議展」のタダ券と割引券を1枚ずついただいた。2枚あるということは、誰かを誘って楽しんできなさいということなのだろうか。自己紹介の100質問にも書いたとおり、「頭良い女性と博物館デート」というのは憧れ(妄想?)の1つなので、ちょっとワクワク。←その前に、相手がいないのだが。

↓人体の不思議展

http://www.jintai.jp

無理っぽい(涙)。三国研のメンバー(♂)を誘って行くことに決定。

追記。今見たニュースによると、国会議事堂に雷が落ちて一部が破損し、その破片でガラスが割れたとか。この国の行く末の暗示のようで怖いなぁ。
三国時代の中国なら、「皇帝の徳の無さ」の象徴として、革命一直線であろう。


9月2日(火)

蜀人気質の目次のページを改装しました。
まだ改装したのは配置だけですが、これから各コンテンツの紹介文も書き直します。今週いっぱいで全体的なお色直しが完成すると良いのですが。

新しいホームページと目次のページについて、何か御意見・御感想等ありましたら掲示板にお願いします。


9月1日(月)

沈思黙考の校正をしていたら、予定していた31日のうちのサイト改装ができませんでした。

それにしても、過去の自分の沈思黙考を読むというのが、こんなに面白く恥ずかしいものとは。作家が昔の作品を隠したがる気持ちが良くわかります。「うわー、こんなことを考えていたのか!?」と苦笑してしまう部分もあれば、「お、当時の僕は面白いことを考えていたな」と参考になる部分もあります。
中には卒論に使えそうな部分もあったりした(昔書いた内容なのに、今の僕は結構忘れていた論点だった)ので、有用な一日でした。

そういえば、2chの三戦板で「三国無双辞典を作ろう」みたいなスレが最近できた模様。吉と出るか、凶と出るか(謎)。

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