沈思黙考

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3月28日(日)

とりあえず近況報告。

〜3月25日
帰宅時間が平均深夜2時。仕事の内容はデータ整理や古い書類の処分(シュレッダー職人?)など。つまりは塾講師の本業ではない。日ごろからやっていれば問題ないのだが、前任者が片付け嫌いだったらしく、新任者(整理好き)が倉庫の整理をしていたら出てくるわ出てくるわ、過去の書類の山が!
つまり、「とりあえずダンボールにまとめて奥に突っ込む」を繰り返しているうちに、えらいことになってしまったわけですな。ちなみに8年分のダンボールが山のように積まれていました。
ともかくダンボールを出して、開けて、判別して、いるものは別のところに移して、要らないものはシュレッダー。使えそうな教材やプリントは科目と学年ごとにまとめて棚に順番に詰めていく。ああ、まさに涙の倉庫番。

3月26日〜
春期講習が開始。2時から10時過ぎまでの間に7コマが入る。その予習時間(教材準備も)に本来は等時間を割きたいが、そんな余裕がないので半分の30分強で妥協。それでも予習時間が3〜4時間。
午前中は大学で科目登録やら調べものやらがあるので、家を朝9時に出て大学に向かう。昼の1時までに塾に移動。2時から授業をして帰宅は平均して深夜0時前後。日付が変わる前に家に帰れるときの幸福感は何ともいえませんね。マスター時代に研究室で不規則な実験生活をしていたせいか、体の機能は今のところはおかしくなっていません。パワプロなら「回復○」「安定感」といったところでしょうか(ただしスタミナはFかG)。

結論1:サイトの更新ができません。

結論2:講習明けの4月10日まで、サイトの更新を停止します。ただし、掲示板は毎日見ているので、ネタのある方はどうぞ。

ちなみにビジュアル三国志を買いました。特典付きで(笑)。


3月16日(火)

悲惨な家庭環境で育った者が犯罪を犯したとする。そういう人には更生プログラムが施され、犯した罪の度合いにもよるだろうが、マスメディアなどが後押しをすることで、世間の同情を受けて多少優遇されたりもする場合もある。獄中で作家になったり、結婚した人もいるくらいだから。
その一方で、悲惨な家庭環境で育っても、耐えて耐えてギリギリ限界のところで生きている人たちもいる。しかし、彼らに手が差し伸べられることはほとんどない。裁判を起こすとか、犯罪を犯すとかしないと誰も彼らには気付かないわけだ。

主張したもの勝ちということなのかもしれないが、何となく釈然としない。


3月11日(木)

バイト先で小学校中学年の児童の親から注意(というよりは、要請)を受けた。

普段入っている中学生クラスでは、生徒にハッパをかける意味も込めて「この計算は簡単だから、3秒で瞬殺!」のような表現を用いるのだが、今回担当したのは9歳の女の子。そういうノリが通じるわけもなく、家で「3秒でできない。うわーん」と、半泣き状態で宿題をやっていたそうな。
で、親から「3秒というのは具体的な意味が?」という確認の電話を受けた次第。すみません。軽いノリで発言しました。

まだ純真な年頃なので、言われたことをそのまま信じてしまうんですね。可哀相なことをしました。心が痛む。


3月10日(水)

3月に入って以来、帰宅が深夜の1時で、家を出るのが朝の5時という生活が続いていたため、更新が途絶えました。毎年、この時期は忙しいですなぁ。

都立理科の予想が外れたのもあるのか、今年の中3の第1志望校合格率は70%と、ここ5,6年で最低記録をマーク。

とはいっても、「カナダはアメリカの一都市の名前である」とか「うぐいすパンは(以下略)」と思っていた子がジャリ川に受かるんだから、受験とはわからんものですなぁ。逆に、落ちるはずのない学校を受けて落ちた子もいますし。まあ頭の良さとボケ具合は関係ないような気もしますが。


2月29日(日)

友人の結婚式の2次会に出席しました。

新郎と新婦は13年間つきあい続けて今年ついにゴールインとのこと。えーと、今年27歳なので、逆算すると・・・まさに「継続は力なり」ですね。
また、披露宴のスピーチでは東西新聞社の山岡士郎氏からも祝辞があり、それを井上和彦氏が代読(笑)したとのこと。うう、聞いてみたかった。

とにかく他人の幸せな顔を見ると、それだけで満足できます。こっちもホンワカするというか。皆が幸せならば、それで充分。


2月28日(土)

あああ・・都立理科の予想がかなり外れた。理科の勉強が不十分な生徒の中には、あれを信じてあれしかやっていない豪傑(っていうか博打屋)もいるので、週明けの合格発表が恐ろしい。ここまで傾向が変わるとは思わなかった。生徒に申し訳ない。

というわけで、週末になって少し落ち着いたので、1人反省会(別名自己批判)。

物理分野
@エネルギー:ふりこあたりが怪しい。位置エネルギー→運動エネルギーといったエネルギー変換がからみそう。 ○:振り子ではないが、エネルギー変換のグラフが出たので、一応○。
A力:力を表す矢印問題。「重力を示す矢印はどれか」とか、「つりあっているのはどれか」とか。 ◎:限りなく近い問題が出た
B磁界:出そうなのに何故かいつも出ない。今年こそ出るような・・ 出るとしたらコイルと方位磁針がらみ。 ×:なぜここ数年まったく出ない?
C光:凸レンズ。 ×:光は光でも、光ファイバーの全反射を問う問題だった。

化学分野
@酸化還元:銅の酸化か酸化銅の還元。実験時の注意点もチェック。 ×:ここも完全に予想外
A燃焼:有機物の燃焼。エタノールあたりを燃やすかな? 発生する二酸化炭素はCがあっても「無機物」ですね。 ×:燃焼でも酸化でもなく、分解が出た
B気体の性質:二酸化炭素>水素>酸素の確率で出そう。 ◎:都立は二酸化炭素が好きですね
C中和:BTBの色変化と絡める簡単な問題。複雑なのは出ないと思う。 ×:弁解の余地無し
D物性:金属・非金属、単体・化合物、純物質・混合物の違いを問う問題。「鉄と硫黄の化合物」と「鉄と硫黄の混合物」は別物です。 ×:絶対出ないと思っていた状態変化が出た

生物分野
@植物:蒸散。いちおう保険で光合成も(弱気)。 ×:花粉管が出るとは・・
A神経:メダカあたり? もしくは反射かもしれない。ここも自信がない。 △:神経の伝達が出た
B人体:「二酸化炭素を多く含む血液は?」系の問題か、肝臓・腎臓。消化・デンプン実験は出ない。 ×:そもそも大問で植物が出るとは思わなかった。

地学分野
@火山:溶岩の粘り気と形あたりが出そう。 ○:ねばりけが来ました。選択肢も半分は予想通り。
A天体:「ペガスス座がいつどこの空に見えるか」か「金星がいつどこの空に見えるか」系の問題。日周・年周の計算は出ない。 ×:日周が来たか・・計算ではないが。
B天気:天気図の読み方や、高気圧・低気圧の性質などの簡単系。雲のでき方・露点・前線は多分出ない。 ◎:天気記号と雲量の組み合わせ。限りなく予想通り。

結果。予想15問中、完全ヒット3,ヒット2,かすり1,ハズレ9。

予想正解率33%。 去年が60%だっただけに、かなり痛い。

総評として、以前「都立理科はサルレベルの簡単さ。普通の人なら7,8割は軽い」と言ったが、それから比べると難易度は上がったようだ。しかし難易度が高い問題は、変にひねった問題ではなく、知識を総合すれば予想できる良問である(特に食塩水から水を取り出す問題は良かった)。簡単な問題にしてもあまりにも受験者をバカにしているようなチープな問題はなく(まあ、点取り問題がどうしても必要な学校もあるのでしょうが)、全体的に良問が多かったと言えよう。今年のテストを見て、テストを作成したメンバーへの好感度が上がった。ピロリロリン!(上昇SE)


2月25日(水)

中国歴史地図集2巻をゲット!

T城書店に頼んだら在庫があったようで、1日で持ってきてくれた。3500円の出費だが、趣味への投資に糸目はつけぬのが漢。 ←え?


2月21日(土)

三国志地図を作っていて気がついたこと。漢書郡国志によれば、楽浪郡には朝鮮県があるとのこと。朝鮮が歴史的伝統のある名前だということを初めて知った。
というより、楽浪郡や帯方郡が朝鮮半島にあることも知らなかった(てっきり遼東半島にあるのだと思っていた)。

それよりも気になったのが、中国歴史地図集。神保町のT書店では地図集を630円で売っている(精装版じゃないほう)ので、これまで三国時代の地図と元・明時代の地図を購入していた。で、漢代の地図も欲しくなったので買いにいったところ、2巻が置いてなかった。

「すみません。2巻が無いようなのですが、在庫はありますか? それとも、取り寄せですか?」

と確認したところ、

「もうそれは入手できないんですよ」

と、驚愕の回答が。何でも歴史地図集の出版元が8冊セットのものをやめて、新しく2冊セットの地図集を作るらしい。そちらは全時代をカバーしている代わりにページ数は少し減るから、各時代あたりの情報量は少なくなるとのこと。ということは、630円で買える8冊セットの方は在庫がなくなり次第買えなくなるということだ。精装版は1冊3000円以上するから買う気がおきない…
630円で買える三国時代の歴史地図も残りが少なさそうだったから、買っていない人は早目に買ったほうがいいかも。U書店も精装版ではないほうは置いてなかったし。
僕のほうは漢代の地図をどうしようかな。高いけど精装版を取り寄せてもらって手を打つか? それとも確率は低いけど神保町以外の中国書籍の店を調べるか?


2月17日(火)

いずれ蜀人列伝に書く予定ですが、予定は未定なので、メモ代わりにこちらに書くことにしましょう(別のサイトに投稿したネタを自サイトに掲載しないのもアレなので)。

”華陽国志によると、諸葛亮の南征のとき、高定は諸葛亮に斬殺されている。”
[根拠]華陽国志では高定は高定元と表記されていますが、南中志に「亮既斬定元」という記述があります。

演義では諸葛亮に降伏して益州南部を任されていますが、実際は諸葛亮にバッサリ殺られていたようですね。まあ、その方が僕の考える諸葛亮のイメージに合っていますが。


2月16日(月)

三国志地図は転用して学校教材としても活用できるため、もっと汎用性のある地図ツールにしようとスクリプトの試行錯誤をしているのですが、ゼミ室のPCのうち、どうしても地図が表示されないものが2つ。他のPCだと動くから文法ミスはありえないはずなのに、そのPCだと左下のフレームが真っ白に表示されてしまう(ちなみに、正常に表示されるPCでもまれは読み込み時にデバッガが表示される現象も原因が判明したので完成版では改善される予定)。

頭をひねった末、判明した結論。

ノートン先生のせいでした(苦笑)。

設定によっては左フレームの情報を上フレームに飛ばすときにストップがかかってしまい、その結果表示されなくなるようです。画像掲示板でも似たような現象が起こるとか。さすがに「地図を見たければセキュリティを切れ」とは言いにくいので、これに関しては仕方ないこととして諦めることにしました。
ともかく自分のミスではなかったと判明しただけでも一安心。地図作成もはかどろうというものです。


2月14日(土)

「先生〜、チョコあげる。昨日錬成したんだよ」

最近、生徒の間で某錬金術師がブームです。

僕のイメージでは錬金術の人は「光栄のお絵かきさん」で固まっているんですけどね。


2月11日(水)

今年も(?)やってまいりました。平成16年度の東京都立高校入試の理科問題を予想してしまおうという無謀企画。誉れと出るか、恥と出るかは恐ろしいところ。ちなみに、過去の的中率は約60%強なので、あまりアテにはならないような。

物理分野
@エネルギー:ふりこあたりが怪しい。位置エネルギー→運動エネルギーといったエネルギー変換がからみそう。
A力:力を表す矢印問題。「重力を示す矢印はどれか」とか、「つりあっているのはどれか」とか。
B磁界:出そうなのに何故かいつも出ない。今年こそ出るような・・ 出るとしたらコイルと方位磁針がらみ。
C光:凸レンズ。

化学分野
@酸化還元:銅の酸化か酸化銅の還元。実験時の注意点もチェック。
A燃焼:有機物の燃焼。エタノールあたりを燃やすかな? 発生する二酸化炭素はCがあっても「無機物」ですね。
B気体の性質:二酸化炭素>水素>酸素の確率で出そう。
C中和:BTBの色変化と絡める簡単な問題。複雑なのは出ないと思う。
D物性:金属・非金属、単体・化合物、純物質・混合物の違いを問う問題。「鉄と硫黄の化合物」と「鉄と硫黄の混合物」は別物です。

生物分野
@植物:蒸散。いちおう保険で光合成も(弱気)。
A神経:メダカあたり? もしくは反射かもしれない。ここも自信がない。
B人体:「二酸化炭素を多く含む血液は?」系の問題か、肝臓・腎臓。消化・デンプン実験は出ない。

地学分野
@火山:溶岩の粘り気と形あたりが出そう。
A天体:「ペガスス座がいつどこの空に見えるか」か「金星がいつどこの空に見えるか」系の問題。日周・年周の計算は出ない。
B天気:天気図の読み方や、高気圧・低気圧の性質などの簡単系。雲のでき方・露点・前線は多分出ない。

うーん、どうも2分野はイマイチ絞り込めない。本当は各分野5問ずつ予想したいところですが・・


2月9日(月)

バイト先で「2月1日より、コマ給を1850円にしましたから」と言われた。

今のバイトを始めてまもなく8年目になるが、自分の時給の具体的金額を認識したのは初めてだ(核爆)

僕にはこれまで「おそらく1500円前後(←塾講師の平均相場?)かな」くらいの認識しかなかった。なぜなら、自分が小学生のときに通っていた塾でバイトしているから、時給云々よりもそこで働くことを楽しみにしていたので時給を気にする必要が無かったのである。もしくは時給の話が出たときにも大して意識してなかったので忘れてしまっていたのかもしれない(それもどうかと思うが)。
自分の給料がいくらか知らずに働くというのは、社会に生きる人間としては問題があるかもしれないということに最近になってやっと気付いた・・


2月8日(日)

「うぐいすパン」と書いてある菓子パンを食べていると生徒が寄ってきた。

生徒「何食べてるの?」

伊比「うぐいすパン」

生徒「うぐいす? うぐいすって何?」

中3にもなってウグイスも知らんのか、と思いながら中に入っているうぐいすあんを見せる。

伊比「ウグイスは鳥の名前。ほら、この餡みたいな色をした鳥なんだよ(本来はウグイスとうぐいす餡の因果が逆なのだが)」

生徒「なるほど。鶏肉が入ったパンなんだね」

違う、違うって! そんなミンチなパンは食べたくないから!


2月7日(土)

最近サイトが更新できなかったのは、高校入試対策のためとFateのため、どちらの影響が大きかったのだろうか・・。いえ、ちゃんと高校入試対策もきちんとやっていますよ。今年も都立の理科予想をやらなくてはなりませんし・・


2月6日(金)

昨晩からFate。昼もFate。夕方までFate。夜は塾に行って教材準備。帰宅後もFate。これでFateをおそらく完全クリア。

月曜の朝10時から金曜の深夜のうち(全110時間)で、Fateの総プレイ時間が44時間というのはどういうことですか、自分?

仕事したり寝たりしていないときはFateしかやっていませんか? ←1日平均9時間プレイ(汗)。
というか、1日平均睡眠時間は4時間。ゲームの半分(笑)。

ともかくあとはタイガー道場の25話さえ埋めればコンプリートのはず。これだけ一気に集中してゲームを消化したのはKanon以来だ。
ただ、言峰神父の思想に共感してしまったため、主人公よりも言峰さんや葛木先生の方が好感度が高かったりする。うーん、教育者としてはまずいかなぁ。


2月5日(木)

朝6時起床。教材準備に3時間。9時半に家を出て、仕事から解放されて帰宅したのが深夜1時。
すぐ寝ればよいのにうっかりFate。2人目のルートをクリア。気付いたら朝になっているわけです。


2月4日(水)

朝5時起床。6時に出発。一日仕事で帰宅は24時を少しオーバー。すぐ寝る。


2月3日(火)

午前中に大学に出かけて本を借り、神保町で中国歴史地図集を買い、帰宅してFate(またか)。


2月2日(月)

今日は何もない日。10時に起床。夜中まで(驚)Fate。1人目のルートをクリア。


2月1日(日)

同志凡鳥兄のサイトを見て、

あ、Fateの予約、今日までだった!

とアホなことを思い出し、夕方に秋葉原までダッシュ。たしか、12月23日に秋葉原のラーメン屋に行ったついでに出来心で先行予約してしまっていたのである(出来心??)。


1月27日(火)

通販で注文した東方紅魔郷が家に到着。

ノーマルで開始して2ミスでラスボスまでいったものの、そこであえなく撃沈。初回ノーコンクリアの夢は散りました。
ちなみに2ミスはどちらもパチュリーの通常攻撃。どうも回転レーザー系は苦手。妖々夢のアルティメットブディストも1回も取れないし・・


1月25日(日)

いじめ問題の軌道が少し変わった気がするので、いったんいじめ考察に戻る。

これまで、いじめを悪として捉えてきた。ここで、逆転の発想。逆転ホームランやー(違)。
早い話、いじめを悪いものではないとする立場になって考えてみるのである。
「けしからん!」と怒る事なかれ。この世の全ての事象に「絶対」は存在しないと僕は考えている(僕が宗教を信仰しないのもこの理由による)。全てはある基準を越えているかいないかで善し悪しが決まるのである。どんなものであれ、100%善いものが存在しないのと同様に、100%の悪というものも存在し得ない。100%の善(悪)が存在すると考えている人は、片方に立ったものの見方しかできていないか、思想が偏っているということになる。

で、いじめのメリット。いったい何であろうか?

おそらく、発生段階においては加害者側の満足感のみであろう。しかし、一度いじめ状態が集団の中で発生するとその状態が安定してしまい、それを打破するのは相当のエネルギーを要することになる。では何故いじめが発生するとその状態が安定してしまうのかということについては、「いじめられている人間以外の全ての人間が相対的に幸せになれるから」だと思う。これについては昨年1月の沈思黙考で触れているので、関心のある人は見てください。
結局いじめ状態が続いてしまうと、集団全体にいじめのメリットができてしまい、長期間継続することになる。1人が究極の不幸に陥っても、他の全員が幸せだから全体としてはそれでOKという、いわゆる最大幸福である。

これを防ぐには、かなり難しいが初期段階のうちに芽を摘むことである。いじめがクラスを安定させる前に、いじめを叩き潰す。
・・が、教員がこれを早期発見することなどできるのだろうか? 「チクリ魔」と陰口を叩かれても正義を実行しようとする生徒がいないとこれは難しい。
この問題を考えるために、子どもの集団システムを考える必要がありそうだ。まだ「ヒト社会」に慣れていない子どものうちは、おそらく原始的・本能的なルールで集団を形成しているはず。この謎を考えてみたい。


1月22日(木)

ここ2,3週間ほど、JavaScript廃人になっております。
KJ様に「徹夜すると生活リズムが・・」と警告されたのに、気がつくと徹夜でかかりっきり。本を読んで、ネットで調べて、他人が作ったスクリプトを研究して。昔の日本の技術者が外国製品の真似をしながら成長していったようなものでしょうか。
いや、僕はプログラマーでもSEでもない、ただの大学生(兼高校講師 兼塾講師)ですけどね。

スクリプトの元ネタは以下の2つ(上の人からは改変の許可をいただきました。下は・・多分フリー??)。
1/25000地図活用ツール」(QPON様の地図活用ツールです)
エクスプローラー風メニュー表示」(IBMの技術サポートのページです)

JavaScriptをゼロから始めてはや20日。タグの打ち方を覚え、文法を覚え、寝る時間を削り、とりあえず骨格となるものが完成。

三国志地図(解像度は現在主流のXGA[1024×768]に最適化してあります)←1月22日の段階では、遊びで作ったサンプルです。ツッコまないでください。
初回に表示しようとするとたまに強制デバックが入ることがあります。無視して進んでも普通に動くのは不思議。どういう原因なのか調査中です。

元ネタをそのまま使うのでは独自性がないので、改造を重ねて結構自分色に染めたつもりですが、細かいところを見るとまだまだですね。所詮はQPON様の亜流です。しかし、亜流のままでは終わらせないぞ〜!

女神さまと守護月天くらいの違いになると良いなぁ・・(それは違っていると言えるのだろうか??)


1月19日(月)

「普通」と「変」の続き。

人が普通でいるために、オタクをスケープゴートとして迫害しているのではなかろうかという論が前回の内容だった。だが、僕はこの考えはあまり好きではない。僕が好きなのは中庸なので、どちらの立場に立つでもなく、共存するのが良いのである。しかし、世の中には共存よりも一人勝ちを好むものも多いようだ。

以前見たアンチオタクのサイトで、秋葉原を訪れた管理人が秋葉原の風景に憤慨し、「こんな奴らはいなくなればいい」と書いていた。これは自分の意見のみが正しいと考える、アメリカのような横暴さをもった人間の考えることである。しかも、彼は自己矛盾を起こしているのである。それはどうしてか?
オタク差別は数の論理である。それゆえ「普通」の世界では駆逐されてしまった。ここまでは別に否定しない。自然界においても数が支配することはよくある話である。問題はその後。自然界には適者生存という原則があり、その世界に適応できないものは絶滅するのである。恐竜も環境が変わった結果絶滅してしまった。しかし、オタクは絶滅しなかった。秋葉原や日本橋ではすでにオタク世界のほうがメジャー化しつつあり、コミュニティーが形成されているのである。このことは、現代社会が、オタクを社会構造の1つとして受け入れたということを示している。すなわち、オタクは絶滅されることなく、細々ながらも社会での共存を認められたことになる。認められている以上、「オタクはいなくなればよい」という考えは、反社会的な思想ということにもなる(笑)。

もし「数の論理」を信奉して、生理的に受け付けないという理由だけでオタクを攻撃する人間を正しいとするならば、秋葉原では逆に、「普通」の人間が迫害されるべきということになってしまう。先ほど秋葉原を見て「こんな奴らはいなくなればいい」と言った管理人は、秋葉原では「むしろお前こそ消えろ」ということになるわけだ。陸の王者ライオンは海では何もすることができず、サメも陸に上がれば狩られる運命なのだ。
僕はこういう殺伐とした発想は好みではないんですけどね。

立場が変わったときに自分が狩られる覚悟があるならば、今の世界でマイナリティーを狩るもよし。

覚悟のない人間は、むやみに誰かを狩るべきではないと僕は思う。


1月18日(日)

凡鳥兄の家で毎年恒例の鍋大会。僕は「天使のいない12月」の(一部)シナリオに感動したと言ったことはあるが、主人公に共感したとは一言も言っていないはずなのに、周囲が誤解しているのはどうしてなのだろう。透子はかなり嫌いな分類なのですが・・

さておき、戦国無双の公式サイトを始めて見た。相変わらず美形ぞろいで、視聴率(?)稼ぎに出ているのが見え見えなのが悲しい。NHKが良質の少ない視聴者を捨て、演技が下手でも人気のある芸能人を起用したのと同じ原理であろう。結局、商業的には売れたものが勝つということを思い知らされた。ついでに、いかにも曹操な信長や、いかにも周瑜な光秀や、いかにも趙雲な幸村をみていると、戦国無双がただの三国無双の亜流であることが強く印象付けられてしまう。もう少し独自色を出すと良いんだけどな。あ、別に独自色といっても「くのいち」というオリジナルキャラを入れろということではない。

あと1つ気になったのが政宗。紹介によると「超スピードタイプ。木刀の二刀流で、初期武器は棒刀。独眼竜ビーム(?)を放つ」とのこと。要するに陸遜の顔違いなキャラだが、「独眼竜ビーム」って何だ!?
セイバーマリオネットのパンターよろしく、眼帯をはずすとビームが出るのだろうか。もしそうなら買ってしまうかも(馬鹿)。


1月16日(金)

友が結婚するので、独身最後の飲み会を開くことに。

最初に入った飲み屋では、僕たちを席まで案内するウェイターが突然転んで、担当交替。しかもこちらは3人なのに「4名様ですね」といわれる。空いた皿を回収しに来たウェイトレスに酢醤油をこぼされ、コートに小被害。ロクなことがなかった。
フラリと立ち寄ったゲームセンターで、マジカルアカデミーをプレイする友達を援軍し、見事優勝(クイズゲームの援軍は卑怯という話もあるが)。
続けて行った新大久保のカラオケボックスでは、結婚のお祝いの曲として「愛天使ウェディングピーチ」を2人で熱唱。
徹夜で歌った後、歩いて早稲田のデニーズで雑談しようと移動したのだが、いつのまにかデニーズが安楽亭になっていた(笑)。

学生時代によくやっていたことをなぞるように繰り返し、お開きとなった。


1月13日(火)

いつもの生活がスタートすると、これはこれで忙しい。オタク考察やいじめ考察も、もう少しまとめたいのだが、小出しでいくことにしよう。

人間は誰しも、自分と違うものに出会うと困惑する。オタクをキモいという人種の言い分のひとつとして、「変」というものがある。例えばゲームのキャラのポスターを貼ってみたり、抱き枕を買ってみたり、フィギュアを集めてみたり・・と。確かに、数から言えば、このような行動パターンを持つ人は少ないであろう。
ここで考えられること。オタクが周りから「変」と認識されるのは、他の人がしないことをするからである(風貌や体臭もよく指摘されるが、今は「変」に着目する)。

日本はどうも少数派が迫害される国である。「1人だけ○○なんて」「みながやっていないのに」など、あたかも多数派こそが正義のような考え方が多い。もしくは、多数派に対するアンチ勢力か。いずれにしても、集団の中に入ることを強制されるわけだ。
特にいじめが発生しやすい学校空間では、こどもたちは自分がいずれの集団に入るかで、戦々恐々としていることであろう。ある番組を見ていないと話題に入れないのではないか、ある芸能人を好き(嫌い)でないとダメなのではないか。
特に、自分の価値観と、相手の価値観が食い違ったときの恐怖感。相手が教室内で影響力を持つ人間の場合はなおさらだ。変なことを言って、この子の機嫌を損ねたら、明日から自分がターゲットになるかもしれない。どうしよう・・
こうして小さい頃から、周囲に合わせて自分の発言を変えていくという悲しい鍛錬が始まるわけだ。

A「ねえねえ、昨日の○○見た〜?」
B「え、お前、あんなの見てるの!?」
A「い、いや、見てないよ。ただ聞いただけだって・・」

このような会話を経験した方も多いだろう。また、自分を正当化するための手段として「普通」「変」という言葉が使われる。

「えーっ、あいつら絶対変だよ。普通、あんなことしないって!」

こう言えば、自分は「普通」になれる。「変」でなければ、この国では安穏とした生活が送れる。こどもたちは自分を守るために、自分を「普通」にしようとするのである。しかも、相手を変と罵ることで自分を相対的に普通化させるという、単純かつ非道な行為により。
「変」と言われた側も、自分を正当化しようとして「あいつらのほうが変だよ」と別のカテゴリを持つグループに「変」を転嫁する。

最終的に「変」の称号は、言い返すことをしない人間か、あるいはこれ以上転嫁する相手がいない最少数派の人間に冠されることになる。これが「オタク=キモい」説が広く支持されてしまうことになった要因のひとつなのではなかろうか。

大衆は自分の趣味・行動を正当化するために、オタク(スケープゴート)に罵詈雑言を浴びせ、心理的安穏を得ているのだと僕は思う。


1月6日(火)

ドラえもんにおいて、ジャイアンがのび太をいじめる原因としていくつかあるが、「ムシャクシャしているから殴らせろ」「バットを買ったから試しに殴らせろ」「俺は今腹が立っているんだ」などと、非常に単純な理由が多い。一方、のび太がドラえもんの道具に頼る理由としては「ジャイアンがいじめる。何とかして」「スネ夫にバカにされた。悔しい」「今度のテストで(以下略)」などがある。実はのび太の行動も、ジャイアン並に個人的なワガママによるものが多い。

ともかく、ドラえもんに出てくるキャラクターは基本的にワガママである。そして、この作品を見て子どもが違和感を感じないということは、子どもは「ワガママ」を当然の(普通の)ものとして受け入れているからなのではないだろうか。実際に、僕がドラえもんという作品中のワガママ性に気づいたのは、大学1年のときに塾講師を始めてワガママな生徒に辟易するようになってからなのである。ワガママを謳歌していた自分が、生徒というそれ以上のワガママに出会うことにより、ワガママがいかに迷惑なことを悟ったわけだ。逆に言うと、ワガママを抑制するにはそのような自己認識の機会が無くてはならない。
ここで注意しなければならないのは、自分が自分のワガママに気づくには、自分より下の立場(年下とか、自分が「こいつは自分より格下」と考えている相手)のワガママに接する必要があるということである。相手が格下だとワガママに対して怒るわけにもいかず、我慢せざるを得なくなる。その過程でワガママの悪さに気がつくわけだ。

昔であれば、年下のワガママに触れる機会は多くあった。自分の親の世代だと兄弟が何人もいることが多く、子どもは早い段階でワガママの非を学ぶことになる。地域の若者組のような制度もあった。しかし今は兄弟がいない子も多いし、いたとしても弟妹の面倒を実際に見たという人はあまりいないだろう(僕の場合は妹と年齢差があるため、おんぶして散歩したり、おしめを換えたりした経験があるが)。
そこで提案がある。小学校では学校行事のときなどに、高学年の生徒が低学年の生徒の面倒を見ることがある。このシステムをもう少し拡大してみるというのはどうだろう。例えば掃除であれば、高学年の当番の中に、低学年の教室掃除補助というポジションを設置する(あくまでも補助。全部高学年がやったら、低学年のためにならない)。高学年は低学年の奔放さに戸惑いながらも掃除の補助をすることにより、「我慢」を少しだけ覚えられる。

昔から、「弟(妹)ができて、○○もお兄(姉)さんになったね」という言い回しがある。自分より下の人間と接して面倒を見ていると、人は成長するのである。小学校は特に学年が離れている子どもたちが同じ空間にいる施設なので、これを活用しやすいのではないだろうか。

自分の欲求をストレートに実行する=ワガママなのだから、対ワガママ耐性が身につけば、突発型のいじめの発生を少しは抑えられるようになる。僕はそう思う。


1月4日(日)

「キモい」という感情を前面に出す人間はいじめの加害者になりやすいという結論が正当かどうかは別にして、結局、これもいじめの解決には役に立っていない。「感情を前面に出す」ことを悪いことだとしても、感情を出さないようにする教育なんてできるわけが無い。
しかし、この「感情をストレートに出す」ことを抑制することはある程度できるのではないか。それは、古臭い言葉と嫌われることの多い「我慢・忍耐」である。

ある年齢以下の日本人なら、大半が見たことがあるであろう「ドラえもん」を教育問題と絡めて考えてみる。ドラえもんにはいじめっことしてジャイアンというキャラクターが登場するのだが、彼の言動を冷静に考えると、子どもの行動原理の本質をついているような感じがするのである。あの作品が大衆に支持され、語り継がれているのも、ジャイアンやのび太の行動パターンが、日本人にとって受け入れられやすいものだからであろう。
その意味で、ジャイアンは日本を代表するいじめっ子と考えられないことも無い。もちろん時代が変わったので、ジャイアンのいじめそのものが現代に通用するわけではないが、ジャイアンの行動原理は今でも通じるような気がするのである。

その代表格と考えられるジャイアンの名(?)セリフがこれである。

「のび太のくせになまいきだ」

最近、子どもの人権とか、児童虐待だとか言われていますが、このセリフはすごい。何といっても、相手の存在を完全に下においているわけですから。いじめの理由は色々あるが、ここまでストレートに言い切っているのも凄いとしか言いようが無い。そして重要なことは、このセリフを違和感無く受け入れている読者が意外に多いのではないかということである。
「○○のくせになまいきだ」という発想は、マクロに見ればナチスがユダヤに対して、白人が黒人に対して感じていた心情と大差ない。僕がこう言うと、大半の人は「そう言われてみるとそうかもしれないな。言われるまで気づかなかった」というようなことを答える。ナチスや白人による差別は糾弾されたが、このジャイアンの思想を強く批判する人が少ない(あるいは、同じ性質を持っていることに気づかない)ということは、日本人にはもともと、差別型のいじめを受け入れる精神的土壌があると考えることもできるのである。

差別問題も根が深そうだが、とりあえず「感情といじめ」の考察を優先するので、とりあえず「のびたのくせに」の話はここまで。


1月3日(土)

知っている人は知っているが、僕は男性の中では声が高いほうである。中学校のときもテノールだったし、今でもそのくらいの高さなら普通に出せる。しかし、それが災いに転じるケースもある。
昨年、僕は教壇に立った。非常勤講師とはいえ、初めての授業なので緊張しながら自己紹介を始めた。すると・・

「声が高くてキモーい」

と発言した女子生徒(クラスのリーダー格らしい)がいた。宣戦布告というか、最初からそんなに露骨に言わなくてもいいのに(涙)。「あそこはいわゆる問題児が多いから大変ですよ」とあらかじめ同僚に聞いていなければ、最初の一声でノックダウンしていたかもしれないし、カッとなっていたかもしれない。
まあ、少々ムッとしていた僕は、授業中に騒々しくなったときについつい「授業を聞かず、騒いでいるだけならば邪魔なので、出て行くと良い!」と強気の姿勢で出たため、リーダー格の生徒に完全に嫌われ、苦労することになるのだが。

さておき、僕は7年間という短い間ではあるが講師として色々な生徒と接してきた。特に中高生は思春期の只中にあって感情が前面に出ることが多いため、観察していて発見が多いのだが、上述したような感情直球型の生徒は圧倒的に女子が多かったような気がする。
確かに、「オタクはキモい」と卑下するのは女子に多い気がするし、女子のいじめが陰湿といわれるのも、感情型が多いからと考えれば納得はいく。しかし、これらはあくまでも経験的なものであり、科学的根拠がない偏見に過ぎない。
科学的に分析できない感情という不確定要素を解明できない限り、僕の不安は消えず、女子嫌いがますます加速してしまう(笑)。

感情を前面に出す人は、いまいち苦手だ・・ ←こういう考えもまた、感情による客観的分析の妨げとなっている。


1月2日(金)

まず「キモい」とは何だろうか?

多分、理屈を抜きにした感情的な、生理的嫌悪感のようなものなのではないだろうか。
例えばおととし僕が「犬鍋を食べに行こう」と友人を誘ったときに友人が示した拒否反応。「犬を食べるなんてかわいそうや〜」と寝ぼけたことを言う彼を論破したことはそのときの沈思黙考でも述べているが、結局彼は論破されたにもかかわらず、食べに行かなかった。「頭ではわかっているんだけど、やっぱり俺ダメやわ」の一線を越えることはできなかった。彼の中で、理論は感情に勝てなかったのである。

とはいえ、彼を強く責められない事情が僕にもある。僕は蜘蛛が大の苦手なのである。タカアシグモみたいにゴキブリを食べる益虫で人には無害とわかっているクモですら、クモを見た瞬間に全身に電撃が走り、心拍数と体温が急上昇してしまうのだ。
常に感情を排そうと努力しているつもりでも、やはり感情に勝てない部分がある。これがある限り、僕は感情屋の相手を非難することができない。

しかし、この「キモい」という言葉がいじめ問題の根本にあることは言うまでも無い。キモイということは、その対象への全否定を意味する。否定の対象は敵視の対象でもあり、容易に侮蔑の対象にも転化する。このパターンの場合、いじめる側の主観によってターゲットが変化するため、いじめられる側の特徴は一定せず、飲酒運転の事故被害者のように、降ってわいた災難となる場合が多いだろう。
ところで、「キモい」という表現をよく使うのは男子よりも女子のほうが多いような気がするが、これは僕の偏見であろうか?


1月1日(木)

いじめ問題を考える。
これまでの沈思黙考に示したように、僕の中でいじめの発生要因はほぼ確定できた。これまで僕や周囲が体験し、または見聞きしてきた事例も全て当てはまる。

・・しかし、だとすると同時に「いじめは絶対に無くせない」という事実をも認めることとなる。僕はこのような結論は当然であると考えているが、いじめを無くそうと考えている人からすれば受け入れられない思想であろう。なぜなら、「人間が人間らしい営みをしようとする限り、いじめの発生要因は無くならない」のだから。
僕の考えが正しければ、いじめを完全に無くす教育は可能である。管理教育をさらに推し進め、喜怒哀楽すらも感じないような無感情の人間を養成するならば(わかりやすい例としては、サクラ対戦のレニみたいなもの)。 ←わかりやすいか??
だが、これはもはや教育とはいえない。

昨年の1月の沈思黙考でいじめのパターンについて考えたが、今回は少し別のアプローチでいじめを考える。

それは、「オタクはキモい」という考えは、いじめの思想と類似性があるということだ。
何だか触れてはいけないテーマに触れてしまったような気もするが、気にしないで進めることとしよう。

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