沈思黙考

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10月16日(日)

先日のこと。小学生が「ブン ブン ブン ハチが飛ぶ」の音程で

「るん るん るん かびるんるん」

と歌っていた。妙にゴロが良かったので僕の頭に強い印象に残っていたのだろう。
朝、職場の机でPCの起動待ちをしているときに、つい
「るん るん るん かびるんるん♪」
と、口ずさんでしまった。誰もいないと思った開放感もあったのであろう。

が、掃除のおばさんがいた…


9月11日(日)

信頼って大事ですよね。三国志IIでも信用度というパラメータがあり、不義理(?)な行動をとるとガンガン下がっていってプレイヤーに不利になりました。
別にゲームに限らず、信頼のある人・会社は社会からも良い評価を受けて大きく伸びるし、いったん信頼を失えば仲間・顧客は離れていくものです。日本のように群集心理のはたらきやすい国では「信頼」は大きなステータスのようで、そのあたりは雪印・三菱の騒動からも想像がつきます。
信頼を裏切るということは、実行者にとって大変デメリットがある行為なわけです。

・・・でも、ですね。

「人生の、たった1回の大博打のために信頼を裏切る」という考え方はどうでしょう。

いや、もっといえば、

「いつか裏切るために信頼を貯蓄しておく」という考えはどうでしょう。

1つの概念が存在する場合、それは常に裏の意味も持ちます。世間で常識と思われていることほど、案外その裏に面白みがあることもあります。

3年ほどかけて日常生活の中で色々な実験を繰り返した結果、僕には裏切りは向いていないという結論に落ち着きました。今は裏切りのメリットがまったく見えてこない!
暇ができたら、また3年くらいかけて次の実験をしてみようかな…

人生は日々、リセットのきかないスリルに満ちた人生ゲーム。


8月19日(金)

先日、「18日に東方花映塚やメルブラのゲーム大会を家でやるので、伊比さんも来ませんか?」

…と、きんぐ兄に誘われた。実は18日は原付免許を取りに行く予定の日。クルマと縁がない生活の僕は免許を持っていなかったのだが、身分証が無いと不便でこの上ないので、安価で短期間で取れる原付免許を取得しようと思っていたのである。

まず、古本屋で「5時間で取れる原付免許完全合格テキスト」というのを購入。本のタイトルにあわせて、時計を見ながら300分だけ勉強をする。本のタイトルになっているくらいなのだから、この本で5時間しっかり勉強すれば原付免許は取れるのだろう。このくらいの遊び心が無いと、どうも乗り気じゃない勉強はやる気が起きん。悪い癖。

で、当日の朝。鮫洲試験場に朝一番で行き、昼に免許を取得(の予定)。午後はきんぐ邸で花映塚(の予定)だ!
自分は予約購入でまだ手元には無いので花映塚をプレイすることに躊躇(ネタバレ警報)もあったのだが、どうせ近いうちに自宅にも届くのだから、まあ良いか、という気分。
この時点で気分は花映塚>原付

赤羽から新木場行きの埼京線に乗り、鮫洲試験場の最寄り駅である品川シーサイド駅を目指した(鮫洲駅よりこちらの方が近い気がする)。

埼京線の中では花映塚モード。自機筆頭候補みすちーは言うまでも無いとして、第二候補になり得るルナサやパチェはいるのか等々。原付モードはもはや0。

駅に着きました。改札を出、「さて試験場はどちらかな?」と周囲を見回します。
すると、向こうには逆三角形の建物が見えました。「あれ?初めて降りた駅なのに、見覚えのある建物が…」

考えること数秒…

ヤバイ! 花映塚のことを考えていたら、国際展示場に来てしまった!

時計を確認するも、今から鮫洲に戻っても受付終了時間に間に合いそうにありません。泣く泣く午前の受付を諦め、午後に試験を受けることになりました。
自分が招いたミスとはいえ、せっかく2,3時間ゆとりができたわけなので、午後の試験が始まるまでは天王洲アイルや品川シーサイド近辺を散歩し、風景を楽しんでいました。普段臨海部は来る機会が無いですからね。試験対策は5時間したから気にしない。
京浜急行からりんかい線に移動するにしたがって町並みが近代化していき、埠頭に行くと工業地帯に戻る。このコントラストがなかなか素敵でした。

そして昼。試験開始。すぐに結果発表。合格でした。80人近くいたうち37人しか合格しなかったということは、結構難しかったのかな、あの試験?
問29だか30だかに、答えが正とも誤とも取れる設問があったので、そこはかなり迷いましたけどね。パッと見は正でも、文章を深読みすると解釈しだいでは誤とも取れないような…
解答を教えてくれないみたいで結局未解決だったのが少々の不満。
ともかくスクーターに乗っての研修も終え、無事にペーパードライバー誕生。じゃくなて、身分証ゲット!

夕方(夜?)から花映塚大会に参加。使用可能キャラにルナサがいる!これはポイントが高い。

対戦難易度はハードモード。「ネタバレを気にしない」といった瞬間、一回戦から中ボス(ラスボス?忘れた)を使用してきた方々は素敵です。初見で交わせる程度のボスアタックだったので、みすちーで返り討ちにしましたが。
5:1くらいの割合でみすちーとルナサを使用し、ライフゲージ0.5というハンデをたまにもらいながらも勝率は7,8割をキープ。人間との対戦はほとんどしたことが無かったので、楽しゅうございました。負けた相手はほぼ魔理沙・メルランの2人。レーザーとヘニョリ弾が僕の天敵。

そして一日の総括。地球防衛軍2は面白かった(これまでの流れと関係ないし)
地底を飛び跳ねるクモの大軍は夢に出ましたよ。ええリアルに昨晩。


8月17日(水)

 どうも僕は周囲に相談を受けることが、その逆と比べると多い気がする。特に恋愛相談。小6だか中1だかの頃より、他人の恋愛の後押しをしたり、喧嘩の仲裁をしたり、そんなのばかりだ(恋愛に限らず、いじめなどの別の相談事も受けることが多かったが)。
この前も知り合いに「同棲を始めたんだけど、どうすればいいのか?」なんて相談をされた。とりあえず僕の周りには同棲経験者が複数いるので、「こんな場合はうまくいく。こんなのはだめ云々…」と、いろいろな事例を元にアドバイスをしておいた。

が、ここで肝腎なことが1つ。未中年の主張!

「彼らは、僕が恋愛経験ゼロで、男とも女ともそういう仲になったことがないということを知らないのだろうかー!」

「というより、経験も無いのに、どうして知識とノウハウだけは蓄積されますか〜!?>僕」

まあ、僕がアドバイスをした同棲組は1組を除いて結婚し(失敗例はラテン系との国際同棲。外人相手では僕の知識の及ぶところではなかった。ごめんなさい)その後も順調らしいので、それがまた噂を呼び(呼んでない、呼んでない)、他人の恋路の仲裁をする羽目になる、と…

どうせなら上杉謙信のように生涯不犯を誓い、一生キューピッド役として他人のために生きていこうかしらん(講師も他人に尽くす仕事だし)。


8月15日(月)

先日のこと。仲間内の掲示板に馬場の「喫茶しらゆり」が7月31日をもって閉店したとの一報が。

いや、もう見た瞬間、目の前が真っ暗になりましたね。

・三国研に入りたての大学1年生の頃、男集団でパフェを食べ、語るという会合が幾たびも繰り広げられた地。
・初めて自宅以外で徹夜というものをした地。あの頃からみれば随分と遊び人気質になったなぁ。今ではすっかり人生の遊び人。
・「次のお題は?」「タイトーが出したファミコンソフトの名前!」…長続きしにくいネタばかりだったが、初めて山手線ゲームをしたあの地。
・先輩と「鈴木真仁といえば、やっぱりアメリアですよね〜。でも最近見ませんね」と、時勢を論じあったあの地。三国研なのにそれ以外のオタ話ばかりしていたなぁ。
・アルコールに対する無知からグデングデンになった新入生を介抱したこともあった、あの地。
・1人で行ったときに東北出身のフリーマンと妙に話が合い、浮浪者からコーヒーをおごってもらうという珍しい経験をしたあの地。

何度も「パフェを1杯で一晩」過ごした思い出の店であった(朝の五時までいさせてくれる)。漫画喫茶や徹カラなどの施設が増え、あの店を使わなくても夜を越せるようになったのが利用客減少につながったのだろう。
実は7月後半に馬場を訪れたさい、知り合いと1時間ほど話す場所をしらゆりにしようか別のところにしようか迷って、結局ルノアールにした経緯があった(僕の中でしらゆりは、夜中にパフェを食べに行く店というイメージが強かったので、昼間から行く気にならなかった)。閉店のことを知っていればしらゆりを使ったのだが、後の祭り。

ふと頭をよぎったメロディ。

時には昔の話をしようか

通いなれた 馴染みのあの店

ホームレスの人たちが ソファーで寝ていた

パフェを一杯で一晩

(後略)

たしかに、あの頃は毎日が嵐のように燃えていたかもしれない。ただ、あのときの僕は息を切らして走っていたのだろうか?
今の僕は見果てぬ夢を描いて走り続けることができているだろうか?


8月12日(金)

いやあ、政治が面白くなってきました。なれ合いのシャンシャン政治が一番嫌いなので、こうならないと楽しくない。

そもそも人の思想は百人十色であるはずなのに、政党という派閥を作って政治をするやり方に、僕は常に不満を感じていた。政党など作らずに議員個人の多数決で十分ではないか。選挙の時には今後予定されている法案についてその議員がどう思っているかを「○」「△」「×」で書く。それで政策説明は十分。僕はその一覧表を見て、一番自分に近い人間に票を入れる、と。とりあえず児ポ法推進者や著作権規制を強化しようとする議員に入れない、と。
とはいえ、最初に述べたように完全に思想の一致する人間は洗脳でもしない限りいない。一人一人の立候補者が「○」「×」をつけると面倒だから、おおきな枠で思想を示す政党が誕生したのだろう(僕は政治経済に疎いので、この程度の認識しかない)。そういう意味では政党政治も完全否定はできない。
ただ、決めなければならないことが多くなりすぎた現代において、今の政党数は少なすぎるとも思う。

たとえばある党は○○には賛成だが、△△には反対している。別の党はその逆。では、どちらも賛成(反対)の人はどちらに投票するか?
僕はそれで政党という考えに疑念を抱いた。どちらの党に入れても、結局自分が不快な思いをすることになる。別の意見の党はないのだろうか?(当時は無かった)

また、かつてどこかの政治家が「最近は自民党支援者の家族が自民党に入れなくなってきたので、票を読みづらくなった」といっていた。

あ た り ま え だ ! …のクラッカー(古い)

夫が自民党なら妻も自民党に投票するのか?

親が創価学会員なら息子も公明党に投票するのか?

そんな馬鹿な話があってたまるものか。選挙とはその議員に入れるものであって、政党に入れるものではない(と、僕は考えている)。実際、僕の投票初体験であった都議会選挙のときに比例代表で書いた党は、僕が投票した立候補者の所属党とはまったく関係が無い。ただ、最近は自分の信念に従って比例代表に「支持政党無し」と書くようにしている。

今度の選挙はどうしようかな? 郵政民営化は経済面で見れば賛成なのだが、国鉄がJRになったときのことを考えると反対となる。都市部は問題無いのだが、赤字路線になった地方都市の鉄道がどうなったか。JRが途切れ途切れに第3セクター化し、運賃が上がってますますひどいことになっている。都市間の移動は新幹線だけで、各駅停車を乗り継ぐ旅ができなくなってしまった。不便になった鉄道を使う客は減り、ますます赤字がふくらむ。結局、富める者はますます富み、そうでないものはますますひどくなるという資本の原則を見事に体現してしまった。民営化をすれば都市部は栄え、地方は寂れる。実に単純。
確かに競争原理によってより良いサービスができる・・・かもしれない。が、その施設自体を赤字理由に撤去してしまったら、サービスもへったくれも無い。僕ならば、家から10km離れたサービスの良い郵便局より、家から1kmの手軽な郵便局を選ぶ。その施設に来たときのことだけでなく、行くまでのことも考えなければならないのに、どうして移動の大切さがわからないかなぁ。

公共機関には、たとえ赤字になっても存続させなければいけないものがあると思うんだけどなぁ。
経済は発展しなければいけない、という原則そのものもどうかと思うんだけどなぁ。


8月1日(月)

 夏4月のこと。三国志サポート掲示板をのぞいていたら、黄虎洞老師の「三国志シンポジウムのお知らせ」という書き込みを発見。何でも
 「ゲーム・漫画・小説・ネット、何でも互いに興味の有る「三国文化」を語り合おうと言うシンポです。」
だそうで、関心がむくむくとわいてくる。しかも驚いたことに、コメンテーターとして昔僕がいたサークル名も。ところが、うちからは誰を送り出すのかと思って現幹事長に聞いてみたらシンポジウムの件そのものを知らなかったようで、こっちは2度ビックリ(笑)。ポスターに書いてあるのに、こりゃどういうことでい、親分?

 それはさておき、後に改めて大東文化大学のサイトを閲覧してみると、オープンキャンパス内の1つのイベントとして三国志シンポジウムが開かれるということでした。大学の紹介ページには、
 ”大東文化大学文学部中国学科は、平成17年度より中国学科と名称を変更いたしました。これを記念して「三国志シンポジウム」を開催いたします。ゲームや小説を通じて、中国に関心を持つ契機となることの多い三国志。その三国志の学問研究の最前線から、インターネットで三国志関係のサイトを開設している人に至るまで、日本における「三国志文化」の受けとめ方や中国文化の研究、あるいは中国社会に関心を抱くことの意味を考えていきます。受験生の皆さんにもわかり易く説明します。ぜひ、ご参加ください。” とありました。
 先の老師の書き込みから考えても、ずいぶんと間口を広げたシンポジウムなのだなぁと思い、僕の期待はさらに高まるのであった。

 以上、前振り。

 7月31日。三国志シンポジウム開催。場所は東武東上線高坂からスクールバスで8分程度の山の中。早稲田の所沢キャンパスといい勝負の立地条件である。

 当日の状況についてはいくつかのサイトで詳細にまとめられているので割愛して、僕の感想だけ述べることにします。ちなみに当日の僕は「早大三国研コメンテーターの応援団(別名、野次馬)」。関係者控え室では他の見学者ともども関係者ワッペンも渡されましたが、見学オンリーなので返還することになりました(やはり紛らわしいということで)。お茶は一杯いただかせてもらいました。そういう微妙な立場。無関係以上、関係者以下。

 で、前半の各先生方の報告に関して。個人的には、非常に面白かったです。金先生の韓国の三国志文化、石井先生の軍事の話はかなり面白く聞けました。中川先生の話と和田さんの話は僕の知識の範疇だったので、自分の興味としてはまあまあでしたが、中川先生の話は先生が書かれた本や論文の内容が簡潔にわかりやすくまとめられたものであり、一般向けのシンポジウムの話としては大変良かったと思います。和田さんについてはあの手の現代文化論は諸先生方にとっても新鮮な話だと思うので、もう少し声の音量を上げられても良かったのではないか、と。小さくて少し聴こえにくい感がありました。
 講師としての立場から「講演力」で評価すると、金・中林・渡辺・中川先生は非常に語りの上手い方でした。聞いているだけでワクワクするような授業が予想されます。大学の講義にもぐってみたいものです(コラっ!)。
 なお、金先生が「三国志演義の前身が三国志平話なのは皆さんご存知だとは思いますが…」のような発言をしたのはビックリ。仮にそれが本当だとしたら「演義の成立過程」を報告する中川先生の立場がなくなっちゃうじゃないですか(そもそも発表する意味が無くなる。みんな知ってるから)。ちょっと対象レベルを上に捉えすぎているなぁ、と思いました。

 そして昼休み。学食に行ったら大行列。諦めて会場に戻って40分ほど椅子で呆けることに。暇なので紺碧兄に「今日来るの?」と連絡しようと思ったら、頼みの綱のツーカーは圏外だ! コメンテーター達とも連絡が取れず、途中で出合ったきんぐ兄とだべってました。

 そして後半。僕は当初、コメンテーターの質問はかなり予定調和(別名、大人の事情)なものになると思っていたのですが(その辺は直接の関係者ではないので知らない)、最低限のところ以外はアドリブに近かったようで、なかなか面白いやり取りを聞くことができました。午後の部に関してはかなり思うところがあるので辛辣に書きたいところではあるのですが、関係者の間でギクシャクすることになっても困るので、穏便に書くことにします。

 まず、先発の早大三国研。
 コメンテーター集団の中ではもっとも一般者受けする質問をしていたと思いました。身びいきではないですよ。
OBの立場からするとヒヤヒヤものの質問がいくつかあったのですが、一般客の笑い(失笑?)をとれたこともあり、「素人が質問している感」を聴講客に感じさせることができたのではないでしょうか。
 反省点は、やや三国志から離れる質問が多かったこと。日本やヒッタイトとからめて三国志と比較するのは構わないですが、質問者の1人は終盤完全にヒッタイトの質問になってましたね。司会の渡辺先生も仰られたとおり、三国志シンポジウムですからね、あすこは。まあ、あの質問者は大学1年生なので良い勉強にはなったでしょう(午前の部の休憩後に遅刻した非礼は許さんが)。
 質問の相手を指名し忘れて質問した人がいたのには苦笑。

 お次は学習院。
 厳しい言い方ですが、質問者としての技術が欠如していたと思います。質問自体は面白いものが多かったのですが、「質問が2つあります」と言っておきながら質問を大量に繰り返したり、「最後の質問です」の後にもさらに追加で質問したりと、見ているほうがもどかしくなる行動をしていました。おそらくこの手の発表会に不慣れな人なのでしょうが、身につけて損する技術ではないと思うので、議論のルールを身につければ、かなりポイントが上がると思いました。質問や話術が面白かっただけに、残念。
 「朝まで生テレビ」などの討論番組でもディスカッションの意味を理解していない大人が大勢見受けられるので、国際社会に対応するべく、「ちゃんとした議論」を教育する場が速いうちから必要だなぁと感じました。それとも、あの番組を見て、「あれが議論だ」と勘違いしている人がいるのかな??

 そして東大三国研。
 失礼ながらコミケ系の色物集団という偏見(本当に失礼)があったのですが、今回のシンポジウムで僕の中でのそういうイメージは完全に払拭されました。レジュメの内容からあれだけピンポイントに高度な質問をしてくるのはさすがです。僕もかなり興味津々にやり取りを聞いていました。しかし裏を返すと、深い質問というのは、一般受けしにくい質問ということ。どこかのサイトにも書いてありましたが、参加者のうち、高校生はかなり引いていました。というか、寝ている人も大勢いました。

 早大・学習院にも共通して言えることですが、名目上「オープンキャンパス」で「受験生の皆さんにもわかりやすく」で、何より中林先生自身が「ゲーム・漫画・小説・ネット、何でも互いに興味の有る「三国文化」を語り合おうと言うシンポ」と仰られていました。あの質問群の中にそういう要素がどれだけあったでしょうか? 彼らは、自分達もシンポの構成員であるということを忘れ、ただ自分の興味を満たすためだけに質問をしていたのでは、と思ってしまいます。自分の卒論や修論関連のネタを聞き出したいだけなんじゃないか、と。
 別にそれが悪いとは言いません。しかし、関係者自身がシンポの目的を忘れていたというのであれば、あまりにも滑稽です。質問も全体的に歴史に偏っていました。あのシンポの大きな目玉は、三国志ウェブサイトから発表者が出たということ。「三国志」を共通とする様々なジャンルが一堂に会するのが売りだったはず。なのに質問の大半は金・石井先生に向けられたものであり、中川先生・和田さんにはほとんどマイクが渡りませんでした(僕が「あの質問会はアドリブに近い」と判断したのはそのせい。打ち合わせをしていたのならば、あんなおかしな質問割り当てを企画者側が認めるはずが無い)。アドリブのせいでああなったとすれば、各大学の三国研は歴史系集団であるから、文学や現代文化(ゲームとか)は不得手だったという理由も思いつきます。失礼を承知の上で言えば、質問が偏ったのはコメンテーター側に、中川先生や和田さんの分野において彼らに質問できるほどの力・知識を持った人材がほとんどいなかっただけだ、と。中川先生にしても、和田さんにしても、質問を膨らませることは十分にできる内容のレジュメ発表でしたし。
 とはいえ、早大・東大のアンカーはあの偏った雰囲気を察したのか、質問を一般向けなものにし、方向を修正しようとしていたように感じられました。さすがアンカー。シンポの目的をわかっていらっしゃる。

 最後は大東文化。
 えーと… 「時間の関係で1分しかありません」と、あえなく打ち切られたのには涙が止まりません。バタバタと終了したので、コメントが思いつきませんでした。すみません。

 午後の部についてまとめれば、とうてい初心者向けではなく、中級者・上級者向けの内容でした。僕個人としては非常に面白いやり取りだったので、大満足の二重丸なのですが、あのシンポの目的を考えれば大失敗とか言いようがありません(目的をどこに置くかによって、成功か失敗かが大きく異なってくるということです)。もし2回目のシンポがあるのならば、コメンテーターは質問内容をある程度打ち合わせして、ジャンルをバラけさせ、一般人でも理解できるものを選定しておくことをお勧めします。一方、もし関係者の方々が今回のシンポを「完璧」と捉え、次回もこのままの内容でやろうとお考えならば、次からは「高校生」「広い三国志文化」という宣伝文句を外した方が良いと思います。誇大広告は詐欺としてジャロに訴えられることになりますので。

 僕が感じ取った雰囲気としては、「歴史学会ってこんな感じなのかなぁ」というシンポジウムでした。実際の歴史学会は見たことが無いので知りませんが、マスター・ドクター集団の親睦会の色合いが強く出ている気がしたのです。看板では一般向けと打っておきながら、実際は研究者が内輪で盛り上がる閉じた祭…
 穿って見るのが好きで、何でも黒く濁った方向に解釈してしまう僕の杞憂であるとは思いますが。

 午後のプラスの収穫は、和田さんと関係者控え室で直接お話ができたこと。三国研以外のウェブマスターと実際にお会いしたのはこれで3人目です。発表の中の「いろいろなサイトがあります」の中にさりげなく蜀人気質があったり、これまでにも度々和田さんのサイトで紹介を頂いたりしていたので、そのお礼を言うことができました。失敗したのは「和田さん」と呼びかけておいて、こちらは「伊比と申します」だけで本名を言いそびれたこと。別れた後で後悔。相手を本名で呼んでおいて、僕はHNを名乗り本名を名乗らないのはつりあわないですね。この場を借りてお詫び申し上げます。

 和田さんと別れた後は、控え室で雑談。とはいえ、上で書いたような感想を持ち不満爆発寸前だったので、我慢の効くうちににこやかに挨拶してさっさと引き上げることにしました。煎餅をもらった恩義もあるので、その場で口に出して喧嘩を売ることはしませんでしたが、心の中では「一部の報告者や聴講者の存在を無視している。あまりに失礼だ!」と、僕は憤慨しましたよ。ええ。 担当の方が「今回は初めてなので不備も色々とあったと思いますが」のようなことを仰られていたので、まあ最初だから仕方ないとも思いますが、次に同じことをやった場合、後輩だろうが、権威者であろうが、友であろうが、宣戦布告することになるでしょう。

 以上、伊比が三国志シンポジウムで感じたことでした。多少はシンポに関係している微妙な立場のため、感想も関係者に微妙に配慮した微妙な表現になっています。本当に微妙ですね。 微妙。 びみょん。 みょん。

※補注

コメンテーターの1人げんりゅう兄からの情報によりますと、打ち合わせ段階で「論文内容にどんどん突っ込むように」と指示が出ただけで、何を目的としたシンポかは特に明言されなかったようです(まあ、コメンテーター側が外部向け広告を読んでいなかったのも問題ですけど)。
まあ、控え室で不毛な論戦をやらずに正解だったということはわかりました。参加者が目的を最初から認識していなかったのなら、あの質問でも仕方ないことですし、知らなかったものを批判されても感情論になって論戦が成立しなくなりますからね。
この夏は妙に感情的になりやすい僕。カルシウムが足りていないのかもしれません。


7月28日(木)

仲の良い中学生の女の子トリオがいました。3人は夏休みにイベントに行くことを約束し、その日を楽しみにしていました(コミケ絡みのネタじゃないですよ)。
しかし、3人のうち2人が所属していた部活の大会の日が当初の予定からずれ込み、イベントの日と重なってしまったのです。

「大会に行かなくちゃならないから、イベントに行けなくなっちゃった…」
「え!? 楽しみにしてたのに…」

まあ、仕方ないね。部活だもの…で終わるかと思われた話が、恐るべき展開に。断られたほうが執念深い(?)性格なのか、大会のせいで行けなくなった事をグチグチ言い始める。部活に一生懸命な二人が快く思わず、文句を言った子に反論する。売り言葉に買い言葉。喧嘩。険悪。絶交。派閥。

…というわけで、クラスがえらく険悪な雰囲気になってきました。授業中は授業に集中しているのであまり気にならないのですが、授業が終わったとたんにピリピリムードに。休み時間は息抜きの時間なのに、どうして休み時間の方が疲れるんだ! と、隣の席に座っていて抗争に巻き込まれた男子が泣き言を言っています。いや、僕に言われましても、僕もこの手の女子の喧嘩の仲裁はあまり得意ではないもので。まあ、授業中はちゃんと真面目にやっているんだから、その辺は大人じゃないですか(授業中に変なことをすると僕がぶち切れることを知っているから、女子たちもおとなしいという話もあるが…)。

ああ、もう、どうしてこう感情的な喧嘩をするかなぁ。もっと理論的に喧嘩すれば良いのに。
「大会なんだから、行けなくなった」の時点で、どうして納得できないかなぁ。どうしようもないことなのに。


7月26日(火)

春3月。

昨年冬のスマトラ沖地震の時に現地を旅行していて、地震や津波の被害を目の当たりにしたという人にたまたま会って話を聞いた。

大地震の後、その人はただちにホテルに戻った(その人の滞在していたホテルは高台にあり、部屋も高いところだったから)。有名な観光地というわけでもなかったが、周囲には日本人が数名いて、みな「津波が来るから逃げろ」と呼びかけながら避難したという。幸いなことに、ホテルには被害はあまりなかったという。が、部屋に戻って海の様子を窓から覗いたその人は息を飲んだ。

浜辺には、地震前にいた海水浴客と同じくらいの子どもたちがいた。

それは現地の子どもたちであった。誰が気付いたかは知らないが、引き潮によって水が一斉に引き、魚やエビなどが大量に浜辺ではねていたのである。それを見つけた子どもたちが、その日の食糧にしようとしたのか、或いは売って家計の足しにしようとしたのかもしれない。もはや知るべくもないが、ただ必死に魚をかき集めていたという。

その人は窓から大声をあげたが、届くはずもなし。しばらくして、子どもたちは波間に消えた。

理科の授業で地震の話題が出るとき、この話がどうしても頭から離れない。

この子どもたちと、増水した川や台風時の海に行って水死する若者を同列にするのは間違いかもしれない。が、どちらも大自然の力を知らなかったという意味では共通である。怖さを知っていると口で言っても、スリルを求めて海に出るのは「怖さを知って」いるうちに入らない。彼らもまた、無知であった。

「無知は罪」という言葉を見たことがある。罪かどうかは判断しかねるが、無知は怖ろしい。それは痛切に感じている。


7月25日(月)

2月末から更新していなかったので、過去日記の意味も含めつつ、昔語り。

春2月の思い出。

この年は都立上位校を受ける生徒が多かったため、そちらについ力が入りすぎていたのだろう。中堅レベルの生徒へのフォローが足りなかったのかもしれない。結果的に中堅都立を受けた生徒が軒並み不合格となり、都立第一志望の生徒の合格率が9割を切る(8割チョイくらい)という、最大の失態を演じてしまった。長引く不況で本来はもっと上位校を受ける力のある生徒が、安定志向で1ランク下の学校を選択することが多かった(一昨年以前なら合格している点数に達していた生徒も多数落ちた)からではないか…と思ったが、後の祭り。
俗に名門校と呼ばれている学校には100%の合格率を誇ったため、名前で売る看板は光ったのだが、そのために下を取りこぼしたのでは何の価値もない。

そんな中、都立に不合格で、第二志望の私立に行くことが決まった生徒2人が発表翌日にやってきた。その2人は同じ中学の同じ部活の子で、進学先の私立高校もその部活に力を入れている学校である。
不合格の電話を入れてきた翌日だったので、僕としても複雑な気持ちで2人を迎えた。「今日はどうしたの?」。

見ると、何故かバケツを持ってきている。2人が声をそろえて言うには、

「3年間お世話になったので、部屋の掃除をしにきました」 と。

嗚呼、運動部員の鑑だ。彼女たちは3年生が主に使用していた部屋の窓と壁をていねいに拭いていった。そして、帰り際に再び、声をそろえて言った。

「私たちはダメ(不合格)だったけど、○ちゃん(部活の後輩)は第一志望の学校に入れさせてあげてください」

帰っていく2人を見送りながら、その場にいた講師陣はみな無言だった。語りはしなかたが、口にするに及ばず。
別に他の年に手を抜くという意味ではないが、少なくとも今年は、死ねない体になった。


7月24日(日)

僕の通っていた公立中学には校則があった(まあ、校則の無い学校はあまり無いと思うが)。そんな中、「息苦しいから」と学生服のつめえりのホックを外していたのを先生に注意されてふてくされている同級生がいて、僕に不満をぶつけてきたので、彼の援護のために担任に論戦をふっかけることになった。

伊比「先生、制服のホックって、どうしてつけるんですか?」
担任「伊比君にしては珍しいことを言うね。校則に書いてあるじゃないか」
伊比「ええ。標準服を着用と書いてありますね」
担任「だからだよ」
伊比「でも着用って『身につける』ことですよね? ボタンやホックについては書いていないような?」 ←かなりいいがかり
担任「服を着るときはボタンはするだろう」
伊比「父スーツを着るときは最後のボタンを外しています。あれは何故ですか?」 ←話のすり替え
担任「スーツは下のボタンを外すのが普通だからだよ」
伊比「何かそういう法律があるんですか?」 ←かなり強引な質問
担任「法律には無いと思うけど、多分、窮屈そうだからじゃないか?」 ←これは不用意な返事だったのでは
伊比「『決まり』に書いてなくても、見た相手が窮屈そうだからボタンを外すのが普通。ならば…」
担任「君の言いたいことはわかった」

以後、少なくともうちの担任はホックについてはあまり言わなくなった。当時の担任は20代後半の熱血教師(僕にとって兄貴分みたいな人)。相手が、3年のときの担任(心の師匠。故人)だったら負けてただろうなぁ。今、思い出して書いている自分でも論破できそうな相手だし。>当時の僕。言葉の定義の解釈でイチャモンをつける手法は、今考えれば恥かしい。まあ、頼まれ仕事だったので大した戦法を使っていなかったということにしておこう…(ひどい言い訳)

校則に書いてある禁止事項に違反すると怒られる。

では、「書いていない」ことをやったら、どうなるんでしょうね? やってみると面白いかもしれませんよ。


7月23日(土)

近々レジュメで「同性」を扱おうと思っているが、本日は「同棲」の話。

どうも同棲はイメージが悪い。どうしても同衾とセットになるからだろうか。婚前交渉は不純異性交遊ですからね(イツノヒトデスカ)。

ただ、結婚まで考えていれば話は別。デートやら何やらの時には人間は相手に良い顔をしようとする。あるいは、悪い顔を見せまいとする。だからそのときは相手は「イイ人」のまま。しかし、一緒に暮らすとなれば、必然的に相手の嫌な部分が見えてくる。生物なんだからオナラもするだろうし、グータラかもしれないし、新聞の読み方ひとつとっても気に入らないかもしれない。

これは結婚してからじゃ遅い。結婚してから相手の嫌な部分が見え始めると、人間の頭はこれまた都合のいいことに、悪いところばかりが目立って見えてしまうようになる。デートのときには良いところしか見えなかったのに、人間は本当に勝手な生き物ですね。さっさと滅びてしま(違

それを防ぐにはやはり同棲するのが良いのでは。お互いが、相手の生活を受け入れられるか。どこまでが許せる範囲で、どこまでが耐えられない範囲か。1年暮らしてケンカしつつも継続できたなら、その後もやっていけるかも。世間体を気にして同棲を嫌がる人もいるけれど、結婚してから後悔しても、本人にも、相手にも、子どもにも悪いですからねぇ。

と、某セレブ婚騒動を見てて思った。


2月21日(月)

東京都立高校入試が23日にあるので、理科の予想をたててみる。ここ数年で、ジャンルかすり(あるいはドンピシャ)は50%を超えているので、今年も頑張りたいなぁ。昨年の予想正答率が33%だったので、反省も込めて…

[物理分野] 大問は2年生範囲が出ると思う。とはいえ、磁界がここ7年近く出ていないのが気になる…

1.電磁誘導か磁界から受ける力(フレミング)。フレミングそのものはタブーだから、電流や磁石の極を逆にすると、結果が変わるとか。
2.大気圧。山頂で袋がふくらむのは、気圧が下がり、袋の中から押す力の方が大きくなったから。
3.直列・並列で豆電球が明るいのはどれ? 電池直列・豆電球並列だともっとも明るく、電池並列・豆電球直列だともっとも長持ちする。
4.音の性質。音が伝わるのは、空気を振動させるから。
5.運動と力の向き。等速直線運動の場合、かかる力は重力と抗力の2つ。

[化学分野] 都立は定量的なものをあまり好まない気もするが…

1.銅の酸化が完全に終わらなかったときの、未反応の銅の量の計算。
2.酸化銅を還元するときに発生する気体の性質。つまりは都立大好き、二酸化炭素の問題。
3.酸化銅と炭素粉末を区別する方法。水に浮かべて沈むのが酸化銅。浮くのが炭素。
4.水溶液の性質。砂糖水と食塩水を区別するには、1滴とって加熱すればよい。
5.酸とアルカリ。塩酸に水酸化ナトリウムを加えていくと中和して酸の性質が弱まるため、マグネシウムリボンを入れても泡の発生が弱くなる。
6.電池。電解質+異なる金属でOK。

[生物分野] うう、あまり自信が無い…

1.有機物の循環。生産者・消費者・分解者ともに出すのが二酸化炭素。生産者は酸素・二酸化炭素をともに出したり入れたりしている。
2.生物のつりあい。数量変化では、食べるほうの数が、食べられる数の後に変化している。
3.葉をエタノール処理する実験。対照実験がらみかなぁ。
4.メダカはエサをどこで認識するか(感覚器官)。目から光の刺激を受け取っている。
5.○○を多く含む血液。養分が最も多いのが小腸を出た血液で、尿素が最も少ないのが、じん臓を出た血液。
6.観察器具の問題。顕微鏡・ルーペあたりが無難かな。

[地学分野] 大問に天体が出るのは間違いないと思うんだけどなぁ…

1.金星の見える方位と時間。
2.金星が真夜中に見えない理由。地球より内側を公転しているからですね。
3.太陽高度と季節の関係(天球で太陽の軌道を問うやつ)。真東から出るのが春分・秋分で、南よりが冬、北よりが夏。
4.火成岩の特徴。
5.飽和水蒸気量のモデル。露点とは、今の水蒸気量が、飽和水蒸気量と同じになっている温度のこと。

このあたりをチェックしてみると良いかもしれません。例年通りの傾向ならば、都立の理科は満点阻止のために妙にひねった記述が1問ある以外は、相変わらず簡単な問題ばかり。特に日比谷等の自校作成校を受験する生徒にとって、理科・社会は高得点を取る絶好のカモです。最低でも90点を狙っていきましょう。

注意。
・問題文や選択肢が長いのが特徴なので、読み違えが無いか、書いた後のチェックも怠り無く。
・「簡単に説明せよ」の場合、簡潔に書くこと。たくさん書いたから高得点になるわけではない。文章を良く見せようと、余計なことを書いたらウソが混じって減点になることもある。「何を聞いているのか」を把握し、聞かれてもいない、余計なことは書かないようにしよう。

それでは受験生の皆さん、頑張って!


1月15日(月)

 谷川俊太郎の「朝のリレー」を読んで気付いたこと。あの詩の中に、以下のような一文がある。

ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする

 小学生か中学生のときに教科書で読んで以来、ずっと、「ローマの少年が道端に目を落とすと、路傍に花が咲いている。その花の柱頭(めしべの先端)がキラキラと輝いている」という意味だと思っていた。なんとなく、朝陽に花が照らされている光景を想像していたのだ。
 最近、あることに気付いた。ローマの柱頭というのは、ローマの神殿の柱の先端部分のことだったのではなかろうか、と。

どうなのかなぁ。


1月9日(日)

 昨年の秋以降は帰宅時間が毎日24時越えで、12月に至っては平均帰宅時間が27〜28時という笑えない事態だったので、今年は楽になるといいなぁ。
ま、元旦に宣言したように今年は少しは暇になるので、やることでもやらせてもらうことにしましょう。これが伊比流の人生の戦い方ということで。

 さておき、1月は何故か毎年教育系のネタを振ることが多いので、今年最初の沈思黙考も教育系で1つ。

 「どうして高校に行かなきゃいけないの?」

 もし、中学生に聞かれた場合、貴方はどう答えますか? かつて塾生に聞かれたとき、僕は以下のように答えました。

成功例
 生徒 「高校って行った方がいいのかな?」
 伊比 「レンタルビデオ屋とかでカードを作るとき、『15歳無職』と書くことになるよ」
 生徒 「…15歳無職は嫌だな。頑張ろう」

解説。
 口で強いことを言っていても、大半の人間は肩書きに弱い。大学受験に失敗した人間のことを無職とかプーとか言わずに「浪人」と呼称するのも似た例でしょう。それだけ『無職』という強い響きに恐怖を感じているわけです。一番単純明快な答えで、生徒が納得する確率も高いです。ちなみに、経験的にこの答えは女子にはあまり効きません。一方、男子は高確率で恐れを抱きます。男女同権のご時世といいつつも、潜在的意識としてまだまだ女子には社会的自立に対する甘えがあるということかもしれませんね。

失敗例
 生徒 「いや、俺は無職でもいいよ」

 こういう生徒もいます。僕はこの場合、「学歴」を理由に勉強・進学を勧めることはしません。この返事をする人は学歴に価値観を見出していません。僕自身、正当な理由もなく他人に価値観を強制するのは嫌いなので、そういう生徒に学歴の重要さを語る愚は犯しません。
 ただ、中卒の人間が成功できるほど世の中は甘くありません。15で社会に出て、苦労するなり、転落するなりするのも生徒の人生です。もし、また会う機会があれば再び「学歴」の重要性を説きます。今は大検や社会人入試の枠も広がっていますし、価値観が変わって、大学に行ってみようと思うかもしれません。他人に言われたわけではなく、自発的に教養を得ることを欲する。数年の回り道をしたかもしれませんが、そういう人は強い社会人になれるはずです。
 逆に、15で社会に出て、学校の勉強とは関係ない才能を以って社会に頭角を現す天才型の人間もいます。教育の目的のひとつは日本社会の発展のための人材育成ですから、これはこれで問題無いわけです。

[上記に関連する事項に対する私見]
 「高校進学を無理に進められて、結局中退した。意味はあるのか?」
 あると思います。こうなったのは「高校」というものに対して自分の意思が未確定だったことによるものです。すると、退学することで「今の自分には高校は意味の無いところだった」と高校(あるいは学歴)に対して自己認識が確立するので、本人の気持ちがサッパリし、自分の道が多少明確に見えてくるようになります(家族は狼狽すると思いますが)。
 ちなみに僕は大学院の理工学研究科に行きましたが、中退しました。成績が推薦基準を満たしており、ハンコ1つで大学院に進める状況だったので、軽い気持ちで進学してしまったのです。僕にとってあそこは価値の無いところでした。しかし、あの1年を後悔はしていません。もし大学4年で卒業し、就職していたら、僕は「大学院に行けばよかった」と一生後悔したはずです(修士・博士というものに憧れてはいた)。実際は1年間通ったことにより、大学院に対する幻想も消え、すっきりした気持ちで退学届を出すことができました。その意味において、人生にとって意味の無いものは無いと思っています。

 「中卒で苦労し、悟りを開いてやり直すならともかく、そのまま転落する人はどうするのか?」
 それがその人の限界です。能力の無い人間が、一般のレールから外れた道を選択した場合、ほぼこうなります。ただし、そうなることが予見できる能力しか持たない生徒が進学を否定した場合でも、僕は説得した上でそれを受け入れます。転落が目に見えている生徒を前にして、本人の拒絶を理由に高校進学を強制しないことはひどいことですか? 最近流行になったようですが、僕も「自己責任論」を強く主張する人間です。教師の説得に耳を貸さずに「高校に行かない!」と宣言し、失敗し、挫折した後で「何であの時強く止めなかったのか!」と教師を槍玉に上げる若者。こんな甘えた人間もありますまい。
 僕は、それが確固たる意思であるならば、本人の意思決定を大事にしたい。そうしないことは、僕自身に対する否定につながることでもあるのだから。

僕は教師にはならないほうが良いのかもしれないなぁ。高校進学拒否を認める進路指導なんて…

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